2019-11-12 第200回国会 参議院 外交防衛委員会 第3号
秋野委員から四段階での、何というか、支配の強化と、こういう話がありましたが、かつてから覇権国とそれにチャレンジをする新興国との間で起こっていること、よくツキジデスのわなとか言われるわけでありますが、古代のギリシャにおいてスパルタという覇権国に対してアテネが挑戦をする、さらには古代ローマにカルタゴが挑戦をする、こういう段階で初期段階である程度現状を認めてしまうと、こういうことが大きな戦争につながってきたと
秋野委員から四段階での、何というか、支配の強化と、こういう話がありましたが、かつてから覇権国とそれにチャレンジをする新興国との間で起こっていること、よくツキジデスのわなとか言われるわけでありますが、古代のギリシャにおいてスパルタという覇権国に対してアテネが挑戦をする、さらには古代ローマにカルタゴが挑戦をする、こういう段階で初期段階である程度現状を認めてしまうと、こういうことが大きな戦争につながってきたと
昔、古代のローマのときに、大カトーという政治家が、毎回のように、カルタゴは滅ぼされるべきである、全然関係ない演説をしたにもかかわらず、最後にずっとこれを言い続けて、カルタゴはああいうことになった。
今回政変が起こったチュニジアは、古代都市国家カルタゴの流れをくむことは御承知のとおりであります。小さいながらも、商業主義に徹し、国民も豊かな生活を享受。ローマとの第一、第二ポエニ戦争ではいつも負け戦でした。敗戦国として、武装解除、戦争放棄を強いられるわけであります。
何か例えば、軍人でハンニバルとカルタゴ人と戦っていて、その戦争が終わったときにやっぱり安逸を取る。バカンスじゃなくて自分の地元に戻って何もしない、休むだけなんですね。これは悪いこととして教科書の中に紹介されるのではなくて、これ英雄たちがやっている技の一つとして私たちの頭の中に入ってくるんですね。
彼は、ローマ帝国の安全保障上、経済大国カルタゴの打倒が必須であるとの信念から、元老院で演説を行うたびに必ず「カルタゴ滅ぼすべし」と叫び、最後を締めくくったそうであります。それは現実となりました。
キケロが言ったように、もう常に、よってカルタゴは滅ぼされるべきであるというような調子で日本は実は核軍縮を唱えておりまして、聞く人が聞けば念仏のようでもう耳に入らないということを言う人もいるかもしれませんが、できる限りそういうことでやってきていると思います。
ちょっと昔話になりますけれども、ローマ時代にキケロという大雄弁家がおりまして、彼は元老院で発言すると必ず最後に、よってもってカルタゴは滅ぼさねばならないと。カルタゴと関係あろうがなかろうがその演説を必ずやった、演説の結びに。
非常にそこで感じたことは、ああいう国へは余り行かないんですが、もともとあれはカルタゴの遺跡があった国です。しかしながら、北海道からわざわざ行っていらっしゃると。ただ問題は、トランスポーテーションが悪いわけですね。日本から飛行機が入っていかない、遠くを回っていかなきゃならぬということですから。
それから、塩野さんがお書きになった「ヴェネツィア共和国の一千年」、いずれもいわゆる世界的に当時としては非常に富める国の、重商国家の、比較的、ベネチアは軍備がなかったとは言いませんけれども、カルタゴもそうなんですけれども、そういう国のいわゆる外交、あらゆる手だてを尽くした、国家の存亡をかけた努力といったものが、期間は別として大変難しいものだなということを私は感じております。
この本は、お読みになっておられる方も随分おられるかと思いますけれども、紀元前のアフリカ北部に隆昌をきわめましたカルタゴのその発展と衰亡の歴史を追いかけてきた本でございます。なぜあれほど発展を遂げた通商国家カルタゴがあえなく滅亡の道を歩まねばならなかったのか。その問題をテーマに取り上げている本でございます。
私は歴史が好きなものですから、ベネチアの歴史とかあるいはオランダの歴史とか、あるいは都市国家、小さな国家ですけれどもカルタゴの歴史とか調べさせていただきますと、我々のようなこういう小さな資源のない国が次の時代に的確に対応していくためには、不断の、いわゆる絶えることのない時代への対応、これが欠かすことのできない大事な要件といいますか、絶対条件だと私は思っております。
フェニキアしかり、ローマしかり、カルタゴしかり。かつては英国もそうだった。今や日本もそうなっていきはしないだろうかと非常に心配なんです。 ですから、私はそういう意味で、特に村山内閣総理大臣初め、自民党それから社会党、さきがけ、三党組んでいます。
○赤松国務大臣 私はどこかでお話し申し上げたかもしれませんが、四、五年前に「ある通商国家の興亡」という本を読みまして、歴史の本でございますが、その中で、ローマ時代にさかのぼってカルタゴという国が大変繁栄をした。通商国家としては本当に世界で一位。
カルタゴじゃございません。やはりお互いいわば豊かになった五十年間の、これは考えてみれば歴史的には短い時間でございますから、その我々が達成しようとした目標は一度達成している。そうしたら、今度はその宮というものを何に使えばいいのだということを国民がみんな考える時期に来ているというのがアイデンティティーの問題ではないかと思います。
昔、地中海にカルタゴという国がございましてね。あそこにハンニバルという人物がいて、私、非常にこの人に心引かれるものがあるものですから、カルタゴについて書いた本なんかありますとよく読みます。 ここでその著者は、そのカルタゴの滅亡の原因をいろいろ分析するんですね。そして彼はこのように結論します。カルタゴは滅亡した。これは非常にひどい滅亡の仕方をするわけですね。
カルタゴ艦隊なくしてカルタゴの経済活動なく、カルタゴ軍なくしてカルタゴの貿易なし、隆々たる強力な国家の軍事力にその前後を守られない限り経済活動の繁栄はあり得ない、こういう言葉なんです。長官はこの言葉をお聞きになったことがあるか、そしてどういう感じを持たれるか、お聞かせください。
つまり、日本は終戦以来今まで一生懸命貿易国家として努力してきた、その成果もあって輸出・輸入の関係においては最近は輸出が非常に膨大になって、これだけ黒字がたまって国際社会にも若干迷惑をおかけしておる、こういうものは続けるわけにはいかぬ、こういう状態を続けていたら世界から村八分になって、日本は第二のカルタゴになる危険もなしとはいえないと自分は心配しておる、そういうことも言っておる。
○斎藤栄三郎君 私はカルタゴの例をちょっと申し上げたいと思うんですが、釈迦に説法かもわかりません。 二千百年の前に地中海貿易で大いにもうけたカルタゴです。当時の世界では一番金持ちであった。その金持ちをねらって襲撃したのがローマです。三回にわたる戦争をやって、カルタゴは七十万の人口が五万に減っちゃった。最後は全滅するのであります。
あの奴隷支配の上に築き上げた、市民の繁栄のみを事にしたギリシャの崩壊でも、あるいは外征によってから得た名声が悪い意味において祖国の政治体制を崩してしまったカイザリズムによるところのローマの末路を見ても、カルタゴの末路もそうですが、音を立てて崩壊していった実例、及び西洋的なルネッサンスが、あるいは法王の名によって、メディチ家におけるところの財宝の力によって、あるいはカイザリズムの野心ある帝国主義によって
そうでないと、西洋文明の崩壊の後を回顧してみればわかりますように、その国の市民の繁栄のために、最終的には奴隷を使って戦争をやった国々のギリシャにおける市民デモクラシーの名によるところの奴隷使役のやり方、あるいはカルタゴにおいてローマにおいて、随所において音を立てて崩壊していった歴史をいままで私たちは記憶しておるのであります。
カルタゴだってそうです。トルコだってそうです。
○戸叶武君 私は幾たびか中近東を訪れたことがありましたが、この間欧州議会に招かれての帰途、地中海沿岸における古い文化を持つエジプトと、かつてのハンニバルの根拠地であったカルタゴを見たいと思って見てまいりましたが、中東におけるエジプトは、一番最初に行ったときは世界経済恐慌が襲ってきた一九二九年の二月でしたからいまよりちょうど五十一年前のことであります。