2018-11-16 第197回国会 衆議院 文部科学委員会 第3号
かつては、オリンピックには芸術競技というのがあったぐらいでありまして、この芸術競技というのは、絵画とかあるいは彫刻とかそういうものを採点する競技があったわけでありまして、実は、クーベルタン男爵の基本的な考え方というのは、要するに、スポーツと文化と教育というものを融合させるということがクーベルタン男爵の基本的な考え方。
かつては、オリンピックには芸術競技というのがあったぐらいでありまして、この芸術競技というのは、絵画とかあるいは彫刻とかそういうものを採点する競技があったわけでありまして、実は、クーベルタン男爵の基本的な考え方というのは、要するに、スポーツと文化と教育というものを融合させるということがクーベルタン男爵の基本的な考え方。
いろいろ、クーベルタン男爵の言葉とか、商業ベースになって、あれはユベロスという人、ロサンゼルスのオリンピックからですかね、商業ベースに変わってますますそれが大きくなって、中国のオリンピックと。その辺が本来のオリンピック精神とずれてしまったんじゃないかなというのが、最近いろいろ報道を見ながらも感じております。
この関係は、嘉納治五郎先生の精力善用、自他共栄とあわせて、オリンピックの創始者でありますクーベルタン男爵と極めて共鳴したものでございます。
そして、それをもう一度、やはり、ただ単にスポーツの祭典ではなく、この地球を平和というものに導いていくためにはもう一度オリンピックを復活させるべきだというクーベルタン男爵の導きがあって、今のこの近代オリンピックがスタートをして百十数年の歴史を重ねることができてきたということであるんですけれども。
御存じ、この近代オリンピックの創設者でありますフランスのクーベルタン男爵はピストル射撃、この射撃の選手であったということは有名なわけなんですけれども。我が国でもオリンピックで金一つ、銀二つ、銅三つということで、メダル獲得率は、メダル、今言っただけでは少ないかもしれませんけれども、たくさんの競技のある中で獲得率は非常に多いんです。
文部科学省の目指すもう本当に原点といいますか基本であるというふうな、そういったようなお話をしていただきまして、改めて私たちアスリート、そしてまたオリンピアンというのは、クーベルタン男爵がこの近代オリンピックを発展させる努力をずっとしてきたわけでありますけれども、クーベルタン男爵が、やはり肉体を鍛え上げた者というのはそれと同じだけの精神力と人間力を兼ね備えなければ真のオリンピアンとは言えないということを
そこで、次に、このオリンピックの問題に関係してでありますけれども、オリンピックは、申すまでもなく、古代オリンピックをモデルに、一八九六年、クーベルタン男爵がオリンピックムーブメントを提唱され今日に至っております。 BC七七六年に始まった古代オリンピックは、実に二百九十三回まで続きました。
旭道山議員も相撲道を通じまして恐らく正々堂々の勝負をされてきたのだろうと思いますが、昨今いろいろ報道されておるところを聞いておりますと、近代オリンピックがクーベルタン男爵によってギリシャに再興されて始まって以来、本当にオリンピックは出場することに意義があるということ、そして世界の平和を求めて若人が集うということからいたしますと、最近のそれぞれ各地で行われる大会そのものがかなり華美に流れていると申しますか
クーベルタン男爵がオリンピックをお考えになったときに、もう既に百年前から、百人の方がスポーツをするには五十人のスポーツ選手が必要で、そして五十人のスポーツ選手を育てるには二十人の専門家、そしてその中の五十人の特別な知識を持ったスポーツの専門家が必要だというふうに言われていたんです。
これも造語でございますけれども、ロボットオリンピックということでございまして、一八九六年、クーベルタン男爵がアテネの地において第一回のオリンピックを始めて、当時ヨーロッパがさまざまな民族紛争等に揺れている中で、古代ギリシャにおいては、オリンポスの神殿の前で競技を行っているときにはその争いをやめて、平和にスポーツで競い合ったという伝説に基づいて、民族融和の祭典をやろうというのがオリンピックであったということでございます
クーベルタン男爵が、当時世界じゅうにいろいろな争いが起こっている姿を見て、こんな争いのない世界をつくるためには全人類がともに集い合い、そこで汗を流し合うような場をつくらねばならない、ついては、かつてギリシャにおいては、ポリス間でいつも争いがあってもオリンピアの神殿のもとに皆さんがともに集まって競技会をやったじゃないか、それを復活させることを通して世界に平和を呼び戻したい、こんな思いを持ってオリンピック
過去、モントリオールの大会でアフリカ諸国がボイコットをするというような事態もありましたし、アフガン紛争の中でモスクワ大会をボイコットする、さらにはその影響でロサンゼルス・オリンピックにおきますボイコット問題といったようなことが繰り返されて、オリンピックの危機と言われた時期もありましたけれども、そうした点を克服してことしを迎えだということは、平和の祭典としてクーベルタン男爵が近代オリンピックを構想されて
「ザ モスト インポータント シング インジ オリンピック ゲームズ イズ ノット ツー ウイン バット ツー テーク パート」という、私が高校一年生のときに国立競技場で電光掲示板に鮮やかに浮き出たクーベルタン男爵の言葉は、今小林先生が雄弁に指摘されましたように、国際交流あるいは世界平和のために大きな役割を果たしているわけであります。
が滅んでコマーシャリズムの台頭というような先生の一つのスポーツに関する歴史観のようなものはよく勉強させていただいたわけですが、私が東京オリンピックの開会式に券をもらって行きまして、国立競技場というところに生まれて初めて入った昭和三十九年、そのときに電光掲示板に「ザ モスト インポータント シング イン ジ オリンピック ゲームス イズ ノット ツー ウイン バット ツーテーク パート」というクーベルタン男爵
○鳩山国務大臣 先ほどどなたかの御質問に対してお答えをいたしましたように、オリンピックのクーベルタン男爵の有名な言葉は、確かに大きな意味を、永遠に不滅の意義を持ち続けるとは思いますけれども、ただ、スポーツで一番大事なことは、体を動かしてさわやかな汗をかいて、それが楽しくて、そして健康になるということだと私は思っておりまして、スポーツ大国というのは国民のできるだけ多くが老若男女を問わず体を動かしてスポーツ
○国務大臣(鳩山邦夫君) メダルの数の問題ではないと思うし、クーベルタン男爵の言葉もあるわけですが、ただ、アルベールビルの壮行会のときに、日本のメダルは幾つだろうというので関係者がひそひそしゃべっているのを聞いたら、単数は困るな、複数がいいな、何とか複数をという話をしておったところが、今までのメダル獲得総数の七個と同じ七個を一どきにとった。
したがいまして、金メダル一つ、銀メダルニつ、銅メダルが四つ、計七個、十二名の方がメダルを受けられた計算になりましょうか、これは大変大きな感激でございまして、実はその壮行会のときに、オリンピックは、クーベルタン男爵がおっしゃるように、参加することに最大の意義があって、勝つことは二の次であるという言葉は正しいとは思うけれども、しかし、これから日本がスポーツ大国化していくためには、やはりいい成績をおさめれば
○高木健太郎君 近代オリンピックは、御存じのように創始者はクーベルタン男爵でございまして、この男爵はプロの参加に強く反対をしたということは有名でございます。また、元IOCの会長であるブランデージは、ミスターアマチュアと言われるぐらい商業主義の侵入に厳然たる態度で臨んでおりました。
有名なオリンピックのクーベルタン男爵、勝敗はともかくとして参加することに意義があるんだと、こういう言葉があります。これはやはりアマチュアの人たちが、素人、我々日本人がいろいろ何か日常行動、活動なんかするときに大変大きな規範になっておる。
しかし、JOCばかりでなく、OOCとしても、こういう人を呼んだならばという人があったら、われわれのほうでもイニシアチブをとって呼ぶことも適当ではないかと考えておるのでありまして、先般私がインスブルックに参りましたときに、ちょうどことしはIOCの創立七十周年で、その式典も東京であるものでありますから、クーベルタン男爵の娘さんがローザンヌに住んでおるので、そういう人を呼ぶのもどうだろうというので、事務局
米ソ陸上競技会、あるいは米、ソ、オーストラリア、日本四国の水上競技会というような状態にあるのでありまして、その意味で、競技本位、記録本位——もとより、オリンピックであるから、若人が競技をすることが中心ではあるけれども、クーベルタン男爵の言われた、参加することに勝つことよりも大きな意義があるというものが次第に失われつつある。
○川崎(秀)委員 一般的な原則もわかりましたし、十五を目指しておるということもよくわかりましたが、オリンピックは、別に勝つことだけが目的ではなくして、参加することに重大な意義があるというのは、クーベルタン男爵のことばを待たずとも、われわれもそう思っておりますけれども、一応選手強化でいい成績をとりたいということに心がけられたのでありますから、したがって、それならば、さらにオリンピック大会の中において—