2021-02-22 第204回国会 衆議院 予算委員会 第15号
二十世紀の終わり頃に、アメリカの政治学者サミュエル・ハンチントンが、日本は、キリスト教文明でもない、イスラム文明でもない、中華文明でもない、日本はどの文明にも属さない日本文明であると喝破したことがありました。
二十世紀の終わり頃に、アメリカの政治学者サミュエル・ハンチントンが、日本は、キリスト教文明でもない、イスラム文明でもない、中華文明でもない、日本はどの文明にも属さない日本文明であると喝破したことがありました。
ただ一方で、日本人だれしもあると思いますが、我々は戦争で負けた、西欧キリスト教文明にやっぱり牛耳られた、日本は頑張ったけど負けたと、今度中国がアジア、いわゆる儒教文明の旗手として立ち上がっていると、そういうやっぱり、何となくそういう気持ちというのも多分日本人全体にあることはあると思うわけです。
○国務大臣(舛添要一君) 例えば、キリスト教文明の社会であったら、ES、今アメリカの例が出ましたけれども、やはり宗教者の方からかなりクレームが出るんではないかなというのがあるんです。
時間をかけて、結果的にECをつくり、そして今通貨の統合まで来たというのは、これはかなり、皆譲るところは譲ったし、妥協もしただろうし、いろいろ交渉はあったんだと思いますけれども、少なくとも十五が二十五にふえ、今さらにまたふえていこうとしているというのは、EAS、東アジア共同体というものをやろうとしている我々にとりましては、条件は向こうの方がまだ、昔のシャルルマーニュ大帝のときと一緒ではないかとか、キリスト教文明
日本文明というのは珍しく、ほかの文明というのは国をまたがっているわけですね、キリスト教文明とかヒンズー教とか、宗教的なエリアで文明というのを位置づけておりますけれども、そういう中で、日本は日本という一つの国が一つの文明である、こういう位置づけをハンチントンがしているわけですね。それはそれで、私は一つの学問的なかなり的確な見方であるというふうに思うんですね。
ただ、私どもの感覚からすれば、西欧社会、キリスト教文明、これは一神教で、それなりに、理解というところまでいくかどうかは別として、ある程度のめどはついていると。ところが、どうもイスラム社会というと、そことまた兄弟宗教ということ自体、知識として国民の間に広まっているかどうかは疑問と言われるくらい遠い存在になっている、ここのところの原因は何なんだろうかと。
そしてまた、特に文明の衝突という観点からいきますと、正直申し上げて、キリスト教文明対イスラム文明の衝突を避ける必要があるということを議論しておりますけれども、現に、イスラム教国の多くの国々では、まだまだ基本的な人権さえ認められていない、女性の人権さえ与えられていない、民主的な体制もない、貧富の格差は極めて大きく貧困があまねくばっこしている。
きょう午前中にも少し関連する山本さんから話があったわけでありますが、私、国際化時代になりますと、キリスト教文明を中心とした今の近代文明、ヨーロッパ文明と同じぐらい、同じ以上に、イスラムに対する、イスラムの文化についてきちんとした理解をすることが必要だというふうに思うわけであります。
二番目が、地政学上、キリスト教文明上保護すべき立場、これはユーゴ地域等が入ります。三番目が、権益も地政学的にも重要でないという部分でございます。これはアフリカ等が彼らにとって対象物ということになりまして、じゃ中東地域の一番の米国の権益が死活的に絡む地域では彼らはどう考えるかといいますと、基本的に米国の軍事力で片をつける、ただし資金は日本とドイツが資金援助をすると、これが本音の部分でございます。
今先生おっしゃられたとおり、東アジアでこれからそういったものがソフトな形でもできていくかどうかということを考えるときに、ヨーロッパには、よく言われるのは、キリスト教文明という一つの共通の基盤があるとか、あるいはローマ文明という共通の源を持っているというようなことが語られて、そこが東アジアと決定的に違うんだというような言われ方をします。
ですから、アメリカの場合、宗教、キリスト教文明圏、欧米は全部そうですけれども、個人が神と契約して善行をするということに非常に価値を置く日常生活、社会的な価値観というのがあるところです。日本もそれは多少はありますし、そういう人もいるけれども、全体としてはやはり国が最終的には責任を負うという文化なんですね。そしてそういうシステムとしてやってきました。
この臓器移植が行われるようになりましたのは、御案内のように、キリスト教文明の世界から発生をしております。だから、アメリカ、カナダ、ヨーロッパ、ソ連も含めて、ソ連のロシア正教会はキリスト教の分かれでございますから、そういったところでこの臓器移植が行われている。
キリスト教文明のアメリカやあるいはイスラム文明のエジプトと違う、インドのヒンズー文明と違う、日本には日本のそういう精神的土壌がありますね。その精神的土壌というものを自分たちでもっとよくきわめて分析して、キリスト教文明のアメリカやあるいは回教文明とどう違うか、それはどういうふうに発展していったらいいだろうか、そういう文明史形成という面から基礎的な研究をもっとやる必要があるだろう。
間で次々に繰りひろげられる奇矯な姿態、方法による乱交、鶏姦、獣姦、口淫、同性愛等の性的場面であるが、 ということを挙げながら 以上の一場面、一場面の間に、原著者マルキ・ド・サドは、ジュリエットその他の登場人物の口を通じて、自然の法理とか、政治や宗教についての彼一流の思想、哲学を語るのであるが、それは、一八世紀のヨーロッパの精神的潮流となった素朴な進歩主義や性善説に立つ啓蒙思想、腐敗堕落したキリスト教文明
そうしてやはり人間の中におけるハーモニーといいますか、予定調和というものをある程度信仰した哲学的な立場に立って、これはやはりキリスト教文明が背景にあるから非常に長いと思います。長いけれども、たとえばアメリカのダレスさんのような場合は、長いくせにやはり年が来ておるから、立ちわざをやろうとする。自分の生理的寿命と国や世界の政治的寿命と混合したという感じもありますね。
成る程世界と密接なる関係を保つようになりまして、西暦を用いる場合が便利な場合もありますが、併しこれは飽くまでキリスト教文明の下に立脚しておるものでありまして、我が国は言うまでもなくそれとは異なる文化の系統を経て発達して来ておるのであります。
西洋文化は御承知の通り、ギリシャ文明、キリスト教文明、近代科学の集積であると思うのであります。今私の考えておりまする高度民主主義こそは、その集積に基づくものでありまして、平和主義の根柢となるものと信ずるのであります。又民主主義の裏附けなくしては、世界恒久平和の実現は不可能であると信ずるのであります。
西洋文明は、ギリシヤ文明、キリスト教文明、近代科学の集積であると考えるのであります。 今私の考えておりまする高度民主主義は、その集積に基くものでありまするとともに、平和主義の根柢となるものであります。この民主主義の裏づけなくしては、決して平和主義の実現を全うすることができない。世界平和の実現は不可能なるものであると考えるのであります。