2020-05-22 第201回国会 衆議院 外務委員会 第9号
また、トルコにつきましては、十九世紀末に和歌山県の串本町沖に台風により沈没したオスマントルコ帝国海軍の軍艦の乗組員を地元の住民が協力して救出してトルコに送還をしたということが、トルコ国民の心に今でも残っているわけであります。
また、トルコにつきましては、十九世紀末に和歌山県の串本町沖に台風により沈没したオスマントルコ帝国海軍の軍艦の乗組員を地元の住民が協力して救出してトルコに送還をしたということが、トルコ国民の心に今でも残っているわけであります。
そういった中でまず感じたことは、そのイスラム社会を離脱して西欧化しなければ我が国の将来はないというふうな形で行われたいわゆるトルコ革命、ケマル・アタチュルクという人の、オスマン・トルコ帝国を倒して、第一次世界大戦後、西欧化にかじを切ったトルコの現在でございます。 選挙の結果、やはり宗教色の強い政党が政権に今度返り着くと。
私は、さきの国会まで国民・経済調査会にいたんですけれども、九州へ行ってまいりまして、こちらの調査会はいいなと思いまして、またこのように二週間で五か所も国々を回るということで、また行く場所が、オスマン・トルコ帝国のコンスタンティノープルだったトルコ、そしてアラブ・ナショナリズムのバース主義の発祥の地であるシリア、そして中東のベニスと言われたレバノンであるとか、イスラエルと最初に和平会談をしたエジプト、
しかし、これは、アジアで最初の近代憲法は、一八七六年にオスマントルコ帝国で公布されたミドハド憲法という指摘があるなど、こうしたたぐいで五十一カ所であります。私は、歴史教科書としては、これは余りにも恥ずかしいものだと言わなければならないと思うのですね。
明治の大日本帝国形成期、このころは大英帝国だとかオーストリー・ハンガリー帝国、ドイツ帝国など西欧型の帝国もありましたし、オスマントルコ帝国とかロマノフ帝国、これは西欧型に半分入れてもいい。中国の大清帝国、そういった古い形の帝国もありました。
さらに十五世紀にはビザンチン帝国がオスマントルコ帝国に滅ぼされて、西欧帝国主義の出発点となるのに対しまして、帝政ロシアの圧力をも体験している。我が国は、徳川幕府が倒れまして、新しく帝国主義になった。こういう、国の出発点が実は似ているわけでございます。
その中で、たとえばイスタンブールに参りまして、かつて欧州、アジア、アフリカの三大陸にまたがって六百年もの長い間築いた大帝国、オスマン・トルコ帝国、これの滅亡、あるいはローマの昔、あるいはチュニジア、ここは御承知のとおりカルタゴでございます。こうしたところが、かつては、それこそ世界に覇を唱えるほどの強大な民族であった。