2013-03-25 第183回国会 参議院 総務委員会 第3号
それは戦災復興から始まって、世界銀行、それからガリオア・エロアだとか、そういうようないろんな融資を受けて日本の国は立ち直ってきましたが、ようやっと借金をしなくて済んだと、ああ御苦労さまでしたと言って配ったのが一億円だった気がしているわけであります。 今は、この厳しい経済情勢の中であしたの日本をどうしていくんだろうかと、こういう中で、せっぱ詰まった状況での立て直しのための一つであります。
それは戦災復興から始まって、世界銀行、それからガリオア・エロアだとか、そういうようないろんな融資を受けて日本の国は立ち直ってきましたが、ようやっと借金をしなくて済んだと、ああ御苦労さまでしたと言って配ったのが一億円だった気がしているわけであります。 今は、この厳しい経済情勢の中であしたの日本をどうしていくんだろうかと、こういう中で、せっぱ詰まった状況での立て直しのための一つであります。
これはポーツマスの、いわゆるロシアとの戦争をやりましたときの軍事公債の返還に当たっての経緯ですけれども、それ以後も、いわゆる新幹線始めいろいろな形、また戦後のガリオア・エロアの返済基金等々、これは一日たりとも遅れずきっちり履行したという実績がありますんで、私どもは、そういったところは極めて、借りた金はきっちりやるというのが対応として正しい対応だと思って、これまでもずっとそういう態度でやってき続けてきました
しかし同時に、その国との関係を長い目で見ますと、あの国の言うことは信用できる、例えば日本は、ポーツマスの条約で、少なくとも、あの当時五百万ポンドの軍事公債というものを、市場で調達した軍事公債は、以後今日まで、一銭たりともまけることなく、一日たりとも期日におくれることなく、日本は国家として世界から借りた金は、ガリオア・エロアの救済基金、新幹線の世界銀行からの借り入れを含めて数々の借り入れを我々しておりますけれども
日本は、戦後の荒廃から目覚ましい復興を遂げるに当たってガリオア・エロア資金から多大な援助を受け、今日の礎を築いてまいりました。忘れてはならないことであります。この経緯を踏まえ、昭和二十九年からは我が国がODAを開始し、アジアはもとより途上国の社会経済の発展のため、現在まで百八十五か国に対し約三十三兆円もの多額のODA資金を拠出をいたしております。
日本は、戦後の昭和二十一年から二十六年まで、アメリカのガリオア・エロア資金から現在の価格で十二兆円に上る巨額な援助を受けて驚異的な経済復興を果たすことができました。 そして、昭和二十九年には、今度は日本が東アジアを始めとする開発途上国に対して政府開発援助を開始し、昨年はちょうど五十年の節目を迎えることになりました。
我々が、危険はなかったかもしれないけれども、本当に貧しい戦後の復興の時代に、アメリカから供与されたガリオア・エロア資金あるいは物資、ああいったものがいかばかりか日本の戦後の発展に役立ったかということを考えたときに、むしろ今だからこそ、日本は、イラクに対する、今言われた車の両輪である資金、人、両面を通ずる復興支援協力というものが必要なんだ、私はそう考えております。
生い立ちも、我が国の場合はガリオア・エロア資金だったわけですけれども、KFWはマーシャル・プランのお金でできており、中小企業金融等を行っております。 どこも共通しておりますのは、市場で成立する金利ということを前提にいたしまして、そこから政策的に優遇する場合には国民負担が発生するわけですので、それを明示するという考え方に立っているということだろうと思います。
国益の問題でございますが、確かにアメリカの戦後の欧州におけるマーシャル・プラン、アジアにおけるガリオア・エロア、ああいったものは我々日本人も非常に感謝しているわけですね、もらった方も喜んでいる。そして同時に、アメリカ側は今先生がおっしゃったように西側世界の構築に非常に寄与した。もっと言えば、コカ・コーラとかフォードのヨーロッパ進出に非常に役立った援助でもあるわけです。
そして、今や栄養のバランスとかカロリーのバランスとか、あるいはグルメというときになっていったときに、この負担率というものが五十年前の子供たちの生命線を守ったあのガリオア・エロアのときの給食と同じ実態、あるいはあの当時よりもっとこの原則が貫かれていく行き方でいいんだろうかと私は思うんです。
米国の場合は、我が国に対するガリオア・エロア、ヨーロッパに対するマーシャル・プランなど、戦後復興に巨費を投じたぱかりではなく、国内の高速道路網を初めとする生活産業基盤の整備や先端技術につながる軍事技術の開発に多くの資本を振り向けたことが、その後の両国の経済の勢いの差になっているものと考えるものであります。
だからヨーロッパにおけるマーシャル・プランと日本に対するガリオア・エロアを初めとして、比較的生産基盤もあり知的水準も高い国に対して集中的にやればその波及効果が非常に早く及ぼしやすい状況にあったと思うんです。
先生のそういうアイデアにつきましてはまことにすばらしいものと思いますし、例えば郵政省のボランティア貯金でもいろいろな使い道があって、それが世界のお子さんたちに役に立っているということを聞くと本当にじいんと感動するものがありますし、先生は昭和二十年のお生まれではないかと思います、私は二十三年でございますが、いわゆるガリオア・エロアというのもあったわけで、我々もお世話になった部分もありますから、そういうことはよく
○渡部国務大臣 日米関係、これは先生御承知のとおりでありますけれども、戦後、マーシャル・プランあるいはガリオア・エロア資金によって、あの貧しい飢餓の状態から今日の繁栄を取り戻すまでに、日米のお互いの信頼と友情というものが世界の平和のために、また今日の日本の繁栄のために大きな役割を果たしてきたことは言うまでもないことだろうと存じます。
もう大分前、あの戦後間もなくのことを思い浮かべますと、当初ガリオア・エロア資金というのがありました。あれで私どもはどうやら飢餓から脱出し、日本の産業の復興が端緒についたのではないかな、こう思っているところでございます。
先ほどガリオア・エロアというお話がございました。私自身もそういう行政に関係をいたした者として考えますと、やはりそれによって我々が飢餓を救われた、また日本の経済復興の一助にもなった。これはアメリカからの好意でございましたけれども、そういうこともございました。また、世銀からも随分借款をいたしまして、先ほど御指摘のようないろいろな社会生活の基盤をこの借款によってっくることもできたわけでございます。
しかし、その上に、当時の中華民国の蒋介石総統の対日恩情政策、またアメリカからガリオア・エロアの資金を昭和二十一年から二十四年までの四年間に十五億ドルの援助を受けているのであります。これは当時の毎年の一般会計予算の約半分ほどの多額に相当しております。
考えてみますと、戦後直後にいわゆるガリオア・エロア等々の援助を受けて、我が国はしばらくの間援助を受けた国でございましたけれども、一九六〇年代の中ごろから、賠償との関連もありまして、日本からの経済援助の問題が出てまいります。
ガリオア・エロアのお話が出ておりましたが、確かにガリオア、フルブライトの留学生、この中にもいらっしゃいますが、六千人というような者が戦後の大きな日本の頭脳であったという感を私はいつも持っております。そしてまた、ガリオア・エロアを全部計算しますと二十億ドルぐらいになるわけでございます。
しかし、当時のアメリカからのガリオア・エロアを含むそうした援助ということがあったという事実も、私は忘れてはならないと思います。 そうして今日に至ったわけでございますが、されば、充実した社会、充実した社会と言われるけれども、本当に真の豊かさを実感しておる人がおるだろうかということになりますと、私はここに大変なギャップがあるというふうに思っております。
それからMSA、ガリオア、エロア、そういうものから、フランスの、ディエンビエンフーの、ベトナム戦争をアメリカが肩がわりして、五万六千人も若い人の命をなくして、その戦費が逆にアメリカの財政赤字になってきた。アメリカは、日本の総予算と同じほどの軍事費を使って、世界の平和、特にその平和の中で日本というのが経済繁栄を保ってきた。
それからガリオア、エロア、ひいてはユニセフ、こういうことになるわけでありますが、あれを全部カウントしてみますと、非常に大ざっぱで申しわけありませんが二十億ドルぐらいで、うち五億ドルぐらい返しておりますから十五億ドルというのが、あの時代でございます、無償であったということを考えると、やはりそういう時代を想起すべきじゃないか。