1947-09-30 第1回国会 衆議院 国土計画委員会 第13号
かつまた天正十七年十一月二十五日(一五八九年)には聖十字の旗を飜し、全光燦然たる大コンタスを肩からすじかいにサンタマリヤを唱えつつ、七百三十餘人が加藤、小西、相良の切支丹弾壓の大勢に打つて入り、續いてよろい、かぶとに身をよそおつた婦人三十餘人がやり、なぎなたを振り上げつつ、天草椿油の香を殘しつつ、キリストのあと慕い、寛永十四年十一月幕府の弾壓迫害にたえがたく、紅顔の美少年天草四郎時貞を盟主に迎え、殉教
かつまた天正十七年十一月二十五日(一五八九年)には聖十字の旗を飜し、全光燦然たる大コンタスを肩からすじかいにサンタマリヤを唱えつつ、七百三十餘人が加藤、小西、相良の切支丹弾壓の大勢に打つて入り、續いてよろい、かぶとに身をよそおつた婦人三十餘人がやり、なぎなたを振り上げつつ、天草椿油の香を殘しつつ、キリストのあと慕い、寛永十四年十一月幕府の弾壓迫害にたえがたく、紅顔の美少年天草四郎時貞を盟主に迎え、殉教
かつまた、天正十七年十一月二十五日、一五八九年聖十字の旗を飜しつつ、金光燦然たる大コンタスを肩からわきにかけ、サンタマリヤを唱えつつ、七百三十餘人の軍勢が、加藤、小西、相良のキリシタン彈壓の軍勢に向かつて討つて入り續いてつばき油の香りも高く、やり、なぎなたをもち、甲冑に身を固めた三十餘人の婦人が教えに殉じたというキリスト教の土地である。