2016-04-05 第190回国会 衆議院 財務金融委員会 第12号
いわゆるケインジアンの立場に立って政策を考えておられるということだと思います。 両教授のお考えについて何か私から個別にコメントするというのは差し控えたいと思いますけれども、両教授とも、御自分の理論的な考え方に立って、G7諸国の経済あるいは日本経済について御意見を言われたというふうに承知をいたしております。
いわゆるケインジアンの立場に立って政策を考えておられるということだと思います。 両教授のお考えについて何か私から個別にコメントするというのは差し控えたいと思いますけれども、両教授とも、御自分の理論的な考え方に立って、G7諸国の経済あるいは日本経済について御意見を言われたというふうに承知をいたしております。
それで、消費税というのは、淵源をたどりますと、付加価値税というのはフランスですけど、戦後間もなく労働党のブレーンをしていたカルドアという、ニコラス・カルドアというこれは労働党のブレーンでありまして、ケインジアンでも左派の方であります。
今回の日銀の対応は、私はオカルトだとは思いませんが、よく言われるように、マネタリストとケインジアンを乱暴に分けますと、マネタリストは、供給をふやせば需要がついてくる、ケインジアンは、需要の拡大が経済を拡大して引っ張るという、乱暴に言うとそういう分け方だと思うんですけれども、あくまでも日銀が異次元と言っているのは、世界に例がない、十五年以上続いているデフレが異常なことでして、異常な事態には相当衝撃的な
一番目の、MVイコールPT、貨幣数量方程式、これは基本的な方程式ですが、これには短期的には成り立たないというケインジアンの批判もありますが、長期的にはケインジアンも名目賃金が調整されて成り立つと。だから、どの経済学の立場に立っても、長期的にはこの式は成り立つということで理解されています。その間の条件が長期的な間に落ちついてくるということですね。 ところが、この式だけで考えているとよくわからない。
「きれいな水と空気」、大地というのがちょっと抜けていますが、これは、公共事業で防災、減災というふうに言われているから、ケインジアンの古い亡霊みたいなのが出てきたというふうに言われているんですけれども、このきれいな水と空気と大地というのは、今まさにオリンピックが行われているイギリスのジョン・ラスキンという思想家、政治学者のクライテリアなんですね。
事業効果という方が今日主に議論している、例えばケインジアン的な、公共投資を行ってデフレギャップを埋めて、それを通して経済の成長を果たしていこうということで、フローの効果ですね、これを効果的にやっていくという議論と、それからどういう物を造るのかと。物を造ると、それだけで、例えば新幹線が通ると流通が大きくなって、それで経済が成長していくということがあります。
あともう一つは、ちょっと先ほど御説明しなかったんですけれども、むしろやっぱり懸念されるのはマクロ経済との影響でして、寺田先生が先ほど強調されましたけれども、資料の九ページ目のところをちょっと見ていただきたいんですけれども、今何で債務が増えている中で、なかなか、要するにケインジアン的な発想をしますと財政出動すれば景気が良くなるんですね、ですけれども、何で良くならないかというと、実は、将来もっと増税されるかもしれない
そして、この巨額の財政赤字が、ケインジアン的なクラウディングアウトは今起こしておりません、いろいろな状況で。しかし、実は、民間の資本蓄積を相当食ってしまっております、食い潰してしまっております。まさに、〇九年から、一般政府と民間の富の蓄積、純資本の蓄積が、実はゼロ近辺になっています。つまり、戦後営々として先輩方が積み上げてきた富が、〇九年から積み上げられなくなっているということであります。
それは、いわゆる非ケインジアン効果ということですが、要するに、将来ともずっと恒久財源が、例えば消費税があってこれは福祉へ全部いくということになれば、なるほど社会保障制度は安定するなと。
それで、大臣、ちょっとこれ管轄外だと思いますけれども、先日の予算委員会の御発言で、枝野大臣は、古典的ないわゆるケインジアン的な政策で、景気が悪いから財政規模を大きくすることを単純にやればいいというふうには考えていらっしゃらないと。
私は、古典的ないわゆるケインジアン的な政策で、景気が悪いから財政規模を大きくするということを単純にやればいいというふうには考えておりませんが、しかしながら、経済状況が悪くて税収が落ち込んだときほど、むしろ役に立つ仕事であれば借金を増やしてでも財政を出動しなければならないというのがオーソドックスな経済の議論というふうに認識をいたしております。
まず一点目に関しましては、確かにいわゆる伝統的なケインジアンという、経済学者のアイデアによる公共事業で景気対策という話は、さすがに今日では経済学者の中では大分傍流になっておりまして、そのかわりに、かといって全く政府が何ら介入もしないで自由に任せていいというばかりではないという考え方は当然ありまして、この一つの学派としてニューケインジアンと言われる学派がございます。
そこで、嶋中先生、大変お待たせいたしましたけれども、大体違和感なく御説明が入ったものですから、質問というよりも今後の話で、一つ大変私は興味を持っておりますのは、ニューケインジアンですとか新しい経済思想なんだと、市場原理主義とかレーガン、サッチャーから始まったのはもう終わりましたというような話をよく聞きます。特に、オバマ大統領になったものですから、ニューディールコーリション以来の転換なんですと。
そんな中で、吉川さんの話に戻って恐縮なんですけれども、あの人、昔は自分はケインジアンだと言っていたんですよ。需要をつくることが大事だと言ってさんざん本を書いて、何か石橋湛山賞をもらったとか何か、聞くとそういう話になってくるんですが、二〇〇一年から経済財政諮問会議の民間議員におなりになられて、いろんな経済学者の方に聞くと、あの方は変わられたという話が非常に多いんですよね。
このクレジットフローとディマンド、この二つの薬を適宜使わないとこの状況から脱却できないということは、恐らく各国の専門家の共通した考え方になっていると思いますし、長い間続いたマネタリストの世界からもう一度ケインジアンの世界に戻ったというふうにも言う方もおられると。二九年よりは人類は少し進歩しているんじゃないかというふうに言う方もおられます。
今、もう世界じゅうで内需拡大、昔のケインジアンの施策が行われようとしております。最近、自信を失った国交省では余りそういう分析はしていないかもしれませんけれども、昔は二・五倍とか、産業連関分析すると逆行列係数がありましたけれども、今は一・三とか四とかぐらいしかないから余り公共事業の効果がないんだというようなことも言われております。
あんたたちはケインジアンか」 労働者は答えた。 「ケインズってなんだ。いつもは三人一組で働いている。一人が穴を掘る。二人目が苗木を置く。そして三人目が土をかける。今日は二人目の苗木の担当が風邪を引いた。だから二人でやるしかない」 これは計画経済を皮肉ったジョークでございますが……(発言する者あり)そういうことでございます。
宮沢さん、当時の大蔵大臣自体がみずからケインジアンと認めているわけですから、ケインズ経済学的な政策がとられていたのかなという感じがいたします。この考え方が、小泉内閣になりまして策定された二〇〇一年の骨太、これについても該当部分を資料としてお配りしておりますが、これにおいて大きく転換をいたしました。
一つは従来型のケインジアンといいましょうか、財政支出をすれば景気が良くなって、それに伴ってマネーサプライも結果として増えていくというような考え方、これが一つの考え方としてあります。もう一つは、いやいやそうじゃないと、俗にマネタリズムといいますが、マネーを増やすことによって逆に経済は好循環につながっていく、そういうメカニズムもあるんだというそういう考え方、お立場。
自分はケインジアンだとかマネタリストだとか、そんなはっきり峻別できるものじゃなくて、総合判断がまさしく必要だと思いますので。
今ケインジアンとかいろいろ学生時代に習ったことが出てきて、緊張しているんですけれども。 御存じのとおり、その後の経済は非常にグローバル化して状況はかなり変わってきていると思いますし、それから最近においてはいろんなアジアの新興国等が台頭しておりまして、従来の単純な理論等では律することができないんじゃないかと、こういうふうに私は考えております。
そういう過程を見ると、やっぱりこの財政の中にはケインジアン的な要素、それがなければいけない。いざというときには財政が出動して、そして公共事業、公共投資を立てて需要をつくり出さなければいけない。そして、今まあ日本にはなおそういう地域がたくさんあるのではないかと、そういうことを思うからであります。
ある程度やっぱりケインジアン的財政支出もしながら経済成長を果たし、どんなに借金があっても、あれはドーマーの法則というんですか、借金のコストよりもちょっと高い経済成長率を確保しておればうまく回っていくと、こういうことであると思いますので、その辺りの見込みは、これも政府の中で、一ないし二%成長は大丈夫だという方と、いや三ないし四%まで大丈夫だという方があると思いますけれども、私もどっちかといえば、うまくやれば
元祖ケインジアンでもありますし、積極財政論者でもあり、宮澤喜一元総理大臣が第二の高橋是清を目指しましたが、見事にこけた、失敗をしたということでありますが、大変立派な財政家でもあり、政治家でもあった。 大臣みずから手本にすべき点も多いとおっしゃったわけでありますが、その特許の生みの親の高橋是清翁が、自伝等でこういうことを書いているんですね。