2021-08-25 第204回国会 衆議院 議院運営委員会 第53号
ですので、大人から子供への感染が子供から大人へになるというのが夏休み問題だと思っていますし、学校の再開の問題だと思いますので、是非、西村大臣に細かいことを僕が質問するのも本当に恐縮なんですけれども、これはもう国全体で考えていただくという大きな流れになっておりますから、小学校でも、クラス単位、学年単位、学校単位なのか分かりませんが、その種火を早く見つけて早く消していくということが今求められている。
ですので、大人から子供への感染が子供から大人へになるというのが夏休み問題だと思っていますし、学校の再開の問題だと思いますので、是非、西村大臣に細かいことを僕が質問するのも本当に恐縮なんですけれども、これはもう国全体で考えていただくという大きな流れになっておりますから、小学校でも、クラス単位、学年単位、学校単位なのか分かりませんが、その種火を早く見つけて早く消していくということが今求められている。
逆に、そのクラス単位でストレスがない、ストレスから解放されているようなクラスであれば、そこはお互いの協力が促進されるというようなことで、ですので、どういう環境なのかによってその考え方がプラスに行く場合もあるしマイナスに行く場合もあると。
実際に、包括的性教育の国際セクシュアリティ教育ガイダンスの中でもそのように記載がされておりまして、クラス単位での実施ということになりますと、ただ、一方で講師への負担が大きくなるということもありますので、こちらとしても、その対応できる人材のより多くの育成であったりとか、先生方との密なコミュニケーションであったり、先生との連携した授業づくりというのが今後求められると思っております。
仕方なくクラス単位で小さな遊びへと移行していく。紙すきの授業をしていたけれども、作業室がなくなったので、これが裁縫の授業になったり、木工の授業で電気のこぎり使って授業していたけれども、これ、木工の作業室がなくなってしまったので、大きな機械をそのたびに運び出すわけにいかないんで、じゃ、小さな糸のこぎりを使って何か作業しようかというような話になっちゃったり。
ゼロ、一、二歳児は人手がかかるということでございまして、三歳以上はクラス単位で保育士さんがクラス担任として見るわけでございますけれども、ゼロ、一、二歳児は、例えばゼロ歳児で見ますと、配置基準で三人の子供さんに対して保育士さんが一人というようなことでございまして、複数の保育士でかかわっていくということになってきております。待機児童も、このゼロ、一、二歳の層がどうしても多くなってきております。
この子供たちを、例えば、一週間単位、クラス単位で農村に連れてきて合宿してもらう。すると、クラス単位で、一週間で一クラス三十人ですから、一カ月だと大体百五十から二百人ぐらい来てくれる。十二カ月ずっと来いというのは難しいので、十カ月来るとしたら、二千人規模の子どもたちが一週間単位で来ることになるんですよ。
教育用になれば、教育というのはやっぱりクラス単位で行うわけですから、幾ら大学院でもクラスの中に十人とか二十人とか入ってくる。そうなりますと、そのときに本当に二十台、三十台とかというスタンダードのものは何であってというようなことで用意をしていかないと、実験なんかが回せないような状況になっていくわけですね。
もっと本当にクラス単位の人数が少なくなれば、異常なというか、早くからいろいろと競争させなくても済むような、そんなことができるじゃないですかということを申し上げているんです。 それで、少し先に進みますけれども、教育基本法ではこの問題をどのように明記していたかと申しますと、たびたび引用されることですけれども、現行は第十条で「教育の目的を遂行するに必要な諸条件の整備確立」ということがうたわれています。
それは、保育園は、園児個人と接して、基本的生活習慣に重点を置き、幼稚園は、クラス単位で、一定レベルの学習に重点を置いている、その特徴の差が出ているものと考えますが、そうだとすれば、実施しようとする認定こども園でそれらの修正は可能でしょうか、お伺いいたします。
なぜなら、学校や幼稚園はクラス単位の授業をすればいいのですが、保育園は、各子供の発達に応じて基本的生活習慣を身につけるという、いわばマンツーマンの保育をしなければならないことがあるからです。ですから、混合保育は保育士の力量と園児の発達ぐあいによっていろいろなクラス編制を考えるのですが、実に大変です。 それでは、市町村が保育所に委託する時点で、国の基準どおりの園児数ですればよいとの考えがあります。
なぜなら、保育所の保育目標は、年齢に応じた基本的生活習慣を身につけることであり、クラス単位の集団生活と学習をあわせて実施している保育所がほとんどで、幼稚園の学習要綱とも合わせやすいものと思うからであります。しかし、難しいのは、保育士、教師の資格、給与など身分問題と運営上の支弁費の問題などでありまして、財政面の問題を考えると容易ではないのかなと思うわけであります。
○肥田委員 一学校当たりでは不正確ですよと申し上げたのは、学校によってクラスの数が違いますから、それを一学校当たりということにしてクラス単位で予算措置されている金額を掛けるのは、やはり少し間違いであろうかと私は思っておりますので、これ以上この件に関しては申しませんけれども、ぜひ正確を期していただきたいと思います。 学校図書館の図書の達成率はパーセントで公表されております。
というのは、この交付税がクラス単位でつけられておりますから、クラス当たりの図書購入費を見ますと、先ほど例示しました最高の神奈川県と最低の青森県の格差は一・七五倍に縮小するんです。中学校の場合は、最高の愛知県と最低の高知県では、一校当たりの格差は三・三四倍ですが、一クラス当たりになりますと、その格差は一・三九倍に縮小するんです。
またさらに、本年度から同じく全県立高等学校の一年生を主に対象としまして、年間、各学校五、六回程度、クラス単位によるボランティア活動とか、あるいは部活動等のグループ単位等による福祉活動等を行います高校生地域貢献事業を実施いたしまして、地域社会に対する参画意識など、地域を支える人材としての自覚と態度をはぐくんでいきたいと。
また、算定基準を児童生徒数から学級数としたのは、食に関する指導は、給食時間や各教科での指導などクラス単位が中心となっているためであります。基本的には、学級数を単位とすることが望ましいと考えました。このため、単独実施校については学級数によって配置をするというふうにしております。
選択肢がふえるということは、今までの学級で高校一年、高校二年、高校三年、全部四十人ずつでやっていくという形ではなくて、もう高校二年あるいは三年になると、同じ数学でも分かれてきたりとか、英語でも分かれてきたり、当然クラス単位が小さくなります。 したがいまして、私は、人数、高校生の数に応じた形でやっていった方が、むしろその実態に合うんだろうな、そういうことで今回の提案がなされているわけであります。
そういうことになると、クラス単位に、例えば中学一年二組、次は三組というふうにまとめて体験をするということがあっていいのではないかな。今のスタイルですと、興味のある人あるいは機会があった人しか参加できないということになりかねませんから、ぜひ組織的に体験をさせるという方策が考えられるべきではないか。
この法律というのは、いわゆる対面式授業、クラス単位ということを前提にして、いわば画一的に定められております。四十人学級ですから、四十一人になれば二十人と二十一人というふうにクラス分けされます。そして一方では、四十人のクラスと二十一人のクラスというふうになるわけでございます。
あるいは、生徒同士で互いの長所を褒め合う肯定メッセージというのをクラス単位で、これは新しい試みだと思うのですね、つまり、あのいじめ問題をひとつみんなで真剣に話そう、そしてお互いにむしろ長所を褒め合うような、そういうクラス指導をした。
あるいはクラス単位に分かれますので、そういうクラス単位による生徒指導が容易であるとか、それから効率的な学校運営が行われるというようなメリットが従来あるということで単位制と学年制というものが併用されている。 ところが、学年制が併用されているがために、一単位でも落とすとまた同じ学年をやらなきゃいかぬ、いわゆる留年みたいな形があるというような弊害も指摘されておるわけでございます。
そういった点をもう少し精査いたしまして、今のいわゆる全学校的な行事だけではなくて単にクラス単位での活動等もございますし、そういうのが全部いわゆる勤務時間、勤務期間として計上されているようなケースもございますし、よく実態を把握しながら今後の四週六休制への対応の参考材料とさせていただきたいと考えております。
○政府委員(加戸守行君) もちろん夏休み等の夏季休業期間中につきましても、児童生徒の登校日、あるいはそれぞれクラス単位、学校単位の別はございますけれども、教育活動等が実施されている期間もございますし、あるいは教職員が研修する期間等もございますし、そういった諸般の活動が行われていることは実態的に認められるわけでございますが、先ほど申し上げましたように、現在十八県においては夏休み中のまとめどり方式が実施