1953-07-27 第16回国会 衆議院 外務委員会 第20号
この間四月には、参謀大佐のバソール、それからギボン少佐の一行と、政府からは外務、大蔵、農林、それから調達庁、こういうような関係機関の高官連中が二十数名おいでになりまして、わざわざその予定地を視察してくださつたのでございまして、午後には、今度は日米会談というのが北海道の門別において行われたわけでございます。そのときに私は、バソール大佐に向つて、その反対の理由を申し上げておいたのであります。
この間四月には、参謀大佐のバソール、それからギボン少佐の一行と、政府からは外務、大蔵、農林、それから調達庁、こういうような関係機関の高官連中が二十数名おいでになりまして、わざわざその予定地を視察してくださつたのでございまして、午後には、今度は日米会談というのが北海道の門別において行われたわけでございます。そのときに私は、バソール大佐に向つて、その反対の理由を申し上げておいたのであります。
これに関しましては特に先々月の五月二十四日米軍の参謀大佐パソール、並びにギボン少佐の一行と、さらに外務省、大蔵省、特調、農林省のいわゆる日米合同委員会の関係者が門別町に乗り込んで、門別町の町議会議事堂におきまして合同委員会が持たれた。それを契機といたしまして、最近の情報によりますと、ここ一週間以内にこれを決定するやの情報を私は耳にいたしたのであります。