2018-02-21 第196回国会 参議院 国際経済・外交に関する調査会 第3号
私自身は、一九八〇年以降、日本のNGOの一員として、タイ、カンボジア国境のカンボジア難民、ラオス難民、ベトナム難民の救援から関わり、その後、約十二、三年、タイ、シンガポール、カンボジア、ベトナムなどで十二年、十三年ほど過ごしてきました。
私自身は、一九八〇年以降、日本のNGOの一員として、タイ、カンボジア国境のカンボジア難民、ラオス難民、ベトナム難民の救援から関わり、その後、約十二、三年、タイ、シンガポール、カンボジア、ベトナムなどで十二年、十三年ほど過ごしてきました。
ベトナム、カンボジア国境でなぜ使われたかというと、クラスター弾というのは不発率が物すごく高いんです。ですから、これはばらまいて地雷原になるわけですね。普通の地雷ですと、土の表面に近いところですから、探し出して、処理もまだクラスター弾よりはやりやすいんですけれども、突き刺さったものは深くに入っているし、ジャングルなんかで空中の方ですと、上にひっかかったまま。
中曽根外務大臣のホームページを見させていただきましたら、タイとカンボジア国境に行っていられるんですね、五、六年前ですか。五、六年前行っておられて、その写真も載っておりました。そして、十二月三日のスピーチにおいても、NGOの活動に対して敬意を表するという立派なスピーチをされておられます。外務大臣の一声でどうにもなることですから、どんどんNGOをバックアップしていただきたいと思います。
様々なことを学びましたが、その中で特に私は印象というか、鮮烈な印象を受けたのは、タイとカンボジア国境のマーケット、市場ですね、大きな市場があったんですけれども、そこで劣悪な環境の中で働いている小さな子供たち、幼い子供たちの働く姿でありました。
私自身は、過去二十四年間、国際協力ということで、紛争地、タイ、カンボジア国境、日本と国交のなかったころのカンボジア、ベトナム、ソマリア、エチオピアなどで活動してきました。その他、短期間ではありますけれども、旧ユーゴ、ルワンダ、最近でいえばアフガン、イラク、パレスチナ等で活動してきました。その一人の働き手の立場から御意見を申し上げたいというふうに思います。
カンボジア紛争時代、ベトナムは大量の軍隊をカンボジアに、約十八個師団でカンボジアを占領したとき、そのときタイとカンボジア国境にベトナム軍の師団がたくさん集中しました。こういうような危機に直面するとき、アメリカは何も我々にこたえてくれませんでした。米軍基地のメリットは地域内にはだんだん減ってきたことが我々の認識です。やっぱり北東アジアだと思いますね。 以上です。
タイのカンボジア国境にいましたカンボジア難民に十年以上にわたって私たちかかわってきたわけで、ことし一月から始まりました選挙のための難民帰還まで活動してきたわけですけれども、この人たちとつき合う中で、本当に難民の問題を解決するあるいはその人が置かれている状況を解決するということは、二度と難民を発生させないということが必要だろうと思うんですね。
それから第二点は、その後、プノンマライというタイ、カンボジア国境におきましてポル・ポト派が先週の土曜日でございましたか記者会見をいたしましたけれども、その際もポル・ポト派のスポークスマンは、SNCから離脱をするものではない、そしてパリ和平協定については今後とも遵守をしていくということをはっきりと述べておるということからいたしまして、基本的にポル・ポト派として、パリ和平協定を守らない、あるいはSNCを
これは別に大人の責任であって子供の責任じゃないのですが、いずれにしても、地雷原と言われるように、これも大体二十州ある中の三州か四州ぐらいです、カンボジア国境に隣接しておる州ぐらいなんですが、そこに集中している。時にはジャングルの中にもこれがまかれているわけでしょう。 そうすると、何といっても、これはUNTACが支援をするといっても限界があると思います。
特にカンボジア国境付近では何十万発とかいう規模の地雷がまだ埋まっていて、毎月二百人から三百人もの人が地雷の犠牲になっているということを聞いております。 先般、ペルシャ湾に自衛隊の掃海艇が派遣されたわけで、機雷の処理を行ったわけですけれども、政治的ないきさつは別として、この処理に当たった隊員の献身、努力というものは高く評価をするわけでございますけれども、この地雷の問題ですね。
そしてそれは、バンコク周辺であったり、あるいはカンボジア国境周辺等にも行ってやっております。 私が生産者価格との格差があるということを申し上げておるのは、タイ国のことを念頭に置いて言っておるわけではございません。アメリカの、日本の百二十倍の農家一戸当たりの土地、水田稲作をやる者を念頭に置きながら、近代的農業を経営しておる過程において考えておることでございます。
そうしますと、言っておられることがもう少し具体的な、あるいは日本として何をやるかという提案があるかと思ったのですけれども、昨年九月のASEAN外相共同アピールを評価している、そのアピールの実現のために協力しているとは書いてございますが、その中身を見ますと、ただタイ・カンボジア国境地帯からのベトナム軍の部分的撤退をした場合に、そこに平和維持部隊を投入したらその経費は負担をします、それから、その部分で選挙
二、ポル・ポト及びその同調者の排除、タイ・カンボジア国境の両側への安全地帯の設置。三、中国・ベトナム、中国・ラオス、タイ・ラオス各国境の安全保障。四、ポル・ポト等を排除して、自由選挙によるカンボジアの民族自決。五、これらすべての点についての国際的監視及び保障の五項目を挙げている、こういうことでございます。
最近、カンボジア国境のタイの難民村で、病気とか飢えで次々に死んでいく難民を救済しようという、若い医師のボランティア活動というのが大変目立ってきております。大臣も御存じだと思いますけれども、タイに流れ込んだカンボジア難民の医療救護活動は、難民が急増した五十四年からアメリカ、フランスなど三十七カ国、五十三団体から派遣され、その数はもう四百人を超えておるわけです。
しかしながら、これは報道では、和平機運がカンボジアにというような見出しがありましたけれども、一方では、今御指摘があったように、中越国境、タイ・カンボジア国境で攻撃が続けられている、ヒット・エンド・ランという言葉を使われておりましたけれども、このまま悪化していくのではないかというような節もあるわけなんですね。
それから、さらにお尋ねのいわゆる民主カンボジアに対する援助でございますが、これは昨年度わが国は対カンボジア国境地帯の難民あるいは被災民に対しまして、これは先生御存じのとおりに約三十億円の援助を主として国際機関を通じて供与したわけでございますが、やはりこの不幸な戦闘の結果、この被害を受けた方々に対する人道的な援助は今後とも継続していきたいというのが政府の考えでございます。
○政府委員(藤井宏昭君) この中越国境におきます武力衝突が、明らかにタイ・カンボジア国境の動きに連動しておるということはほぼ間違いないと存じます。
続いて、先日タイ、カンボジア国境で難民救済事業にボランティアとして参加していた西崎憲司さんがいわゆる不慮の事故に遭ったという痛ましい事件が発生したわけです。このことは大変な大きな問題だ。よその国の人々を助けるために何の報酬も求めずに国際的なボランティア活動に取り組む人々に対する政府の対応というものが十分でないということ。
実は十六日の夜中、タイとカンボジア国境のアランヤプラテート難民キャンプにおいて、カンボジア難民の奉仕活動に当たっていました日本奉仕センター所属の西崎憲司君という福岡県出身の三十歳の陶芸の専門家は、同じボランティアの田島誠君と奉仕センター事務局長の星野昌子さんと同難民キャンプを出たところで強盗に遭いまして、星野さんがバッグを奪われるということがあったので二人で追跡したところが、この西崎君が強盗にピストル
○政府委員(梁井新一君) 昨年の二月でございますけれども、タイ政府筋からの相当確実な情報といたしまして、ベトナム軍がカンボジア国境を越えてタイに進撃するという情報があったわけでございます。