1964-04-07 第46回国会 衆議院 オリンピック東京大会準備促進特別委員会 第4号
四月二日の一部新聞におきましては、組織委員会は、北朝鮮、朝鮮民主金義人民共和国オリンピツク委員会に対しまして、入場券の種目、枚数及びエ−ジェント、それから調査団に対する希望等々について、審議をされました結果、近く北朝鮮に対してそれの通告をして回答を求めるということを決定したということが報道されておりましたが、これは事実でございますか。
四月二日の一部新聞におきましては、組織委員会は、北朝鮮、朝鮮民主金義人民共和国オリンピツク委員会に対しまして、入場券の種目、枚数及びエ−ジェント、それから調査団に対する希望等々について、審議をされました結果、近く北朝鮮に対してそれの通告をして回答を求めるということを決定したということが報道されておりましたが、これは事実でございますか。
従つて将来オリンピツク委員会で問題になるかもしれませんが、現在は問題にならぬ、そういう意味で申し上げたのであります。なお、「世上往々この種の競技に対してなされる非難」ということが書かれておりますが、「世上往々この種の競技に対してなされる非難」というのは、具体的にどういう点をおさしになつておりますか。
提案者はそういう御信念で出されておると思いますが、健全なる国際的スポーツならば、私は当然オリンピツク委員会がこれを取上げるべきだと思いますが、こういう問題は全然取上げておりませんし、オリンピツク委員会でそういう競技のことが発議されたということも聞いておりません。それで健全なということと、国際的ということと、スポーツであるということに該当する根拠をお伺いいたします。
ただ、そのことを申し上げる前に、前提として申し上げたいのは、オリンピックの代表団というものをつくることは、これはあくまで日本のオリンピツク委員会たる体育協会の責任においてやるものでありまして、これは政府その他の干渉というものは一切排除されなければならないと思うのです。ということは、オリンピックそのものは、政治的な介入を非常に神経質に拒否しておるのであります。
本年に入りましては、シーズン半ばでありますので、まだこのような朗報を聞いてはおりませんが、四月末にローマで開催された國際オリンピツク委員会においては、日本のオリンピック参加に明るい希望を投げかけるような決議がなされたことは、すでに新聞紙上を通じて十分御承知のことと思います。
私は、この決議案が、去る四月二十九日にローマで開かれました國際オリンピツク委員会において、十三年間日本がオリンピツク出場を禁止されまして新たに復帰を許され、一九五二年のヘルシンキ大会に出場ができるという喜びを含んで提案されましたことを思いあわせ、まことに時宜を得た決議案なりと感謝する次第でございます。
日本のオリンピツク参加の復活は國際オリンピツク委員会の採決にまたなければならないことは申すまでもないことであります。昨年の夏、ロンドン会議に資金難その他の関係で日本の國際オリンピツク委員を派遣し得なかつた日本スポーツ界は、今年こそローマに永井氏を派遣せんと努力したのでありますが、再度資金その他の難問題で、まつたく絶望となつたのであります。
昨日は、皆樣御承知の通り、われわれ待望の永井氏が國際オリンピツク委員会に参加することを許されました。また近くは、政府の発表によりますと、商務官を送るような段取りになる予定との報道もあります。さらに最近では、われわれ熱望に熱望を重ねておりました國会議員の海外視察ということも予定されておるやに聞いておりました。私どもは、苦しい生活の中からも暗夜にともし火を求めるような感じがして参つたのであります。
○近藤政務次官 オリンピツクにわが國が参加を許されるかどうかということは、マツカーサー元帥とオリンピツク委員会との意思によるものと考えられるわけでございますが、オリンピツク大会出場の各代表は政府の代表ではないから、オリンピツク参加の問題は講和條約締結の時期とは必ずしも関係がなく、連合國の対日管理政策がこの方面に緩和されるかどうかにかかるところが多いと思つております。
これはもちろんアメリカのオリンピツク委員会でやることでございますが、非常に次のオリンピツク大会に参加の可能性が出てきたというふうに看取されますので、ただ民間にまかせず、この際政府としては積極的に、やはり民間の方で準備ができ、オリンピツクへ参加できるような態勢、または必要なれば予算的措置、こういうことを將來講ずることが好ましいのではないか。
○大野(勝巳)政府委員 はなはだ先のことではありますので、手続のことは予断は許されないのでありますが、われわれが判断し得る限度においてお答えいたしまするならば、オリンピツクのことに関しましては、日本に最初にオリンピツク委員会というものが存在し、かつそれが世界的に公認されることがまず先決條件であると、かように考えるのであります。