1959-11-30 第33回国会 参議院 外務委員会 第8号
で、紹介状というものがこれは名刺かどうかはしりませんけれども、これは外務大臣名――岸外務大臣名で、当時ベトナムにあった小長谷大使、カンボジア吉岡大使、それからタイの渋沢、インドネシアの倭島、イランの山田各大使あてに文書が出されておる。移住会社の大志摩社長が貴地訪問するについては、特段の御配慮と使命達成の援助を頼むという文書が出されておるということですから、これは私信の紹介状ではありません。
で、紹介状というものがこれは名刺かどうかはしりませんけれども、これは外務大臣名――岸外務大臣名で、当時ベトナムにあった小長谷大使、カンボジア吉岡大使、それからタイの渋沢、インドネシアの倭島、イランの山田各大使あてに文書が出されておる。移住会社の大志摩社長が貴地訪問するについては、特段の御配慮と使命達成の援助を頼むという文書が出されておるということですから、これは私信の紹介状ではありません。
開発についてわが国の援助を受けたい旨の希望を明らかにし、また同年十一月中旬には、岸内閣総理大臣が第二次東南アジア訪問に当ってカンボジアを訪問し、プノンペンで同国政府首脳と会談いたしましたが、その結果経済技術協力協定の締結について原則的に合意に達しましたので、右に基いて引き続き現地の吉岡大使を通じ、先方政府と交渉を重ねて参りましたところ、このほど意見の一致を見るに至り、三月二日にプノンペンで、在カンボジア吉岡大使