1968-03-14 第58回国会 衆議院 社会労働委員会 第6号
しかしながら、ただ話し合いとか、いろいろ学生が無理を言うんだから少し引っ込んだらどうだといったような観点から、カリキュラムは自主的につくるんだとかあるいは医師法は反対するんだといったような考え方では、これはもうそれに従うか従わないかだけの問題になってくるのじゃないかというような気もいたしますので、私どもといたしましては、できる限りまずい点は将来の問題として検討してみたいという気持ちは十分にいたします
しかしながら、ただ話し合いとか、いろいろ学生が無理を言うんだから少し引っ込んだらどうだといったような観点から、カリキュラムは自主的につくるんだとかあるいは医師法は反対するんだといったような考え方では、これはもうそれに従うか従わないかだけの問題になってくるのじゃないかというような気もいたしますので、私どもといたしましては、できる限りまずい点は将来の問題として検討してみたいという気持ちは十分にいたします
しかしながら、いわゆる医学連、青医連の方々が掲げておられますような、教育の基本に触れるような、いわゆる臨床研修のカリキュラムは自分らがつくるのだといった、学校を自分らで管理していくのだといったような基本的なかまえは、私どもとしてはどうしても納得いきませんし、現在の学校教育法はそういう思想でできておりません。
について反対の機運が強いということは御承知のとおりですが、私どもが承知いたしておるところによりますと、これらの学生の言い分はいろいろございまして、多少の相違もございますが、大体のところを取りまとめて申し上げますと、要するに今度の医師法改正には教授会として反対声明を出すべきである、出してほしいという一つの要求、それから医師法の改正とは別個の問題として、卒業後の研修、これはするけれども、その研修の内容、カリキュラム
それは学生諸君のつくったカリキュラム並びに人数を大学が承認しなさい、それから研修医のルームをつくりなさい、それに関して学生代表と病院長と文書の交換をしなさいという研修協約というものが第一でございます。それから、いまの登録医に対する反対声明を教授会が出せというのが第二の問題でございます。これらについて、大学といたしましては、話を進めるべき何ものもそこにはないというのが現段階でございます。
しかしながら、やはり医学の学部における、あるいは卒業後の問題においてそのカリキュラムその他を考える場合には、それぞれの長い経験を持った人たちがそれを考えるのがやはり本来の姿ではないだろうかというふうに考えております。
それからカリキュラムの件でございますが、一応国が養成し、国が責任を持つ、また病院側も責任を持つという体制でございますので、そのカリキュラム自身がもちろん公表されなければならないようなカリキュラムでなければいけないと考えておりますが、大まかなカリキュラム自身は、それぞれの診療科において大体共通しておるというような形がやはり望ましいのではなかろうかというふうに考えますが、もちろん個々の点については、それぞれの
各論の中にそれがないから、いまの教育が非常に硬直性ということで窮屈にとられているのじゃないか、こう感じましたので、いまの教育課程のあり方をどう指導しているのか、いろいろなことは要らないですから、時間がありませんから、品野中学の場合に学校でカリキュラムの編成の過程の中で窯業を取り入れることがいけないのかどうか、栽培という一つの教育の科目があるから、そういう中でお茶を取り上げることはいけないのかどうか、
その間の教養というものを、もう少し魅力を持たせるようなカリキュラムなり単位の取得方法に変えるべきじゃないか。大部分の学生が高等学校の繰り返しのような一般教養の課程を受けると、優秀な子供なんかは、高等学校で受験勉強のときに勉強したほうがもっとしっかりした勉強をしておった。大学に来てみれば全く同じものだ。
ついでに申しますと、今後さらに現存するものよりどういう分野があるかということにつきましては、これは文部省といたしましても、これを審議会にかけまして、どういうカリキュラムなら高等学校としての限界をこえないかということも現在検討中でございます。
理科教育及び産業教育というまあ両方の機能を審議会は持っておりますから、理科教育のほうの審議会に高等学校教育の中で将来理数系に進むということを志すものについて、どういうカリキュラムで学科を立てる可能性があるか、これは現在審議中でございます。
このカリキュラムの編成ということの中にあると思いますが、たとえば実習なんかの問題についても、知りたいことは一つですけれども、実習なんかは大学病院にどのくらい行くかということもひとつ詳しく調べてみたいと思うのです。というのは、いままで看護婦の地位がたいへん低くて、社会通念として職業的に非常に低く見られておった。
それからやはり多様化から出ていると思いますけれども、衛生看護科ですか、この衛生看護科が置かれておる高等学校はいま何校になっているのか、そうして衛生看護科を置いている高等学校の教育が何をしているのかというとぐあいが悪いですけれども、どういうカリキュラムで教育をやっておるのか、卒業した場合にはその生徒はどういう進路を選ぶのか、それから衛生看護科の教師ですね、有資格教員は何名で、無資格教員は何名で、どういう
学校のカリキュラムのあり方とか、授業形態とか、いろいろありますから、私どもは別に一人当たりの生徒数がこういうふうになっているから最上のものだというような断定のしかたは毛頭いたしておりませんけれども、いろいろな比較の方法があるということを申したわけでございます。
どうも、現在、非常に高等学校のカリキュラムといいますか、授業内容がむずかしゅうございまして、大体都立でも三、四〇%の生徒がこれについていけるのであって、あと六〇%くらいは何かわからない、不消化のままに卒業していくんじゃないかといわれておるこの時代に、クラス数をうんと制限して小さくして、そうして実力をつけようというのが、この学校を開いた武藤富男院長のアイデアなんであります。
○政府委員(斎藤正君) これは、文部省に置かれます補助職員、大臣の権限を行使するための補助職員につきまして、専門的な職種につきましては省令で、たとえばカリキュラムを扱う者については教科調査官、あるいは教科書検定をするのは教科書調査官、そういうようなことを省令で規定しているわけであります。
そのほか、カリキュラムの問題でございますけれども、これはカリキュラムと申しますか、全体の基準でございますけれども、これは大学設置審議会の基準分科会で、基本的な大学全体に通じます大学基準の御答申が一応出ておるわけでございますが、その後、専門分野でとの関係学部基準というものが、なお検討中でございまして、教員養成学部につきましては、その関係学部の基準の一つとして検討はされておりますけれども、まだ具体的にきまったものが
○政府委員(天城勲君) もちろんこの三学科ともそれぞれの専門職に適応するようなカリキュラムを組んでございます。看護でしたら、看護婦の免許状が取れるようにカリキュラムが組んでございます。 それからなお、ことしの志願者とか、状況でございますけれども、ことしの大阪の実情を申し上げます。看護のほうは定員八十名、あとは四十名ずつでございますが、看護の志願者は百七十九名ございました。
○林塩君 少しこまかいことを伺いたいのですが、たとえばこの中で看護婦、衛生検査技師、診療エックス線技師のこういう三科からなっておりますが、それぞれの課程は、それぞれ御承知でございましょうが、看護婦免許をとりますために国家試験を受けなければならない、そういうことでカリキュラムはおのずから違うと思います。
ただ、実際問題として、大学の教官の配置とかカリキュラムの内容等からいって、一般教養が専門と同じように扱われないうらみが若干ございますけれども、最近はこの教養課程の問題について非常に大学側の関心が高まってまいりまして、私たちもそれに応じた処置をいま逐次進めておる次第でございます。
文部省のほうに出されております大学設置基準の改善でございますけれども、改善のうちの一番の問題点は何といっても一般教育でございまして、従来の一般教育ではとても新制大学の使命は果たせぬ、ある場合には一年半も二年もかかってむだである――むだとまでは言いませんが、二年間で一般教育を相当な時間を使ってやるといたしますれば、もう少しくふうがあるべきでございまして、その点のくふうは、新基準の趣旨によりましてカリキュラム
調査会の内部といたしましては、カリキュラムをつくりました際も授業科目をいろいろ研究の結果きめましたが、それらの特殊なものにつきましては、一応われわれ仲間では何々先生ということで目星をつけたものを持っております。しかし、それを発表するわけにいきません。どうなるかわかりません。
大学の問題の中で、いろいろございますけれども、一般教養のカリキュラム、教育の中身と一般教養を行なう場所、学部の関係が一つございます。従来は学芸学部が全学の一般教養を引き受けておったのが一つのタイプでございますし、それから文理学部のある大学におきましては、文理が引き受けておったわけでございます。
一般教養のカリキュラム、すなわち教育課程を明らかにするという必要が出てまいりまして、従来文理学部を持っておりました大学の教育学部、それから全学の一般教養を学芸学部において担当する制度の大学など、いままでの姿に対してどうしても手を加えなければならぬ状況になってまいりました。
それともう一つ、御指摘になりましたように、現在の教育は、学校教育の中身自体が知的なものに偏して、調和的なものになっていないじゃないかというような点につきましても、教育課程の問題として問題意識がございまして、現在小中学校については教育課程審議会で検討中でございますが、一つの課題は、やはり知的教科というものだけでなく、いろいろなカリキュラムの上で、人格の形成という点でもう少し調和的なものがとれないだろうかということも
そこで今度は、小学校の教育課程におきましては、これはまだ一部世間に誤解があるようでございまして、ことにアカデミックなカリキュラム、文字とかあるいは算数だとかいうものを幼児教育で非常に力を入れてやるということは、幼稚園教育としては入れ過ぎるとこれは邪道でございまして、むしろ幼児教育といたしましては、社会的な集団のしつけだとか、そういうものの適応性だとかいうようなことを馴致いたしますことによって、義務教育
一つのある産業的にたいへん疲弊したところの教育に従事している教員が、この状況を見るに忍びない、だから、ここの生産を高めるように、もっと意欲的になるように、その中で育っている子供たちがもっとそれに対して将来一生懸命困難を克服して発展していくようなやり方を教えなければならぬ、そういう一つのカリキュラムに従ってやってみたところが、赤だということで大騒ぎになったそうですね、教育委員会は赤の系統だと。
○天城政府委員 大臣の御答弁にちょっと補足さしていただきますけれども、実は商船高専をつくりますためにも、約二年ほど、専門の方々にお集まり願いまして調査会をつくって、商船教育として五年制のものを、高等専門学校にどういうふうにカリキュラムを設定していくか、社会的な需要という観点から、かなり時間をかけて専門的に研究をいたしました。
そこで、そのほかあるいは従来部分的にございました芸術とか、体育とかいろいろな分野、非職業的な分野につきましても、専門学科の成立ということにつきまして検討してまいりまして、そしてその結果そういうものが置かれましたあとにおきましても、なお普通科というもの自体の、カリキュラム自体をどう変えるかという問題もまた一つございます。
しかし、大体四年間の大学の教育の中身が、具体的にはカリキュラムが教職につくのにふさわしいような組み方がだんだん強められてきますということは、先ほど山中先生も学問ということについてるるお述べになりましたけれども、そのような意味で望ましくないというふうに思います。
「試補制カリキュラムの基本構想試案」「試補制のねらいは都道府県の試補に採用された者を対象として、これに期間一カ年の統合された研修を行ない、実施に即していっそう高い専門的教養を得させ、教員の資質を向上させるにある。」
そういう関係でありますから、学校、養成所というようなカリキュラムをもって、スケジュールを組んで、基礎的な訓締ができるかどうか、なかなかむつかしい問題もあろうかと思いますが、そこら辺を研究しながら四十二年度から発足させたい、かように考えております。
それからもう一つ、大島先生のお話の講座の問題でございますが、これはやはり医学教育のカリキュラムの問題にかかるわけでございまして、御指摘のようなうらみがあるかと思いますが、これはぜひ医学部長会議あたりのほうで問題にしていただかないと、文部省ですぐ講座をつくれというわけにもまいりませんので、これはやはりいま御指摘のような新しい学問体系をつくり上げるというようなお気持ちで、まず関係者のほうで啓蒙普及というようなことから