1974-03-22 第72回国会 参議院 決算委員会 第6号
さらに、カロリン諸島のエンダービー島には、昭和四十七年の十月に調査を実施いたしております。それから、ソロモン諸島のセントジョージ島におきましては、四十八年の五月に調査を実施いたしております。
さらに、カロリン諸島のエンダービー島には、昭和四十七年の十月に調査を実施いたしております。それから、ソロモン諸島のセントジョージ島におきましては、四十八年の五月に調査を実施いたしております。
それからエンダービー島というのがございまして、これは中部太平洋のトラックの近所でございますが、復員のときにエンダービー島から復員の船が出るというので、みな部隊が日を定めてカヌーに乗ってそこに集結したのでございますが、その際に五名乗せた一隻のカヌーがついに到着しなかった。
またエンダービー島、ここには五名の人がおられて、これは民間の人、五名が二十三日から漁船をチャーターして島の捜索を始めたというような記事も出ておるわけでありますが、こういう一連の民間側の協力に対して、政府がおやりになることとの提携と申しますか、どのように連携をとりながら、あるいはまた経費の面についても、どのように民間側の協力に対して見ていかれるかという点をひとつ伺いたい。
生存情報と申しましても、おもなものを申し上げれば、グアム島でありますとかあるいはエンダービー島あるいはフィリピンのミンダナオ島あるいはソロモン群島のセントジョージ島、こういったような島につきましては生存情報がございます。従来からもいろいろな調査の手を打っておりますが、それで十分かどうか、そういったいままでの情報すべてを再検討いたしまして、必要な手をどんどん打っていきたい、かように考えております。
彼らはこれを名づけてエンダービー・ベースと申しております。これをエンダービー半島、エンダービー岬と称しておりますが、それをとってエンダービー・ベースと呼んでおります。その位置は、ここに書きましたが、六十七度サウス、四十七度イーストという地点でありまして、オーストラリアの領域とは申せませんが、地域内にぽつんとできたわけであります。
十二月の十一日にケープタウンを出航いたしまして、目的地に向けて一路南下を続けたのでありますが、予備観測と同様に、まず目的地へ直接突っ込む前に、エンダービーの氷を見ることによりまして、今年のリュッッオフ・ホルム湾付近の氷状がどういう傾向をなしているかということを調査する必要を感じまして、あちらに向けたのでございますが、暴風圏は、私たちの想像以上にしけの期間も短かく、意外に感じたのでありますけれども、その
宗谷は前回の予備観測の経験にかんがみまして、一昨年より十八日早く、昨年の十月二十一日東京を出港いたしまして、その後予定通り十二月二十一日に極地のエンダービー・ランドのクローズ岬沖に到達したのであります。これから大陸に沿いまして、西南方のコースをとりまして、ヘリコプターをもって進入水路の調査を行いながらリュッツォフ・ホルム湾に接近していったのであります。
その後予定通り順調に参りまして、十二月二十一日極地のエンダービー・ランドのクローズ岬の沖に到着いたしました。これから大陸に沿いまして西南方のコースをとり、ヘリコプターをもって進入水路の調査を行いながら、リッツオホルム湾の方に接近していったのであります。そちらの方に宗谷の航跡図がございますので、それをごらんいただけばけっこうかと思います。
幸い、船長に任命されました現在の松本船長は斯界に、認められました優秀な技術の持ち主でございまして、幸い最も近いエンダービーの――先ほど隊長から第三候補地にあげましたエンダービーでございますが、この付近を航行するところの捕鯨船に乗船しまして、リュツォ・ホルム湾そのものの調査はできなかったのでございますが、あの付近に流れてくるところの氷はエンダービー付近の氷でございまして、その点からしまして、あちらへ派遣
と申しますのは、日本のわれわれ責任者のだれも現地へは行っていないのでございまして、先日宗谷の松本船長がお帰りになりましたが、松本船長もエンダービー・ランドという、この近くまで、陸地から十三海里のところまで行かれたのでありますが、こちらにはお見えになっておりません。
と申しますのは、宗谷の松本船長が、一応先ほどお話しましたエンダービー・ランドまで行ってきまして、お帰りになったわけでありますが、船はやはり船長が目的地まで責任を持って連れて行かれるわけであります。船長の意見というものは、重視しなければならないわけであります。