2008-04-21 第169回国会 衆議院 決算行政監視委員会第二分科会 第1号
ただ、持っておりますが、それが横須賀を定係港とするということで、また乗組員がほとんどかわりますので、今まで、それでも、キティーであれば横須賀のいろいろなこともわかっている、日本とは、横須賀とは、神奈川県とはということは理解をしておるわけでございますが、新しい乗組員がやってくるということになりますと、これが定係港になりました、夏に横須賀に入りました、そこから日本の勉強をしましょうということでは全然だめなので
ただ、持っておりますが、それが横須賀を定係港とするということで、また乗組員がほとんどかわりますので、今まで、それでも、キティーであれば横須賀のいろいろなこともわかっている、日本とは、横須賀とは、神奈川県とはということは理解をしておるわけでございますが、新しい乗組員がやってくるということになりますと、これが定係港になりました、夏に横須賀に入りました、そこから日本の勉強をしましょうということでは全然だめなので
この前、キティーホークがずっと、油の流用みたいな問題が生じたときに、キティー空母の航跡といいますか、どういうふうに移動したかということを見たら、日本の横須賀基地から出発して、政府が言うところのOEF・MIOの活動に参加し、そしてサザンウオッチ作戦に参加し、そしてまた横須賀に帰ってくる、そういう行動をしているわけですよ。
このとおり、「したがって、キティー・ホークに提供された八十万ガロンの燃料は、」と、米国側のメモで言っているわけだから、やはり「ときわ」からペコスに二十万ガロンというのはおかしいんじゃないのと。これは防衛庁も内閣官房も外務省もそういうふうに思わないというのが不思議でなりません。
官房長官、このメモを見ていただきますと、日本語訳を読みますと、「キティー・ホークは、不朽の自由作戦支援中の二月二十五日、オマーン湾において米軍補給艦ペコスから約八十万ガロンの燃料を受給した。イラクの自由作戦に関連する戦闘行動は三月二十日以前には始まっていない。空母は一日約二十万ガロンの燃料油を使用する。
○石破国務大臣 委員の御指摘は、私どもの補給艦からペコスに補給をする、そのペコスからキティーに行くということが、バーレーンでの調整時点において、はっきりとペコスからキティーに、あるいはどのような船に行くかということまで確認できたかというと、それはいかがなものかという気が正直言ってしないわけではありません。
その下に私ども、分析をし、先般、キティーにつきます議論はさせていただきました。あるいは、そのほかの御指摘につきましても私ども政府として誠心誠意御説明をいたしたい。 それは、委員がおっしゃいますように、そもそも憲法違反だと、そもそも駄目なんだというお話になれば、どんなに努力して資料を出したって一緒じゃないかと言われれば、それはそうかもしれません、そうであるかもしれません。
(発言する者あり)そうしたら、キティーの関係を、こちらでぶつぶつ言っていますから、ちょっと御答弁ください。
キティーにつきましては、今、前長官の方から、それは許可をしたというようなお話がございました。私もそのように承っておることでございまして、これはシビリアンコントロールに反するものでもございません。そして、これを警護という形で行ったのではなくて、調査研究ということの一環として、長官の許可のもとに行ったということに私は何ら問題がないと考えております。
私どもといたしましては、私どもが補給をいたしました油、それがキティーとかどの船とか、そういうことを私は申し上げる立場にございません。その私どもが補給をいたしました油というものは、交換公文も締結をしておるわけでございますし、何度も何度も確認をしておることでございます。
今委員御指摘の、アメリカの、空母はキティーしかいないわけですから、これはもうだれがどう見てもキティーだということはわかるわけでございますけれども、私どもの船ではございません。したがいまして、私ども日本政府として、その船の名前というものを個々申し上げるという立場にないということだと思います。
したがって、キティーがどうのこうのという、こういう議論にはならないのだろうと思っております。 いずれにいたしましても、キティーホーク機動部隊に所属する艦艇のすべてがイラク攻撃関連に従事をしておったというふうには承知をいたしておりません。どの船が何月何日に、もちろんイラク攻撃がいつ始まったかというのははっきりしておるわけでございますが、その前は不朽の自由作戦というものだけやっておったわけですね。
さすれば、それが、例えば今、キティーのお話をなさいました。キティーホークのお話をなさいました。それがアフガニスタンとそしてまたイラク攻撃と同時にやっておるということがあるとするならば、それは法の目的というものを外れる部分というのが出てくるわけだと思います。これは、あなたはその確証がありますか、それを確かめましたか、行って一々見ましたかと言われれば、それはやっていないというふうに申し上げます。
十二号バースは、旧海軍時代につくられて使用されてきたものだということで、大変老朽化している、老朽したままほっておきますと安全上問題がありますから直さなきゃいけない、しかもまた同時に長さも足りないということで、空母キティーの係留とか修理についても差し支えが出ているということでございますので、現在私どもは、先生御案内のとおり、汚染土が出てきてしまいましたから、その除去に努めていますけれども、それが終わり
終戦後から十年間ぐらいキティー台風ですとかいろいろ大規模な洪水がありまして、大変な被害を生じたわけでありますが、最近は幸いにある程度そういう台風が参りましても抵抗力が強くなった、森林の方の整備はそういう意味では進んできているというふうに思っております。
実はキティー台風としてトータルをまとめた数字があるのでございますが、東京湾内というふうにはなっておりません。流失した船舶は、二千七百二十二隻という数字になっております。
ちょっとさかのぼって古い話でございますが、昭和二十四年にキティー台風がございましたが、京浜港でどれくらいの船が沈没しておりますか。
ちなみに私の方の三千町歩の排水の実態について申し上げてみますと、これは何ミリ何ミリということが妥当でございますけれども、馬力数で表現した方が、妥当ではございませんがおわかりいいと思いますので申し上げますが、キティー台風を例にとりまして、大体一町に一馬力ぐらいという感じでおりましたが、とてもこれではどうにもなりませんということで、今度の国営事業あるいはがんがい排水事業の中で何とか倍ぐらいに排水能力を上
戦後で言えば、キティー台風、狩野川台風、伊勢湾台風、多くの台風が襲来したわけでございます。しかし、これらに対してもこの神田川はいわゆる出水から免れ得たわけでございます。 ところが最近に至りまして、はんらん、出水が続出をいたしております。昭和五十三年四月六日午後四時三十分ごろより約四十ミリの降雨がございまして、午後五時過ぎ大はんらんを起こしまして、多くの家屋及び工場が浸水をいたしております。
それじゃこの四十年間雨量三十ミリ以下の降雨量ばかりであったのかというと、キティー台風などのような場合は異常な降雨量があったわけですね。そのときもこの神田川は耐え得ているわけです。
四七年のキャスリン台風、四八年にはアイオン台風、四九年にはキティー台風、五〇年にはジェーン台風、五一年にはルース台風、五二年にはダイナ台風、これはアメリカがつけた名前でございますが、例年台風が日本を襲ってきたわけでございます。で、引き続きまして五三年には十三号台風、五八年には狩野川台風、そして五九年の伊勢湾台風、六一年の第二室戸台風、こう続いてきたわけですね。
本防波堤は二十四年九月にキティー台風で崩壊をいたしまして、二十七年に完成をいたしました。さらに三十三年九月の狩好川のあの台風によって前面根っこが七十九メートル、これが崩壊いたしましたが復旧をしていただきました。さらに三十六年九月に室戸台風で同個所が大幅に決壊、そして三十七年災害復旧工事で完成をしていただいております。
私は群馬でございますので、群馬を中心に考えてみるわけですが、終戦後、あの二十二年、二十三年、二十四年にキティー、アイオン、カザリンですか、台風の被害があり、それから三十五年、三十六年にあったのですが、従来はほとんど群馬県では水の被害でございました。
ところがそこは昭和二十二年、二十三年、二十四年のカザリン、アイオン、キティー台風で一ぺんに流れて、認定当時河川状態と田畑との境であったと思われるところから八十メートルから九十メートルも入ったところなんです。したがって、そういう図面を堂々とつくり、これによって行政することは、これをもし徹底的にやろうとするならば、これは公文書の偽造行使だと、私はこう言っておる。
東京都の場合、キティー台風が参りましたときに、河川敷内におけるいろいろの問題があったわけです。そのときに、大体河川敷内におけるいろいろの施設は許可しない方針だということを打ち立てたわけです。
そのために例えば私が参りましたのは丁度九月末から十月の初めですが、その後にキティー台風があつたために相当の数千万円かけた波止場がすつかり波浪にさらわれてしまつた。又畠もすつかり汐をかぶつてしまつたということで、税務署の方で内地並の税をかけられるということは自然を相手に闘つておるあの農業又漁村では非常にきつい状況であります。
先般もキティー台風が関東地方を中心に襲つたときに、たくさんの被害が生じました。東海道の海岸で全然知らぬ間に家をさらわれた人たちが押しかけて来た。それを今日御列席の矢野次官のところへ案内したところが、非常に親切な取扱いを受けましてそのために地方的な人心が非常に緩和したのみならず、その結果として県営の住宅までもつくつていただくような結果になつた。こういうように厚生省の行政は、金ばかりでない。