1984-02-15 第101回国会 衆議院 予算委員会 第4号
それからガーナードという船が二回入っておりまして、五月二十六日から六月十二日まででございます。これは横須賀。それから二回目が八月十八日から八月二十一日まで、これは横須賀でございます。それからドラムという船が六月四日から六月十三日まで横須賀でございます。それからアスプロという船が二回入っておりまして、八月四日から八月十五日まで横須賀でございます。
それからガーナードという船が二回入っておりまして、五月二十六日から六月十二日まででございます。これは横須賀。それから二回目が八月十八日から八月二十一日まで、これは横須賀でございます。それからドラムという船が六月四日から六月十三日まで横須賀でございます。それからアスプロという船が二回入っておりまして、八月四日から八月十五日まで横須賀でございます。
○伊原政府委員 ただいまの先生の御質問は、ピアに着いたのがいつでどこであるか、こういう御質問かと思いますが、二隻のうち、最初のものは四十七年八月二十日、ガーナードが十五時五十一分に着きまして、十八時十八分に出ております。それからその次、ホークビルが四十七年八月二十一日の二十二時四十三分に接岸いたしまして、翌二十二日の零時三分、真夜中に出ております。
○伊原政府委員 ただいまの先生の御質問は、ピアに着いたのがいつでどこであるか、こういう御質問かと思いますが、二隻のうち、最初のものは四十七年八月二十日、ガーナードが十五時五十一分に着きまして、十八時十八分に出ております。それからその次、ホークビルが四十七年八月二十一日の二十二時四十三分に接岸いたしまして、翌二十二日の零時三分、真夜中に出ております。
ところが、入院中にもこの機械は、ふしぎなことに、アメリカの原子力潜水艦、横須賀に入ったガーナードというものの試料の分析を刻々やって、セリウムとコバルトの分析をやっている。 それからもう一つ、LBC20という機械は、十ゴ月七日から十二日まで、同じ日本無線医理学研究所に入院をしております。
がたいへんもったいないわけでありますから、私のほうから申し上げますが、ノーチラス型、スレッシャー型——スレッシャー型にはパーミット型などという改装型が入っておりますが、あるいは後にスタージョン型もあるわけでありますけれども、那覇に、 つまり沖繩に入ってきている原子力潜水艦、これが通知が来るようになりましてからのものは、六九年の十月にサーゴ号が入ってきたのが記録上最初でございまして、十二月にスヌークが入りまして、以来、ガーナード
そのあとにクイーンフィシュ、あるいはガーナード、アスプロ、こういうような船がずっと入ってきておる。これは私は実は取り上げまして、この席で申し上げた。かくて結論を申し上げますれば——全部調べてありますけれども、まだこちらにもありますが、これは最近のものを調べたのでありますが、鉛筆書きで持っている。これが政府の皆さんの記録の中にまだ入っていないものでありますからそれも調べてみました。
スタージョンが一回、ガーナード一回、アスプロ一回、トートグ三回、合計六回。こういうことで合計二十一回、木村さんの表現によるとサブロックを搭載し得るものが入ってきている。私の調査に基づく、先ほど御質問いたしましたアメリカ議会の証言でいえば、戦術任務についているサブマリン、つまりアタックサブマリン、攻撃型原子力推進によるもの、これは四十四隻あって、そのうちの三十四隻はサブロックを搭載している。
それからガーナード、これも以後の型であります。それからアスプロ、このアスプロというのは、前回の、いまできております三千七百五十トンよりさらに大きくなって三千八百六十トン、これまで実は入ってきている。