2008-10-17 第170回国会 衆議院 国際テロリズムの防止及び我が国の協力支援活動並びにイラク人道復興支援活動等に関する特別委員会 第3号
友人の友人がアルカイダという方が以前おられましたが、ザワヒリ氏とは、氏と言っていいのかな、ザワヒリと私はカイロ大学の同級生でございますが、連絡先は存じ上げておりません。そういう中で、非常に厳しい状況であるがゆえに、まさに国際的な連携が必要ということでございます。
友人の友人がアルカイダという方が以前おられましたが、ザワヒリ氏とは、氏と言っていいのかな、ザワヒリと私はカイロ大学の同級生でございますが、連絡先は存じ上げておりません。そういう中で、非常に厳しい状況であるがゆえに、まさに国際的な連携が必要ということでございます。
例えば、日本の支援で整備をしたカイロのカイロ大学附属病院にイラクのお医者様をお招きして、そこで直近の医療、医学情報について勉強していただき、技術についても学んでいただく等々のプログラムも進めてまいりましたが、引き続き、治安を確保しながらそのような活動を続けてまいりたい。よい点を御指摘いただきましたことを感謝申し上げます。
エジプト・カイロ大学のアジア研究センター所長モハマド・セリム教授は、私どもの特派員のインタビューに答え、日本政府のイージス艦派遣には非常に失望した、日本は紛争解決でいかなる軍事的役割をも担うべきではなく、中立の立場で問題の平和的解決を目指すべきだったのに、アラブ世界で築いてきた友好なイメージをみずから破壊しているようなものと述べています。
また、エジプトのカイロ大学の特殊小児病院を視察をいたしました。ここはエジプトで唯一の小児病院でございますが、大変充実しておりました。ここをモデルにして拡大していきたいということでした。また、お医者さんも看護婦さんも日本で研修を受けた人たちが活躍しておって大変に感動してしまいました。
また、これに伴い、イスタンブールの歴史地区、ゴラン高原PKOのUNDOF及び日本隊、ダマスカス消防局、内戦後のベイルートの復興状況、カイロのモハメド・アリ・モスク、カイロ大学特殊小児病院、イスラムの最高学府アズハル、ルクソール西岸の王家の谷等を視察をいたしました。
今回行かれたカイロ大学ではどうだったんだろうかと。日本のこれ援助でかなりできている施設ではないかと思うんですけれども、日本の援助によるこのような施設は大変役立っていると院長さんが言われたというのは私はアプリシエートしますけれども、院長さんがおっしゃったのは分かるけれども、現地でどのような受け止め方されているのか。
まず、小池先生におかれましては、カイロ大学を御卒業ということもございまして、アラブ、イスラエル、あのあたりの問題については大変な理解者であり権威でいらっしゃるわけですし、また、日米議員交流でも御一緒させていただいておりますが、アメリカを初め広く知己を持っておられる方でございまして、この間もイスラエルへ行っていただいて御尽力賜った。大変私どもも感謝しておるところでございます。
それから二つ目に、仮に日本語を十分にこなせるようになって本国に帰ったとしても、これを十分実は生かせる機会がありませんで、例えばエジプトなんかの場合ですと、結構カイロ大学というところで日本語の勉強をする方は多いんですけれども、卒業した後、現地の日本の企業がそうした方をほとんど採用しませんので、現状は観光ガイドとして日本から行く観光客の案内をしているというのが大半でございますので、日本の企業が積極的に日本
○小池政務次官 私は、ベストセラー作家の堺屋長官ほど本は出しておりませんが、一冊目がたしかアラビア語会話の本を出しまして、二冊目の本がカイロ大学の留学記ということで講談社から出したことがございます。その本のタイトルが「振り袖、ピラミッドを登る」というタイトルでございまして、文字どおりピラミッドに登りまして、日本女子の象徴である着物を着た。
四番目にカイロ大学の小児病院プロジェクト。これはエジプトのカイロ市でございます。平成元年七月から行っております。そのほか平成元年度、研修生の受け入れ主要コースというようなものも五つばかり持っております。 以上でございます。
私ども日本としてはエジプトを中近東における最も重要な国の一つと考えておりまして、同国経済社会の状況、大変難しい状況にかんがみまして、これまでもカイロ大学における附属小児病院とか低所得者層の住宅供給計画、その他種々援助をしてきたところでございます。
この問題に対しては、私は去年の二月に、十分お話し合いを自由な形でできたところの、エジプトの国会の議長であり、前のカイロ大学の学長であった方と見解の一致すも点が非常にありまして、あの前にやはり、名前は遠慮しますが、エジプトの国会で将来を期待されているパリ大学を出た外交委員長が、お使いのような形で私の意見を聞きに参りましたけれども、それは、やっぱりサダトがイスラエルに飛び込んでいくことは、サダトさんとして
アラブの大義というものは、ローマ法典にあらわれているような私有財産のみをとうとしとするような個人主義的なものでないとうそぶいておりますが、しかし、四千年の文化道統の眠りから覚めるのが容易でなくて、二千年足らずの文化しか持たない日本が近代国家としてエジプトよりも成功をおさめたのはどこに秘訣があるかということをいま目下研究中だといいまして、何かその秘訣を教えてくれと、私にあそこのカイロ大学の学長であった
○戸叶武君 いま、この前に起きた事件としては、イランの国王がアメリカの言うなりになる国と思われているパナマ国からエジプト国へ移った事実を世界の人々は奇異な感じでながめておりましたが、私は、エジプトに行きまして、エジプトにおける最高の知性人と言われているカイロ大学の総長のターレブ国会議長と三回ほど会い、いろんなお話も突っ込んでいたしましたが、アラブ全体にはやはりアラブの大義、回教国圏においては共通の物
○戸叶武君 的確なる情報はないというのが事実でしょうが、私はエジプトに行って、カイロ大学の総長であって、一院制の議会のもとにおける議長に就任した最高のエジプトの知性人といわれる方の御招待も受け、意見の交換も行いました。
あのエジプトの議会の——一院制度ですか、議長はカイロ大学の総長であった高い教養人と見識人であります。外務委員長も日本に三回も来た知日派であります。その人たちが断言したのは、われわれもアジア人だ、日本はアジアの東でありわれわれはアジアの西に位する、光は東方よりと言うが、われわれはもう一度世界に光を与える時代を築かなけりゃならない。
具体的にはカイロ大学の文学部に七四年の三月から日本語科が設置されたわけです。そして二人の教師が派遣をされた。ところが七七年の秋の新学期までに二人の増員を要求し、存続の危機に立たされていたが、その要求を受け入れ、解決したと聞いておるわけであります。
なお先ほど先生の御指摘ございましたカイロ大学日本語学科への援助の問題でございますが、国際交流基金の方では、カイロ大学に対しまして先ほど申しました日本語講師の派遣、それから日本語の教材の援助並びに現地の日本語講師の謝金の援助、さらに日本語講座の中で成績優秀な方を日本に呼ぶ、こういう仕事をしております。
○西宮説明員 先生の御指摘ございましたカイロ大学の日本語学科の問題でございますが、現在国際交流基金を通じまして海外の日本語教育機関に派遣しております日本語の講師の数は、四月一日現在で三十四名でございます。