2011-05-25 第177回国会 参議院 政府開発援助等に関する特別委員会 第4号
もう一点、よくニュースになるのは、例えば事故、事故といいますかね、例えばハノイで橋が崩落したよとかカントー橋がまた落ちたよとか、これは橋が多いわけですが、タイ、ラオス国境での建設現場での事故が発生している。
もう一点、よくニュースになるのは、例えば事故、事故といいますかね、例えばハノイで橋が崩落したよとかカントー橋がまた落ちたよとか、これは橋が多いわけですが、タイ、ラオス国境での建設現場での事故が発生している。
例えばインフラ、確かに日本の企業の技術力はすぐれていると言われてきましたけれども、四年ほど前、ベトナムのカントー橋の事故では五十人以上死者が出るような、大きなインフラプロジェクトにおける大失敗をやりました、ODAの円借款の事業でしたけれども。 あるいは、私の大変個人的な経験ですけれども、昔、私がJICAの職員だったころに、フィリピンの水道公社というところに技術協力をやっていました。
特に藤末先生なんかと一緒にベトナムのカントー橋の崩落について、衆議院はもたもたしている間に参議院だけは一気に現場へ入ったと。そして随分ベトナム政府からも評価をいただきました。その結果、外務省が手に入れられていなかったドラフトを帰りにいただいて、外務省が慌てふためいたということもございますけれども、やはり議員がいかに迅速に動くかということは非常に大切なことなんです。
○武正委員 今のお話で、二〇〇六年ぐらいからスタートしたということでありますが、たしかベトナムは、例のカントー橋の崩落事故ということで、この間もやはり安全操業というか、安全を旨とした円借款の見直し、あるいは第三者的なチェック機関のあり方など、そうしたことも合意をしているようでありますので、やはりこうした条項もベトナムとも入れていく必要があるのではないかなと。これは指摘にとどめておきます。
そこで、カントー橋について、これまで外務省、外務副大臣を先頭にその対応を検討してまいったということを聞いておりますが、今回、会計検査院の報告でも、「円借款の新規供与の際に相手国政府と取り交わす交換公文に、相手国政府が建設工事、施設使用等に関して安全を確保するなどの適切な措置を講ずる旨明記する方向で検討を進めて、」本年「十月以降に相手国政府との間で最終的に同意が得られた交換公文から明記することとした。
五日間にわたりましてカントー橋橋げた崩落事故現場などを視察いたしまして、ODA関連の調査を行ってまいりました。現地での素直な感想を申し上げますと、ベトナム政府は日本のODAに対しまして大変感謝をしておりました。また、現地の人々の勤勉でひたむきな姿を拝見し、大変好感を持って帰国したわけであります。
ベトナム訪問の目的は、日本のODAで建設されていたカントー橋が建設途中に崩落してしまった現場を視察するためでした。御案内のとおり、このカントー橋は日本の大手建設会社らが中心となり建設途中ではありましたが、崩落事故により非常に残念ながら現地の方々五十数名がお亡くなりになりました。実際に現地に赴いてみると、やはり橋の建設には細心の注意が必要であったのだと痛感させられました。
昨年十二月にはベトナムに調査団を派遣し、我が国のODAで建設中に崩落したカントー橋の現場視察を実施いたしました。また、十八年の通常国会においてODA特別委員会を設置し、昨年六月には中間報告を取りまとめております。引き続き、効果的、効率的なODAの実施がなされるよう、積極的に意見を述べてまいります。
しかし、来年度どのようなODA援助をベトナムに対して行うかということは今後の問題でありますので、カントー橋の事後処理等もしっかりわきまえながら検討をさせていただきたいと存じております。 それから、調査について、これ一か月以内に結論を出すということを言ったではないかという御指摘でございます。
そして、カントーというところがございますが、このカントーに今ODAで、円借で橋を建設中だったものが事故があり、橋げたが落ちたということが九月二十六日に起きました。 このカントーに建設中でございましたカントー橋は、長さが全長が二千七百五十メートル、着工いたしましたのが二〇〇四年十月でございまして、完成予定が来年の十二月ということでございます。
○政府参考人(別所浩郎君) 今の点でございますけれども、私どもといたしましては、まずこのカントー橋の建設につきましては、しっかりとした原因が判明して、安全対策がしっかり取れるということが工事再開の前提だと日本側としては考えております。また、そのようにベトナム側にも申し入れております。 それから、それ以外の今後の援助でございますけれども、それは物によって違うと思います。
○新井政府参考人 まずは原因の究明、それからまた、その究明の過程で責任関係等も入ってくるかと思うんですが、そういったものの結果といいますか結論といいますか、そういったものを待ちたいと思いますが、先ほども外務省から御説明のありましたように、それを待つことなく日本の中でも、カントー橋崩落事故再発防止検討会議というところで、つぶさに日本側としても調査といいますか検討をしていくということでございますので、私自身
このカントー橋は、JICAが調査をして場所その他、工法などを決めていると思いますが、要するに、なぜ今報告書が出てこないのか。最終的には、メコンデルタの特性がよくわからぬから実験をせにゃいかぬということでございますが、JICAがFSをやったときに、このメコンデルタの特性というのをどれぐらい把握してこの計画をつくられているんでしょうか。
ベトナムのカントー橋崩落の事故についてお伺いをしたいと思います。 まず、国土交通省にお伺いをいたしますが、このような事故が日本で起きた場合、原因究明にどれぐらいの調査人数、コストあるいは期間をかける、あるいはどういう手法をとるものなのか、まず教えていただきたいと思います。
また、政府といたしましては、ベトナム側により究明される事故原因を検証する必要があるということから、また今後の円借款事業に係る案件の監理の改善点や同種事故の再発防止等を検討しなければいけませんので、カントー橋崩落事故再発防止検討会議を立ち上げまして、十三日に第一回会議を開催いたしました。
次に、前回の決算委員会のときにも質問がありましたが、カントー橋の崩落事故の原因究明についてお伺いをしたいと思います。 我が国の円借款で建設をされているベトナムのカントー橋が本年九月二十六日に崩落をして、五十人以上が死亡、負傷者も百人近くに及んだと、非常にもう歴史的な大惨事ということであります。
そこで、建設の物づくりは各セクションが役割をこなすだけでは結果としていいものはできない、その品質は企画、設計、監理、施工が一体となって確保されるものだと、このように言われてきておりますし、今回のカントー橋の事故では、施工監理コンサルタントの日本人技師が今年の六月段階で安全性について警告をしたというような情報が、そしてこれを施工業者側が余り扱わなかったと、こういうふうな情報も飛び回っております。
どんな技術、監理、やっぱり慢心を退治する、そういう視点で我が国いろいろと心掛けるべき点があるのではないかということを申し上げまして、最後に木村副大臣に、前回も御質問申し上げましたので続きということで、このカントー橋はベトナムにとって非常に重要な交通の要衝となるポイントであって、これは必ず復旧させなければならないということがあると思いますので、そのときに対する、ベトナム政府に対する日本国の、どういう援助
カントー橋、この建設事業については、私ども、外部の専門家に委託いたしまして、昨年、二〇〇六年に行われております。 御指摘の点でございますが、今回のカントー橋の事故を踏まえまして日本政府がカントー橋崩落事故再発防止検討会議というのを立ち上げていただきまして、私自身もそこの委員として参加をさせていただいております。
その後、現地のカントー市の人民委員会の委員長、つまり市長さん、それから、ビンロン省という、最も多くの犠牲者を出した省でありますが、そこの知事に当たる方と会談をいたしまして、遺憾の意を表しますとともに、ズン首相、それから担当であります交通運輸大臣、ズン大臣でありますけれども、この方にお会いをして、心からの弔意を述べますとともに、今後の問題について御相談をいたしてまいりました。
御指摘のように、九月二十六日に、我が国の円借款案件であり、かつ我が国の企業がコントラクター、コンサルタントとして実施いたしておりますカントー橋建設計画の建設現場において、長さおよそ八十メートルにわたって、建設中の橋げたが落下する事故が起こりました。
去る九月二十六日、ベトナムのカントー省で、円借款事業で建設中の橋の橋げたが崩落するという事故が起きました。多数の死傷者が出ましたが、このプロジェクトの概要と、そしてその事故の概要についてお尋ねをいたします。
○加藤敏幸君 これからも、私は、発注するシステムが持つある画一性とか、そういうようなことも改めていけないと、現地は外国ですし、いろんな状況が違っているし、いろんなことが起こるということで、現地は現地の事情もあるということでありますので、更に御研究の方お願いをして、最後になりましたけれども、木村副大臣にも来ていただいていますけれども、一か月前の九月二十六日に、ベトナムにおいて、我が国のODAによるカントー
私、昭和四十六年十月に、前の衆議院議長、文部大臣の松田先生と一緒に日本の経済協力でやったチョーライ病院、カントー職業訓練所を二人で視察をしたことがあります。そのときに南ベトナムの首脳部と連日会談をして、これらの国に対する不幸な人々の救援に私自身も大変意欲をわかしたのですが、恐らく政府首脳部の皆さんの中に戦争の結末でいま悲惨な運命に遭っておる人、それはどこかへ亡命しておる。
○石原参考人 ベトナムに対しまする海外経済協力基金といたして実施をいたしました円借款は四本ございまして、一つは、カントーというところの火力発電所の事業でございます。もう一つは、ダラトーカムランの間の送電線の計画でございます。第三番目は、サイゴンの首都圏の電話網の拡充計画。
カントーの農科大学に対する協力、例の戦争孤児の職業訓練所、国費で大変な援助をしておるわけです。チョウライ病院にも二十億円、孤児職業訓練所について二億、そういうものがいまどうなっておるのか。そしてせっかく日本の好意がこうした戦乱の後において無になっては残念です。日本が東南アジアの民族に与えた愛情がその後きちっとした形で継承されなければならない。
カントーの状況についてはつまびらかにいたしません。私どもといたしましては、南ベトナムの新しいオーソリティーが外交を軌道に乗せるような体制になるのを待ちまして話し合いをしたいということを考えております。
それからまた、先ほど御指摘がございましたカントー大学等に、日本の大学の教官などお手伝いに行っておりましたが、いまみんな帰ってきております。
○受田委員 日本が経済援助をしたチョーライ病院、カントー大学あるいは孤児の職業訓練所、これは国費でお手伝いをした。これらの機関はいまどうなっておるのでございますか。
この項目としましては、カントー火力発送電事業、ダラトーカムラン間送電線事業、サイゴン首都圏電話網拡充事業、それから商品援助と、この四件になっておるわけでございます。
それ以後におきましては、たとえばサイゴンにおきます難民住宅の建設でありますとか、サイゴンの近郊のチョーライという場所にあります病院の建設でありますとか、また同じく近郊におきます、戦災を受けました孤児の職業訓練センターの建設でありますとか、そういうような無償の経済協力、並びにまた電力事情、それから通信の状態の改善というようなことを目的といたしまして、サイゴンにおきますディーゼル発電所の建設、それからカントー