2020-05-15 第201回国会 衆議院 外務委員会 第7号
○大西(健)委員 先ほどのこの「ウズベキスタンの桜」の中には、先ほど来出ているナボイ劇場のプレートについても、最初はプレートに日本人捕虜がと書かれていたそうですけれども、カリモフ大統領が、ウズベキスタンは日本と戦ったことはないし、日本人を捕虜にしたこともないので、日本国民と書けというふうに言って直させた、これも非常にすばらしいエピソードだというふうに思います。
○大西(健)委員 先ほどのこの「ウズベキスタンの桜」の中には、先ほど来出ているナボイ劇場のプレートについても、最初はプレートに日本人捕虜がと書かれていたそうですけれども、カリモフ大統領が、ウズベキスタンは日本と戦ったことはないし、日本人を捕虜にしたこともないので、日本国民と書けというふうに言って直させた、これも非常にすばらしいエピソードだというふうに思います。
このときはカリモフ大統領夫人が日本人墓地までいらしてくださっています。また、今お話の出ました日本人抑留者、今朝も委員の中でお話がありましたが、シベリアに抑留された日本の人々が、若者たちが造ったナボイ劇場で和太鼓の公演がありまして、そこでも昭恵夫人が大統領夫人と並んで最後まで鑑賞してくださいました。
○内閣総理大臣(安倍晋三君) 昨年十月に、中山委員にも御同行をいただきましたが、ウズベキスタンを訪問したわけでございまして、亡くなったカリモフ大統領からはすばらしい歓待を受けました。特に、ソビエトによって抑留されていた日本人によって建設されたナボイ劇場に御案内をいただきまして、日本人の誠実さと勤勉さの象徴として今も現地に大切にされていることに大変感銘を受けたところでございます。
日本からも多くの企業関係者が同行し、安倍総理及びカリモフ大統領が同席されたビジネスフォーラムが開催され、両国の経済関係が新しい段階に進んだと考えられています。また、夜の総理歓迎晩さん会では、総理とカリモフ大統領が、周りにまるで誰もいないかのようにお二人だけで夢中で真剣に話し合われていた様子が印象深く思い出されます。
タジキスタンのラフモン大統領、そしてウズベキスタンのカリモフ大統領、ベラルーシのアレクサンドル・ルカシェンコ大統領、このあたりが非常に長いわけでありまして、大体二十四年とか、二十年を超えてきているわけです。 非常にこういうふうに長くなってきていることというのは、一般的に長期政権だと思うわけですけれども、こういった状態について、外務省、何らかの見解をお持ちでしたら御答弁いただければと思います。
非常に重要な国々でございますので、また、カリモフ大統領が三月末の選挙で大統領に再選というか四選されたということでございました。
体制について、九一年から続けてカリモフ大統領が統治をしております。ソ連時代の旧態依然とした官僚機構や党組織がそのまま残っておりまして、大統領に権力が集中している状況です。よって、市場経済への段階的移行を目指す漸進主義を取っておりますけれども、経済発展は大変後れていると言わざるを得ません。 我が国の援助により供与された機材については総じて活用されておると言えるわけです。
○岩本司君 大臣おっしゃるように本当に重要な地域でございまして、私も九・一一のテロの後、三か月後にアフガニスタン、ウズベキスタンにも行ってまいりまして、カリモフ大統領にはお会いできなかったんですけれども、スルターノフ首相にも会えまして、日本大使がまだ今まで行かせていただけなかった友好の橋ございますですね、日本の物資がその友好の橋を通って、アフガニスタンに国連通じて物資が渡った橋なんですけれども、その
例えば、ウズベキスタンのカリモフ大統領としては、ちょうど一九九一年に起きたモスクワのクーデター騒ぎの直後に独立ということを言っているわけですが、それはカリモフ大統領としてはソ連共産党と自ら一体であるというイメージからとにかく自らを切り離したかったということと、独立という問題とある意味ではつながっていたと思うんですね。
昨年も私は、あのウズベキスタンのカリモフ大統領に会いましたよ。彼がどんなにか、大国が、国際社会がアフガンのことについて取り組んでいないかということを言っておられました。 要するに、このアフガンの復興問題がどんなにか本当に重大か。
特に、カリモフ大統領は非常に日本に熱い視線を送っておりまして、小渕恵三先生が去年の七月、まだ外務大臣になられる前に来られましたが、そのときにも、ウズベキスタンは中央アジアにおける日本の利益を代表する国となり得る用意があるという発言をされましたが、これほどまでに日本に対して日本との関係をよくしようという希望を強く持っているところでございます。