2005-02-25 第162回国会 衆議院 予算委員会第三分科会 第1号
一九六九年の二月二十九日に、当時のアメリカの大統領のリチャード・ニクソンがパリのオルリー空港におり立ちました。そのときに、シャルル・ドゴールは、寒風の中、帽子をとり、そしてオーバーを脱いでタラップの下で迎えたそうです。シャルル・ドゴールは、アメリカの大統領だけではなくて、小さな国の元首に対しても同じようなことをし続けたそうです。
一九六九年の二月二十九日に、当時のアメリカの大統領のリチャード・ニクソンがパリのオルリー空港におり立ちました。そのときに、シャルル・ドゴールは、寒風の中、帽子をとり、そしてオーバーを脱いでタラップの下で迎えたそうです。シャルル・ドゴールは、アメリカの大統領だけではなくて、小さな国の元首に対しても同じようなことをし続けたそうです。
もっとも、ロンドンはヒースローとガトウィックとか、パリはシャルル・ドゴールとオルリーとか、ニューヨークは御承知のジョン・F・ケネディとラガーディアとか、二つ三つあるんですけれども、ただ、それぞれ一つずつも結構大きい。余裕を持っているわけですよね。
そういう関係でそういった容量になっておりますけれども、諸外国におきましては飛行経路等の関係で先生御指摘のような容量を処理している空港もございますれば、例えばパリのオルリー空港、これも三本滑走路がございますが、これも二十四万回程度と、それぞれの置かれた状況によって、管制等の観点あるいは騒音等の観点からそれぞれ容量は異なる部分もあろうかというふうに承知しております。
なお、ちなみに成田空港のすぐ上がパリのオルリー空港、その上がニューヨークのジョン・F・ケネディ空港、こういう形でございまして、必ずしもこの調査結果だけで成田の評価がブービーだというのは、繰り返しになりますが、私どもはいささか異論のあるところでございます。
その調査委員会の報告というものですと、例えばパリのオルリー空港というのがあったりして、空港の救急医療体制はパリの公団医療部が行って、本部には医師二名、看護婦や医療担当など九名が常時従事というような報告等がなされていますが、こういう世界各国の調査というのは、八五年の九月から十月以来、どこかで行われて、それを参考にして日本の空港というものの救急医療体制を強化しようという試みがございますか。
外国と比べる場合に、見方によりましていろいろな評価ができるわけでございまして、今先生がお示しになりましたオルリーというのはかなり進んだ体制になっております。
それからフランスが、オルリー−マルセイユ間で試算したものでございますけれども、空港使用料が七・四%、燃料税が四・一%、それから通行税的なものが六・五%、合計が一八%でございます。それから、アメリカの場合はシカゴ−ニューヨークを例にとって試算しますと、空港使用料が一・一%、それから通行税的なものが七・四%、計八・五%でございます。
有名な話ですけれども、例えばパリのオルリー空港ですか、あれなんかたしか地主さんが四人というようなこと。それからもう一つわからないんですけれども、これは的確でございませんけれども、日本人というのは都市問題なんかで外国へ行きますと、日本のかなり専門の方もこの辺は坪幾らですかと必ず聞くんですけれども、向こうじゃお答えがあったことないですね。大体土地所有者が少ない。それから住宅をもろに売るのです。
先ほどドゴール空港のことをおっしゃいましたけれども、フランスのようにオルリー空港なんかもあるということで使えるところはまだいいんです。いま羽田は全くだめでしょう、これからは、まあ緊急の場合はともかくといたしましてですね。とにかく狭い国土の中で、ほかの国とちょっと比較できないそういう条件を備えているわけでございますので、そういう発想から展開するということは非常に危険が伴うんではないか。
○上林繁次郎君 そこで、お尋ねをしてみたいんですけれども、いま最近開港されたというパリのドゴール空港、これは滑走路一本だというわけですけれども、近くには、ル・ブルジェ空港、それからオルリー空港とかいうのが近くにあるですね。だから、そういった絡みもあるだろうというふうに思いますよね、これは。
それからパリのオルリー空港では十八万八千三百回でございます。大体いま先生のお話しになりましたスキポールそれからオルリーについては……
たとえばパリのドゴール空港、非常に新しい空港でございますが、これもオルリー空港が完成したときにもうすでに計画、着工を始めておりまして、やはり将来計画がなければならないと思います。またアメリカのダラス・フォートウォースは、御存じのように二十一世紀を目途とした空港として非常にべらぼうなものをつくっております。こういった計画がなければならないのじゃなかろうか。
第二滑走路は目下建設中ということになっておりまして、これもやはりル・ブルジェ、オルリーだけでは足らなくてシャルル・ドゴールをつくった。第二滑走路までできるのを待てばいいのだけれども、航空需要に追いつけないので、とりあえず開業したということであろうかと存じます。 もちろん成田につきまして、一本滑走路よりも二本、三本がいいわけでございますが、第二期工事の様子を考えますと、まだかなり時間がかかる。
で、配られていますこの資料によりましても、ロンドンのヒースロー空港あるいはパリのドゴール、オルリー空港、オーストラリアのシドニー、メルボルン等々で、すでに行われつつあるしということであります。
このシステムは、一九七一年にイギリスのロンドン空港でまず発足いたしましたけれども、それから昨年ドゴール空港、それからオルリー空港で同じようなシステムが発足いたしたわけでありますけれども、いずれもこの両国におきましてはまだ航空貨物だけでございます。
たとえばパリの場合、オルリーとル・ブルジェの近くの都心から十キロの環状道路をとってトラックターミナルをつくったけれども、しかし、それによって交通が緩和されるんじゃなくて、むしろ別なところにある市場とか、そういうものの要因で交通混雑がひどくなってくる、それをどうするかというようなことを考えなきゃならぬような状態になっている。
で、私ども、諸外国のいろいろ主要空港でどういうことをしているかという調査もいたしてみたわけでございますが、先生の御提言のごとく、ほとんどの、たとえばヒースロウにいたしましても、フランスのオルリー、あるいはジュッセルドルフ等にいたしましても、特定の地域の建設禁止とか、あるいは住宅の禁止区域の設定とか、そういったことが中心になっておるわけでございます。
現地時間の三月三日午後零時四十五分過ぎ、パリのオルリー空港離陸直後、トルコ航空のDC10が墜落をいたしまして、日本人の乗客四十八人、たいへんとうとい命でございますが、この犠牲を含めて三百四十五人の方が一挙になくなられた。この事件以後、どうも大型化という問題についてはいろいろな観点から問題が提起されているわけであります。
ところが御承知のとおり、一昨日のあのパリのオルリー空港近辺で起こった大惨事であります。いま、当面は日航も全日空も発注をして、そうして入手をして、あすの日からでも就航が可能な機種はDC10ではありません。一昨日のあの大惨事による問題の機種で注目をされておりますDC10ではありません。
また昨日は、フランスのオルリー空港の近辺で大惨事が起こるということでもございます。大量にお客さんを乗せまして大型機か墜落したときの惨事というのは、もう私たちの想像を絶するものだろうというふうに考えるわけです。
それからまた、欧州にあった日航機のチャーター便として就航していたものを、帰国のために応援させることといたしまして、同機はパリのオルリー空港を離陸いたしまして、トリポリ空港を経由して二十六日午後六時十分にベニナ空港に到着いたしました。
それからパリのオルリー空港が千六百ヘクタール、ニューヨークのケネディ空港二千五十ヘクタールあるわけでございますが、これに比べて東京の羽田の国際空港は四百八ヘクタールしかありません。また、大阪国際空港は三百十七ヘクタールしかないわけでありまして、新東京国際空港は千六十五ヘクタール、やっとこれは国際的な広さに達するということでありますが、名古屋国際空港は二百ヘクタールであります。