1997-03-17 第140回国会 参議院 外務委員会 第4号
南極といいますと、北海道の片隅に生まれ育った私にとってはとても遠いところの話でありますが、敗戦から数年を経た昭和三十一年の冬に南極観測の第一次観測隊が北海道網走市の郊外にある涛沸湖という湖で越冬訓練を行い、昭和三十二年にオングル島に昭和基地がつくられました。樺太圏の話題を含めて日本にとって南極が身近な存在となった時代でありました。
南極といいますと、北海道の片隅に生まれ育った私にとってはとても遠いところの話でありますが、敗戦から数年を経た昭和三十一年の冬に南極観測の第一次観測隊が北海道網走市の郊外にある涛沸湖という湖で越冬訓練を行い、昭和三十二年にオングル島に昭和基地がつくられました。樺太圏の話題を含めて日本にとって南極が身近な存在となった時代でありました。
三十二年に東オングル島に昭和基地が設置されまして三十年を経過しておりますけれども、これまでの活動の成果、主な内容、これについて御答弁をお願いしたいと思います。
それから見ますと、オングル島の島の上にある日本の基地というものは定着性がある。その上にオーロラの撮影は一番よい、学界に対する貢献はすばらしいということです。それから昭和基地が閉鎖しているために、気象通報がよその当地に入って参りません。ブランクになる。日本が観測し、調査するように世界から割り当てられた区域は、昭和基地を中心として、日本の本土の二倍の広さです。
そのまん中に昭和基地オングル島がございます。さらに、赤い旗が三本ばかり立っております。これはソ連の基地でございます。黒い旗、これはソ連でない、以外の国の基地でございます。現在、私たちがおりましたときには、南極条約参加中の国家のうちノルウェー、ベルギーが落ちまして、十カ国がこれに参加し、非常に協調あるいは友好的な関係を七年間続けて参ったわけでございます。
ちょうど昭和基地が立っておりますのは東オングル島という島でございますが、これはちょうど皇居の倍ほどの大きさがあるとわれわれ見ております。皇居の倍ぐらいの大きさの岩盤で、冬も氷や雪の積もることの非常に少ない、夏は全く雪のとれました暖かい基地がこのオングル局にあります。このオングル島は若干地勢は複雑でございますが、高さもわずか四十三メートルが最高峰、中には池もたくさんございます。
昭和基地の設けてある場所は、御承知の通りオングル島という島でありますが、その後その付近、いわゆるリュッツオフ・ホルム湾の周辺を調査した結果によると、このオングル島の昭和基地のある場所は、科学的観測をするには最も都合のいい場所であるという結論に達しております。
それがために逆に申しますとあれだけたくさん氷山があることからして、オングル島附近は、いつか相当広い範囲に開水面が出たという年があるということであります。この年が一体何年目にやってくるかということは、これはつまびらかではございませんが、しかし過去十年ごとに偶然写真がございます。これはノルウエーの写真とアメリカの航空隊の写した写真とがございますが。
そうして宗谷はもちろん自力で出まして、バートン・アイランドと二月七日オングル島の北方約九十海里の地点で会合して、これからは両船でもってまた再び氷を割ってオングル島に向けて入って行ったのであります。
そこで、この地図で御説明をさせていただきましたように、バートン・アイランド号の三メーター六の砕氷能力の船でさえ、あの地点よりオングル島の方へは近づけなかったというような状況もありますので、非常に去年に比べて天候が、天候というか、気象状況が悪いということが言えるのであります。
○政府委員(島居辰次郎君) 多少誤解というと失礼でございますが、ございますので申し上げますが、この観測事業という——事業というのは観測の仕事です、観測の仕事というものは、これは文部省の方でおやりになるのでございまして、オングル島の場所も文部省の方つまり学術会議の方で、外国で会議があってそこできめられて、それを持ってこられて、そうして日本にどっか船はないかということをお探しになった。
その後、宗谷はバートン・アイランド号と一緒になりまして、そこに書いてございますリュッツォフ・ホルム湾のまん中辺にございますオングル島から西北西六十八海里の所でとまりまして、これ以上はパートン・アイランド号の能力をもってしてもオングル島の方へ近づけないというので、ここからあるいは氷上輸送とか、あるいは航空機による輸送、こういうものを考えましていろいろ手を尽したのでございますが、現地の状況というものは、
バートン・アイランド号と宗谷が二月の七日に会合いたしまして、それから西南の方向に航路をとりまして、二月の九日にその地点に接岸いたしまして、それから十一人の越冬隊員を収容いたしますと同時に、飛行機ビーバーをもちまして資材を約二万トン程度オングル島に運び入れましたが、その後この地方の氷状がだんだんと悪化して参りまして、バートン・アイランド号の艦長よりの示唆もございまして、二月の十四日に離岸いたしております
船はできればもう少しオングル島に近い地点に水路を見つけて入りたいといっておるようでございますが、それは今までの状況から考えましても、また南極はもうすでに秋に来ておりますので、非常に天候の変化が激しく、また氷の状態もだんだん悪くなって参りますので、現地ではその場合には外洋から飛行機を飛ばすという計画を立てておるのでございます。
そこで、本国からの救援の指示を受けましたバートン・アイランドは、宗谷の脱出の五日前の二月一日のミールヌイ基地のソ連の基地に寄ったようでありますが、この付近から行動を開始しまして、以後バートン・アイランドと宗谷とは連絡を毎日一回とりつつ、二月七日オングル島の北方約九十マイルの地点にて会合しております。配付いたしました地図でごらんいただきますと、右の方に赤い線で書いてありますかどのところであります。
もっと詳しく申しますと、オングル島の付近には開水面もあるかもしれませんが、そりでおりるのが一番有効であるというようなことで、幸い今宗谷が着岸しております北側の方、つまりオングル島に対して反対の方の側でありますが、そこに滑走路として使えるような格好な氷原があるということで、そこで、そこからそりをつけて飛ばして、今の昭和基地の近くにおりて、そうして現在おられる越冬隊の方々を一度に三人なり四人なり、荷物もございますのでそのときの
これにつきましては、方法はいろいろありますが、第一の方法のように、昭和基地の近い所へ着ければもちろん問題ありませんが、そうでない場合においてはビーバー、飛行機を飛ばせまして、現地から、オングル島の付近には海水面が先般できたということでございますので、フロートをつけて水面から離水して、そうして向うのオングル島の付近の海水面に着けます。
もし出まして、もと入りかけたところ、去年の十二月二十六日ごろの場所まで約二百五十海ぐらいございますが、そこまで帰るには宗谷が一時間十ノットで行けば大体一日の航程でございますので、帰れると思いますが、その帰る前に飛行機を飛ばしまして、そうして進入路とか、あるいはリッツオホルム湾の東の方の状況、またオングル島に海水面があるかどうか、現地からは海水面があると言ってきているようでありますが、もう一ぺんそれを
オングル島の近くには昭和基地からの連絡によりますと開水面が先般できた、こういう話でありますが、しかしながらもう一ぺんビーバーで現実に出たなら昭和基地の付近を探しまして、開水面が依然としてあればその開水面におりて従事員の人たちを収容できる、こういうことになるわけであります。
それだけのことを考慮いたしまして、結局ここにありますオングル島というのが最も実際可能であるということになったわけであります。そこで観測基地全体といたしましては、大陸の端までは約四キロメートルでありまして、秋から冬、春にかけては渡ることができます。こちらへも行くことができます。結局ここのところに基地を設けたのであります。それがちょうどここでございます。
そこで、二月十五日の現地時間の十二時半に、オングル島の基地を出発いたしまして、その後すぐは順調に運んだのでありますが、約三十四マイルを航行いたしましたところ、直径五十一メートル、厚さ四メートル以上の氷塊の充満しておるところに遭遇いたしまして、一時中止したわけであります。そのときの時間が夜の現地時間の九時ごろであります。
あのオングル島に越冬する人たちが、奥さんや子供さんたちと写真で姿を写し、声を聞きながら越冬するということは、これは非常になぐさめになるのであって、こういうことは去年までは考えられなかった。その考えられなかったことができるようになって、しかも、その技術が日本はアメリカよりも進んでおるそうで、まことに心強い話です。
○粟山委員 ちょっと関連して、電波監理のことについて伺いたいのですが、目下南極観測船の宗谷、海鷹が非常な天候の障害と戦いながら、幸いにオングル島に越冬隊を上陸せしめ、しかも越冬の見通しができるだけの資材を陸揚げ凄いたしまして、今準備に取りかかっておる、まことにけっこうなことであります。
○粟山委員 私の伺いたいのは、御承知の通りオングル島というものは、これは無主物地帯であります。いずれの国も領地確認をしていない。ただ日本の隊員が上陸している。
それは、首相臨時代理も御承知の通り、今や各国が科学陣を動員いたしまして、南極の探検を今までになく歴史的な意図をもっていろいろ競ってしておるわけでございますが、幸いに日本の探検隊も、去る日オングル島に上陸をいたしまして、政府としても非常に喜びをもってこれを迎えられたようでございました。