2008-04-23 第169回国会 参議院 災害対策特別委員会 第3号
こういう分野についてはオーバーキルを覚悟で要請するというのが本来必要だというふうに私は考えます。 また、移動手段につきましても、まだドクターヘリというものの整備も十三県十四機というのが現状でしょうから、なかなかそういうDMATのチームがいてもなかなかそこに行けないとか、また、お医者さんというのはなかなか一か所にいなくて、いろんな病院に転々する関係で固定編成が取れない。
こういう分野についてはオーバーキルを覚悟で要請するというのが本来必要だというふうに私は考えます。 また、移動手段につきましても、まだドクターヘリというものの整備も十三県十四機というのが現状でしょうから、なかなかそういうDMATのチームがいてもなかなかそこに行けないとか、また、お医者さんというのはなかなか一か所にいなくて、いろんな病院に転々する関係で固定編成が取れない。
その理由についてちょっと考えてみたいんですが、冷戦時代は、米ソの間で、相互確証破壊ということで、お互いとにかくオーバーキルというか、お互い破壊し尽くす、でもまだおつりが来るぐらい核の打撃力を持ち合うことによって、もうこんな無駄な撃ち合いはすべきでないということで抑止力がきいていた。しかし、北朝鮮というのは実はそういう相手ではない可能性が極めて高い、これが一つですね。
あらゆる政治団体の寄附について一律に銀行等への振り込みをさせるという、これはまさに過度な規制、オーバーキルといいますか、こういうことにもつながってしまいますし、一方、政治活動の自由というものをそいでしまうんじゃないか。
財政の健全化の観点でいうと、例えばGDP比一%、五兆円に達するような負担増は注意をしなければいけない、オーバーキルの可能性があるということではないかと考えている、こういうふうに述べられているわけです。その後本間議員が言われ、その後谷垣大臣が発言をされています。会議録が公開されております。
規制というのは、特定の行為、こういうことをしてはいけない、あるいはしなさいということでありまして、それは場合によっては、規制の仕方がまずいと、オーバーキルと申しますけれども、やり過ぎであったり、あるいは足らないと結局はその行為を、どっちにしても、する、ないしはしないということですから、その意味では、規制というのは個人の自由をその限りで制限することになりますけれども、税というのは、経済的な手法というのは
こういう基準だと絶対にどんなマニュアルを作ろうと、これは去年も魚住議員がオーバーキルじゃないかというふうなことで大変鋭い質問をなさったけれども、あのときに地域の実情に応じたいろいろな規定がありますよと、こういうふうな解説をなさっておりましたけれども、やっぱりそれは全部個々の検査官の裁量で行われるとするならば、検査官としては自分の身を守らなければならないから、不良債権の貸出し先を救ってやろうとか相手の
それを承知でマニュアルを発動して、そのとおりやって、そして、何ら不適切な部分はないんだというならば、我が海上保安庁はオーバーキルのマニュアルを持っておったんだ。救助する意思もなく、相手船を追い詰めて、自沈するなら海に浮かぶならそのままと。これはオーバーキルのマニュアル。こういうマニュアルを持っておるのかどうかということを私はお聞きしたいと思いますが。
○西村委員 ほぼ私の質問時間も終わりに近づいてきましたが、今回の最大の反省点は、諸外国から見て、我が国はオーバーキルのマニュアルを持っているのではないか、こういう誤解を与える点ですね。 海保の諸君の努力は本当にたたえねばなりません。
だけれども、いわゆるオーバーキルになってしまっておると、これだけはもう言っておきますよ。その認識だけはぜひひとつ大臣、共通の認識として持っていただきたいと思うんです。 今、型どおりのお答えはよくわかります。だけれども、そうじゃないということを、現場におけるひどさというものはこれはもう目を覆うものがある。
地域の経済事情、特に、ITを構造不況ととらえるか循環的なものととらえるか、このあたりはこれから非常に難しい面かと思うのですが、私は、これはまたいろいろ政府の中で論じていただかなければ、金融担当大臣が決めるわけにもまいらないと思いますけれども、いずれにせよ、循環的な不況の中でたまたま経営が破綻に近いような状況になっているものを構造的なものと一緒にしてもしやるとすると、不況時にはこれはオーバーキルの状態
○今川委員 もともと泡沫候補を排除する目的であったのでしょうが、オーバーキルになっているのではないかなと思います。最近は、特に無党派層が政治的な影響力を持つ中で、ざっくばらんに言うと、素人ができるだけ政治に参加しやすくなるというのが望ましいと思うのです。若者であったり女性であったり、最近だとNPO、市民が選挙に挑戦しようとする場合に、十分の一の供託金没収点というのはやはり厳しい。
そういう市民活動をやっておられる方々やさっき言った猟友会、そういう方々とうまくネットワークをつくっていかないと机上の空論というんでしょうか、権限は移譲した、実態がわからずに本来は守らなきゃならないものを殺してしまうとかオーバーキルになったり、そういうことをきちっとやってもらいたいと思うんですが、いかがでしょうか。
オーバーキルという言葉もございます。いわゆる、生涯サラリーマンとして働きましたならばマイホームを与えることが政治の基本であろう、こういうことでもございました。それを総需要抑制という観点から、金融、財政両面にわたって健全な経済運営に立ち戻るためにバブル退治をやらさせていただきました。 バブル退治の結果、健全な形になるわけでございますが、ここのところが辛抱であります。
また、バブルの崩壊過程においてオーバーキルが起こった、かなり急激に冷やし過ぎて軟着陸をさせなかった、これも景況判断の間違いがあった、これは三重野総裁の私は責任だと思っているわけであります。 またそのバブル発生、崩壊の過程において、かなり銀行が、金融機関が身勝手だった。
これを見ますと、私どもの推測ですけれども、三重野さんはどうももっとトラスチックに、アメリカがあるいはスウェーデンがやったように公的資金あるいは一般財源まで投入してずばっとやった方がよかったんじゃないかなと、金利を引き上げ過ぎて資産インフレをオーバーキルしたという後悔の念があるんじゃないかなというふうに思いますが、現総裁はどう思われますか。
原爆死、原爆で亡くなっていったあの死を過剰殺りく、つまりオーバーキルというふうに英語では言われておりますけれども、行き過ぎた死といいますか、過剰な殺りくと呼んだ方がいらっしゃいます。一人の人を何回も殺せる量の爆風と熱線と放射線が襲いかかり、人が殺されたその残酷さをこう呼んでいるわけなんです。
ある意味では、あの時点で、例えば地価税の導入ですとか一連のことを話し合いましたことが、現在のオーバーキルみたいな状況につながったということは間違いないと思います。
この輸送の合理化によって原爆や水爆の使用による大国間での大きな戦争は相殺とオーバーキルのおそれで不可能となってしまいました。また、人間の自由なる発想と生産性を無視し、軍事力のみに頼っていた共産主義国ソ連の自滅によりまして第三次世界大戦は終わったと言われておりますけれども、今日ではかえって世界の国々の間でトラブルが表面化しつつあることは御承知のとおりであります。
しかし、金融政策だけで土地の値段を下げようということになると、これは完全なオーバーキルもあり得るわけですから、今地価というものは徐々に下がるべきである、これは私はそう思っております。急激に地価が下がるということになりますと、金融機関の担保価値が激減をするわけですね。そのことによって、金融恐慌をもたらしかねない。
金融政策のタイミングは非常に重要でありまして、時期を失するとオーバーキルを起こしかねない。総裁としてはタイミングをはかっているということだと思いますが、日銀の立場で金融政策を転換できる条件というのはどういうことでしょうか。
その後金融引き締めが進んでおりますので、恐らく現在はそれを若干下回ってあるいは一・六、七カ月じゃないかと推定しておりますけれども、この水準はかってないぐらいいまだにまだ高い水準でございますので、いわゆるオーバーキルというようなことにはなっていないということははっきり言えると思います。