2015-05-12 第189回国会 参議院 文教科学委員会 第8号
この道の精神というのは、つまり、スポーツというのはテクニック、競い合うということを超えて、人格的にもより昇華しながら、一つの道を通じていかに人間的にも究めていくかということでありまして、戦うという姿勢から、いかに、よりそれを超えたような精神性の高い道の道、これはオリンピック憲章そのものにもうたわれていることに共通するのではないかと思います。
この道の精神というのは、つまり、スポーツというのはテクニック、競い合うということを超えて、人格的にもより昇華しながら、一つの道を通じていかに人間的にも究めていくかということでありまして、戦うという姿勢から、いかに、よりそれを超えたような精神性の高い道の道、これはオリンピック憲章そのものにもうたわれていることに共通するのではないかと思います。
しかし、日本は、ただのスポーツに終わらせないで、人がいかに生きるかということを一つの道を通じて、これは茶道とか華道とかほかの部分についても全部言える部分がありますが、まさにオリンピック憲章そのものでもあるというふうに思います。
是非、そのオリンピック憲章そのものを日本から発してほしいということをいろんな方に言われました。
それというのも、その方が、同じ名字ですが、宮本武蔵の五輪書を読んでおられまして、日本というのは、もう何百年も前から、武道をただの武術としているのではなく、まさに道、柔道、剣道というふうに、スポーツを人の道まで昇華している、極めている、スポーツを通じて、人生いかに生きるかという一流の生き方を目指している、これこそはまさにオリンピック憲章そのものの精神であり、これは、どこの国以上に日本が実現できるだけの
なぜかというと、オリンピック憲章そのものを実際に実践して世界に普遍化できるのは日本しかないと思っているからだということをその方が言われまして、私は感動的な思いをいたしましたし、確かにそのとおりだというふうに思います。
しかしながら、国交未回復国の選手、役員、報道関係は、もちろん、オリンピック憲章、オリンピック規約に従いまして平等に扱って前例どおりやっておる次第は、ただいま担当大臣からお答えのとおりでございますが、オリンピック憲章そのものには、私どもの伺っておりますところでは、一般の観客につきましては全然触れておりませんし、また前々大会以来の傾向からいたしましても、各国ともこの問題につきましてはある程度制限を加えた
○佐藤国務大臣 ただいまのお話のように、オリンピック憲章にははっきり書いてありますが、オリンピック憲章そのものはこれは条約というほどのものではございませんから、そういう意味で赤十字の場合とは違う。いずれにいたしましても、立法措置を必要とするかどうかということも一つの研究課題でありまして、その意味で、国会においてもいろいろ研究していただいておるようであります。
オリンピック憲章そのものを変更すれば別であるけれども、アマチュアリズム一つをとらえても全くめちゃくちゃでございます。無理なことは、今後東京大会を最後として続かないだろうということさえも言われております。私はむしろそういう説に賛成するほうであります。