1970-04-22 第63回国会 衆議院 文教委員会 第16号
たとえて言うならば、カリキュラムの編成につきましても、いままでは、一般教育が二年制、さらに専門教育二年制をやるんだ、こういう考え方が従来の考え方でございましたけれども、そうでなくて、四年制を通じてそうしてこれに一般教育をやるというカリキュラムがあってしかるべきではなかろうかということが大学からも出されてきておる、こういうようなこと、そうしてまた、それに対しましては全学的に教官が協力をしてこれに当たるというようなことも
たとえて言うならば、カリキュラムの編成につきましても、いままでは、一般教育が二年制、さらに専門教育二年制をやるんだ、こういう考え方が従来の考え方でございましたけれども、そうでなくて、四年制を通じてそうしてこれに一般教育をやるというカリキュラムがあってしかるべきではなかろうかということが大学からも出されてきておる、こういうようなこと、そうしてまた、それに対しましては全学的に教官が協力をしてこれに当たるというようなことも
それからもう一つは、カリキュラムの問題でございますが、従来、この四年の学部学生に対しまして、まず前期の二年におきまして一般教育をやり、あとの後期二年におきまして専門教育に入ると、こういう考え方で進んでおったようでございますが、この点につきましても、私どもは四年間を通じて総合的な一般教育というものをやることが望ましいのではないかということを一年前からわれわれは主張いたしておったわけでございますが、この
そういう約束まですることはいかがかと思うけれども、実質的に自衛隊の教育が、社会に出てもむだでなかったというような考慮からの検討を、隊内のカリキュラムその他を決定される際に、ぜひお願いしたいと思うわけでございます。
たとえばカリキュラムの充実といった問題についても、何ら検討されずに電算機学校でかって気ままに教育が行なわれておるという事実があるわけですが、こうした問題については文部省としてはどのようにお考えになっていますか。
ところがまた、医学とか理工学部のような学科をやった者は、それだけに終始して、人間教育といいますか、人間教育の材料になるものは音楽、美術、哲学、こういうものがそうだろうと思いますが、そういう教育は一貫して、いわゆる縦のカリキュラムとしてやっておらない。こういう教育の制度自身が私は一つの大きな原因であろうと思うのです。いわゆる調和のとれた人間をつくっておらなかったということ。
私は、交通安全教育は総合的に、そしてまた統一的にカリキュラムをつくってこれを実施すべきものと考えておりますが、国の施策としてどのように交通安全教育を進めていかれるおつもりがあるのか、具体的に長官の御答弁をお願いいたします。
そこで実際の道路の横断のしかた、踏切の渡り方、信号機の見方、自転車の乗り方、そういったような実地訓練がなされているわけでございまして、その内容自体、小、中それぞれその発達段階におきまして違いがありますので、これをさらに研究をして、効果があがるようなカリキュラムにするということが今後の課題であろう。
そういった実地訓練をやるようにする必要があるというように指導をいたしまして、従来からもそういった指導をしておりますのですが、そういった指導が十分徹底をするためには、いま長官のおっしゃいましたように、学習指導要領の中で、教育の内容としてこれを明確に位置づけるということが必要であるという観点に立ちまして、いま小学校は新しい学習指導要領が昭和四十六年、中学校は四十七年から実施する予定でございますが、そのカリキュラム
また相当の資料も手に入れましたから、問題にしたいと思うのですけれども、要するに、やはり大学の研究テーマの設定あるいはカリキュラム、こういった問題に大きな影響を及ぼしておる。
○政府委員(村山松雄君) 御指摘の基準要項二の4のこの文言は、これは主としてカリキュラム編成の考え方を述べたものでありまして、「大学学部の修業年限を延長したようなもの」というのは、具体的に言いかえますと、たとえば当初においてはこういう考えもございました。
私も実務経験なり最近の職安の窓口の状況、そういったものを見ておりますると、求人、求職の結合というものは、機械によって非常に距離が短縮されて求職者の耳に入りますけれども、その求人内容の具体的な問題については、私は残念ながら、まあ極端な表現をすれば、桂庵時代から若干進歩をしたという程度であって職員の教育、訓練の問題にしましても、そういった近代技術の進歩に沿った専門的な教育のカリキュラムとか、そういうような
なお、職員研修のカリキュラムについては、後刻また書面にしてひとつ報告をしていただきたい。えてしてこういうことが労働強化につながるのだということで、近代的な推移に背を向ける傾向なしとしません。したがって、勇気を持って新しい時代に臨んでいただきたい、このことを要望して質問を終わります。 ありがとうございました。
ここにも逐次報告をいたしまして、細部のカリキュラムに至りますまで御検討賜わった上で、これで大体いいんじゃないかという御結論をいただいたわけでございます。もちろん、こういう制度をいたしますにあたっては、ただいま御指摘のように、質を低下させない、いい教育をすることが必要でございます。
そうして二年一般教育、二年専門教育というようなかたくななやり方でなくて、これを四年間を通じたいわゆるグループという形において、四年間を通じて一般教育をやるというようなカリキュラムの編成等についても考えが出てきているわけなんで、私はそういうようなやり方で相当くふうがあってしかるべきじゃないだろうかというふうに思うので、もちろん、その間、施設設備の問題あるいは教官の待遇の問題はどうせ書き変えていかなきゃなりませんけれども
適当な領域といたしましては、学生が大学下、生活し、教育を受けるわけでありますから、その厚生面、あるいは課外活動の面、あるいはカリキュラムなどについて学生がこういう希望を持っておるというようなことについて、それを取り入れるような仕組みというようなことは考えてしかるべきではなかろうか。
あるいは国民の意思と申しますか、税金を納めておりまする国民の意思をどういうふうに反映をさして、なおかつ学閥の自由と大学の自治の基本線を守って大多数の学生が静かに研究、教育ができるか、それからまじめな教官の方々が研究に没頭できるか、そういうようなことについて、もう少し大学それ自体がやはり具体的に学生の意思をくみ取る方法なり、あるいは、一般教育とそれから専門教育との関係におきましても、四年間を通じてカリキュラム
一応この間のカリキュラムの問題等につきましては、現在の大学基準等を頭に置いて考えておるわけでございますけれども、やはりもう少しこういう画期的な放送大学が国民のためにほんとうにいいものであればあるだけに、やはり慎重にやらなければいかぬのじゃないか、こう考えるわけです。
先般もこの準備調査会のカリキュラムその他につきましての一応の試案も発表をいたしました次第でございます。放送大学の設立には大学の整備並びに放送体制の整備が必要でございますし、今後も郵政省と緊密な連絡をとりながら設立準備を進めてまいりますが、現在の状況から見ますると、その発足の時期は当初の目標よりも少しおくれるのではないかというふうに考えております。
○坂田国務大臣 まだこまかいカリキュラムその他の問題についていろいろ問題がございますし、検討を進めておるわけでございます。しかし、いま各大学でやっておりまするのは、先生が教室に立って講義をやるわけでございますが、その講義にかわるものとして、テレビを通じましてあるいはまたラジオを通じまして講義をする。
私もまあ聞いたわけじゃございませんが、日本教育新聞のスクラップから取ったのですが、「日教組の進めている教育課程の自主編成は違法行為であるとともに、教育権は親にあるもの、親や国にかたがわりしてカリキュラムをつくるなどは、思いあがりもはなはだしい。」という一説がある。この主張はきょうはいまもなお変わらないわけですか。
○政府委員(宮地茂君) 先生があげられましたそのカリキュラムの自主編成ということでございますが、日教組ということばをお使いになりましたので申し上げますが、教員組合の方々が教育というものを行なう権利ですか、そういうものが教師集団にある。教師集団が、あるいは教師がカリキュラムを自主編成をするのである。
これについては、御案内のように、文部省はカリキュラムの内容を主として受け持つわけでありましょうし、私ども郵政省の側においては、放送の手段、電波をどうするかという部門を受け持つことに相なろうかと思うのであります。そこで、これはただいま文部、郵政両大臣の諮問機関というような形でもってそのための調査会ができて、それにひとつ踏み切るべきだという答申も出ておるわけであります。
そうなると、当然大学の管理、カリキュラムというものの決定を国または準国家機関というのですか、そういうようなものだけにゆだねるのではなくて、逆に、現在のような大学紛争の原因を考えたりして、学生側からも何らかのかっこうによって参加を認めるような方法もとらなければならないのではないかとも思われるわけですが、今後の、こういうような側面からして、やはり期待されながらも懸念される点が第二番目としてあるわけであります
カリキュラムの時間数その他を比較いたしまして、相当の専門家の手を経まして検討していただいておりますけれども、その結果といたしましても、専門教育としてはこれで十分やれるのではないか、こういう見通しを得てまいっております。
ただ問題は、先ほど技術教育というふうなお話がございましたが、そういう技術教育的なものがはたしてその通信教育にどの程度なじむかというところにやはり根本問題がございまして、私どもがいろいろと検討した過程では、現在の看護婦のいろいろなカリキュラムの中で、通信教育というものにまかせ得る範囲は比較的少ないというふうな傾向が大体出ておるわけでございます。
その原因となるものは、たとえば学寮の問題、あるいは学費の問題、あるいは学生生活に関する問題、あるいはカリキュラム等の問題がある。あるいは大学の管理運営に問題がある。こういうようなことで燃え上がったと思うわけでございます。しかしながら、御案内のとおりに、一応ゲバ生が去年のような状況にことしはなっておらないということは、私は幸いなことだと思います。
それからカリキュラムにつきましても、これも大学設置基準があるわけでございますが、医進課程、専門課程六年間を新しい臨床教育に重点を置くというような行き方を最大限に実現し得るように、現在くふうを進めております。
そこで、幼稚園から小学校、中学校に至るまで、総合的かつ統一的な交通安全教育のカリキュラムをつくって実施をすべきだ、しかも単に交通事故にあわないためだけの消極的な教育じゃなくて、少なくとも十歳から十五歳までの生徒に対しては、自転車を使用して規律ある運転者としてのしつけも行なう。
ところが今日東大の学長は、全学出動、全教官が出動して、そうしてたとえばカリキュラムの問題にしましても、一般教育二年とかあるいは専門教育二年というようなことをやめて、四年間に一般教育をやるというような仕組みを考えられ、そうしてその全教官が一致してこれに当たるというこの知恵がようやく出てきたわけです。
しかし、もちろんウィルソンがあのときに演説をいたしましてから、営々と努力をして、そうして来年の一月に開校をするというところまで進んできたように思うわけでございますが、われわれの技術から考えるならば、ある程度はこれは行けるんじゃなかろうかということで、昨年、河本郵政大臣と私と相談をいたしまして、そして郵政大臣のほうでは主として波の問題について確保していただくということと、それから私のほうではそのカリキュラム
○坂井委員 電波の関係につきましては、これもまあいろいろ問題があるようでございまして、たとえばカリキュラムの編成あるいは番組の企画、立案は放送大学でやる、制作と送り出しは放送会社のほうがやる、こういう形にならざるを得ないのではないかと思うわけですけれども、この場合に放送法の第三条、いわゆる「放送番組編集の自由」これについていささか疑義が出てくるのではないか、こういう点が問題にあがってくるのではないかと