1964-09-10 第46回国会 衆議院 オリンピック東京大会準備促進特別委員会 第8号
○川崎(秀)委員 この委員会はオリンピック促進委員会ですから、多少違うかもしれませんけれども、非常に重大な関連があり、今後委員会も開かれないと思うので、一言前田局長に聞いておきたいのですが、オリンピック選手村のあとは大体青少年のために使うということの線が大勢としてきまりつつあるように聞いておりますけれども、文部省ではいまのところどういう計画で――オリンピック選手村のあとに残った鉄筋コンクリート二十何棟
○川崎(秀)委員 この委員会はオリンピック促進委員会ですから、多少違うかもしれませんけれども、非常に重大な関連があり、今後委員会も開かれないと思うので、一言前田局長に聞いておきたいのですが、オリンピック選手村のあとは大体青少年のために使うということの線が大勢としてきまりつつあるように聞いておりますけれども、文部省ではいまのところどういう計画で――オリンピック選手村のあとに残った鉄筋コンクリート二十何棟
今日午前十時から帝国ホテルで、スカルノ大統領の部屋で私も立ち合いまして、日本のIOCの委員である東龍太郎君、高石真五郎君、JOC委員長の竹田さん、それにオリンピック促進委員会の与謝野事務総長が出まして、インドネシアから大統領、マラディ・スポーツ大臣、スバンドリオ外務大臣、その他出ていろいろ懇談をいたしました。主として従来の行きがかり等について一応検討を加えたのであります。
それで小平長官は、まあ最善の努力をするというような御発言もあったし、その後やはり当委員会や、衆議院のオリンピック促進委員会の委員長初め理事の方々にもいろいろと努力されている問題でもありますが、それに対して長官はどういう努力をされ、どういう大蔵省の意向であるか、どういうふうにして解決をする見通しがあるか、こういう問題につきまして、ひとつここで率直に経過を報告してもらいたいと思う。