1956-07-12 第24回国会 衆議院 外務委員会 第59号
しかもこの委任統治領の原住民も、沖繩人がおって砂糖を耕し、漁業をやった時代のことを非常に今恋しがっておるという話があるのでありまして、このカナカ土人の福祉のためにも沖繩人を向うの方に送るように一つ要請してもらいたい。
しかもこの委任統治領の原住民も、沖繩人がおって砂糖を耕し、漁業をやった時代のことを非常に今恋しがっておるという話があるのでありまして、このカナカ土人の福祉のためにも沖繩人を向うの方に送るように一つ要請してもらいたい。
小笠原島は歴史的に見て先ず昔小笠原貞頼という人によつて発見されたものであると言われ、爾来日本政府としましては、延宝三年、一六七五年に調査を初めてしまして、その後も文久元年、一八六一年及び明治八年に調査をいたし、又明治九年、一八七六年にはこれを正式に日本の領土としたものでありますが、その前に一八三〇年に五名のヨーロツパ人と二十名のカナカ土人が移住して来ておりますけれども、これはいずれもその領土帰属問題
この間一八三〇年に五名の欧米人と二十数名のカナカ土人が来て同島に定住するようになつたのですが、彼らは国籍を異にする人々がたまたま一団となつて来島したものであり、日本が小笠原島をその領土に編入するに及んですべて日本に帰化し、その後は血縁的にも文化的にもわれわれ内地人と何ら異ならない人々となつたのであります。このような事情からして小笠原島が日本領土であることは、当然と考えなければならぬと思います。