1994-11-18 第131回国会 参議院 政治改革に関する特別委員会 第5号
しかし、結局社会党が利益を得て、ソ連は要求されるままに施しを与えるだけだった」という、元KGBの社会党工作担当者と言われている人で現在ロシア東洋学研究所のキリチェンコ国際学術交流部長の証言をベースにこの本は、一九九二年の春に公開されたソ連共産党中央委員会関係の公文書の中から、社会党に提供された資金の記録の多くの具体例を書いております。私はこれを読みまして大変驚きました。
しかし、結局社会党が利益を得て、ソ連は要求されるままに施しを与えるだけだった」という、元KGBの社会党工作担当者と言われている人で現在ロシア東洋学研究所のキリチェンコ国際学術交流部長の証言をベースにこの本は、一九九二年の春に公開されたソ連共産党中央委員会関係の公文書の中から、社会党に提供された資金の記録の多くの具体例を書いております。私はこれを読みまして大変驚きました。
このときソビエト側の極東研究所長でありますキリチェンコ氏は一九四九年の時点で墓地の数が三百四十一カ所あった、埋葬者は三万四千四百二十二人であり、その後一九五九年には百七十八カ所の墓地が閉鎖されたと述べております。閉鎖された百七十八カ所の墓地はその後工場用地などに化したためにほとんどなくなってしまった、こういう問題がソビエトの極東研究所長によって指摘をされているのであります。
次に、シベリア抑留者のことについてちょっと質問させていただきますが、これも今度ゴルバチョフ大統領が見えて両国政府間での協定がいろいろ結ばれたということで、これからということのようでありますけれども、次第に実情が明確になってくるわけでございますが、抑留者あるいは死亡者、帰還者等の数字が幾つかの資料によるともう大変まちまちでございまして、日本政府は抑留者五十七万五千、死亡五万五千と言っているし、キリチェンコ
これは全国抑留者補償協議会、俗に全抑協と言われておりますが、そことソ連側のソ日相互理解協議会のキリチェンコ氏などと民間団体でずっと話し合いが行われてまいりまして、この労働証明書の発行については一応窓口の団体といたしまして日ソの民間団体で旗上げをする、こういうことになりまして、名称も国際相互理解協議会、こういう名称でいこう、そして日本側からは日本赤十字、日弁連、全抑協などが日本側の民間団体としては入る
ソ連側はキリチェンコさん、日本側は全抑協の斎藤六郎会長などの長年にわたる努力によってようやく解決のめどが出てきたこと、これは非常にいいことだと私は思うんです、私もいろいろかかわってきたんですが。 しかし、日本政府にも大きな責任があるんです。ソ連だけじゃありません。大体、戦陣訓で死して虜囚の辱めを受けるなということで、捕虜になっちゃいかぬということにされていたんだから。捕虜になるぐらいなら死ねと。
私も十何年、合わせて十何回、当委員会なり各委員会で質問を続けてまいったわけでございますが、ゴルバチョフも来月は名簿を持って正式に参りますし、労働証明書というものもキリチェンコの関係団体と約束したようでございますけれども、そうなると、裁判の行方、戦後処理は終わったというかつての報告、さらに加えて「ザ・セッド・パワー」というジュネーブ条約の解釈がどういうことかということになりますと、戦後、「ザ・セッド・パワー
○猪木寛至君 総理にちょっとお伺いいたしますけれども、シベリア抑留問題についてということで、アレクセイ・キリチェンコという人が非は我がソ連にありということを言っているんですが、ある雑誌でこれは紹介されているんですが、対日参戦合法論の見直しというようなことや、それからもう一つは、五十九万人でしょうか、抑留されたあれは。今後日ソの関係がよくなっていくときに、こういう問題は論議されるんでしょうか。
○政府委員(都甲岳洋君) キリチェンコさんは東洋学研究所の部長でございますので、それなりにソ連の科学者の間では権威のある地位におられるということでございます。直接に政府に対する助言機関ではございませんけれども、政府に対してもいろいろな形の助言を行っているということは事実上ございます。
○猪木寛至君 このキリチェンコ氏は科学アカデミーという紹介があるんですが、実際にはこの人の立場というんでしょうか、これはソ連の中においてどのような位置づけにあるんでしょうか。
また、先ほど申しましたように、ソ連のキリチェンコという日本の研究者が、やっぱり第二次大戦の日本人の捕虜の問題で、我々は誤ったことをしたので謝る必要があるということを言っております。また同様にソ連のジャーナリストが、ドイツ人に対しても同じようなことを我々はしたんだ、これはやはり謝る必要がある問題であるということを言っております。
さらにノーボエ・ブレーミヤという機関紙でありますが、これにアレクセイ・キリチェンコという人が、抑留者のうち六万人もが死亡してソ連領内に埋葬されている、ソ連はこの問題を無視してきた、しかし日本人の祖先に対する尊敬と供養の念、これを考慮するならば北方領土問題よりも深刻な問題であるということを言っておるわけであります。