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16件の議事録が該当しました。

該当会議一覧(1会議3発言まで表示)

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1997-03-17 第140回国会 参議院 外務委員会 第4号

南極といいますと、北海道の片隅に生まれ育った私にとってはとても遠いところの話でありますが、敗戦から数年を経た昭和三十一年の冬に南極観測の第一次観測隊北海道網走市の郊外にある涛沸湖という湖で越冬訓練を行い、昭和三十二年にオングル島に昭和基地がつくられました。樺太圏の話題を含めて日本にとって南極が身近な存在となった時代でありました。

萱野茂

1962-12-22 第42回国会 衆議院 文教委員会 第2号

それから見ますと、オングル島の島の上にある日本基地というものは定着性がある。その上にオーロラの撮影は一番よい、学界に対する貢献はすばらしいということです。それから昭和基地が閉鎖しているために、気象通報がよその当地に入って参りません。ブランクになる。日本観測し、調査するように世界から割り当てられた区域は、昭和基地を中心として、日本の本土の二倍の広さです。

長谷川峻

1962-03-23 第40回国会 衆議院 科学技術振興対策特別委員会 第16号

そのまん中昭和基地オングル島がございます。さらに、赤い旗が三本ばかり立っております。これはソ連基地でございます。黒い旗、これはソ連でない、以外の国の基地でございます。現在、私たちがおりましたときには、南極条約参加中の国家のうちノルウェー、ベルギーが落ちまして、十カ国がこれに参加し、非常に協調あるいは友好的な関係を七年間続けて参ったわけでございます。

村山雅美

1962-03-23 第40回国会 衆議院 科学技術振興対策特別委員会 第16号

ちょうど昭和基地が立っておりますのは東オングル島という島でございますが、これはちょうど皇居の倍ほどの大きさがあるとわれわれ見ております。皇居の倍ぐらいの大きさの岩盤で、冬も氷や雪の積もることの非常に少ない、夏は全く雪のとれました暖かい基地がこのオングル局にあります。このオングル島は若干地勢は複雑でございますが、高さもわずか四十三メートルが最高峰、中には池もたくさんございます。

村山雅美

1958-04-01 第28回国会 衆議院 文教委員会 第14号

それがために逆に申しますとあれだけたくさん氷山があることからして、オングル島附近は、いつか相当広い範囲に開水面が出たという年があるということであります。この年が一体何年目にやってくるかということは、これはつまびらかではございませんが、しかし過去十年ごとに偶然写真がございます。これはノルウエーの写真アメリカ航空隊の写した写真とがございますが。

西堀栄三郎

1958-02-18 第28回国会 参議院 運輸委員会 第5号

政府委員島居辰次郎君) 多少誤解というと失礼でございますが、ございますので申し上げますが、この観測事業という——事業というのは観測仕事です、観測仕事というものは、これは文部省の方でおやりになるのでございまして、オングル島の場所文部省の方つまり学術会議の方で、外国で会議があってそこできめられて、それを持ってこられて、そうして日本にどっか船はないかということをお探しになった。

島居辰次郎

1958-02-18 第28回国会 参議院 運輸委員会 第5号

その後、宗谷バートン・アイランド号と一緒になりまして、そこに書いてございますリュッツォフ・ホルム湾まん中辺にございますオングル島から西北西六十八海里の所でとまりまして、これ以上はパートン・アイランド号能力をもってしてもオングル島の方へ近づけないというので、ここからあるいは氷上輸送とか、あるいは航空機による輸送、こういうものを考えましていろいろ手を尽したのでございますが、現地状況というものは、

島居辰次郎

1958-02-18 第28回国会 衆議院 運輸委員会 第6号

バートン・アイランド号宗谷が二月の七日に会合いたしまして、それから西南の方向に航路をとりまして、二月の九日にその地点に接岸いたしまして、それから十一人の越冬隊員を収容いたしますと同時に、飛行機ビーバーをもちまして資材を約二万トン程度オングル島に運び入れましたが、その後この地方の氷状がだんだんと悪化して参りまして、バートン・アイランド号の艦長よりの示唆もございまして、二月の十四日に離岸いたしております

安西正道

1958-02-18 第28回国会 衆議院 運輸委員会 第6号

船はできればもう少しオングル島に近い地点に水路を見つけて入りたいといっておるようでございますが、それは今までの状況から考えましても、また南極はもうすでに秋に来ておりますので、非常に天候の変化が激しく、また氷の状態もだんだん悪くなって参りますので、現地ではその場合には外洋から飛行機を飛ばすという計画を立てておるのでございます。

安西正道

1958-02-12 第28回国会 衆議院 文教委員会 第2号

そこで、本国からの救援の指示を受けましたバートン・アイランドは、宗谷の脱出の五日前の二月一日のミールヌイ基地ソ連基地に寄ったようでありますが、この付近から行動を開始しまして、以後バートン・アイランド宗谷とは連絡を毎日一回とりつつ、二月七日オングル島の北方約九十マイルの地点にて会合しております。配付いたしました地図でごらんいただきますと、右の方に赤い線で書いてありますかどのところであります。

島居辰次郎

1958-02-12 第28回国会 衆議院 文教委員会 第2号

もっと詳しく申しますと、オングル島の付近には開水面もあるかもしれませんが、そりでおりるのが一番有効であるというようなことで、幸い今宗谷が着岸しております北側の方、つまりオングル島に対して反対の方の側でありますが、そこに滑走路として使えるような格好な氷原があるということで、そこで、そこからそりをつけて飛ばして、今の昭和基地の近くにおりて、そうして現在おられる越冬隊の方々を一度に三人なり四人なり、荷物もございますのでそのときの

島居辰次郎

1958-02-06 第28回国会 参議院 運輸委員会 第3号

これにつきましては、方法はいろいろありますが、第一の方法のように、昭和基地の近い所へ着ければもちろん問題ありませんが、そうでない場合においてはビーバー飛行機を飛ばせまして、現地から、オングル島の付近には海水面が先般できたということでございますので、フロートをつけて水面から離水して、そうして向うのオングル島の付近海水面に着けます。

島居辰次郎

1958-02-06 第28回国会 衆議院 運輸委員会 第4号

もし出まして、もと入りかけたところ、去年の十二月二十六日ごろの場所まで約二百五十海ぐらいございますが、そこまで帰るには宗谷が一時間十ノットで行けば大体一日の航程でございますので、帰れると思いますが、その帰る前に飛行機を飛ばしまして、そうして進入路とか、あるいはリッツオホルム湾の東の方の状況、またオングル島に海水面があるかどうか、現地からは海水面があると言ってきているようでありますが、もう一ぺんそれを

島居辰次郎

1957-04-17 第26回国会 衆議院 文教委員会 第19号

それだけのことを考慮いたしまして、結局ここにありますオングル島というのが最も実際可能であるということになったわけであります。そこで観測基地全体といたしましては、大陸の端までは約四キロメートルでありまして、秋から冬、春にかけては渡ることができます。こちらへも行くことができます。結局ここのところに基地を設けたのであります。それがちょうどここでございます。

永田武

1957-02-27 第26回国会 衆議院 文教委員会 第6号

そこで、二月十五日の現地時間の十二時半に、オングル島の基地を出発いたしまして、その後すぐは順調に運んだのでありますが、約三十四マイルを航行いたしましたところ、直径五十一メートル、厚さ四メートル以上の氷塊の充満しておるところに遭遇いたしまして、一時中止したわけであります。そのときの時間が夜の現地時間の九時ごろであります。

島居辰次郎

1957-02-27 第26回国会 衆議院 内閣委員会 第10号

あのオングル島に越冬する人たちが、奥さんや子供さんたち写真で姿を写し、声を聞きながら越冬するということは、これは非常になぐさめになるのであって、こういうことは去年までは考えられなかった。その考えられなかったことができるようになって、しかも、その技術が日本アメリカよりも進んでおるそうで、まことに心強い話です。

粟山博

1957-02-21 第26回国会 衆議院 逓信委員会 第5号

粟山委員 ちょっと関連して、電波監理のことについて伺いたいのですが、目下南極観測船宗谷海鷹が非常な天候の障害と戦いながら、幸いにオングル島に越冬隊を上陸せしめ、しかも越冬の見通しができるだけの資材を陸揚げ凄いたしまして、今準備に取りかかっておる、まことにけっこうなことであります。

粟山博

1957-02-12 第26回国会 衆議院 予算委員会第一分科会 第2号

それは、首相臨時代理も御承知通り、今や各国が科学陣を動員いたしまして、南極探検を今までになく歴史的な意図をもっていろいろ競ってしておるわけでございますが、幸いに日本探検隊も、去る日オングル島に上陸をいたしまして、政府としても非常に喜びをもってこれを迎えられたようでございました。

上林山榮吉

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