1959-11-06 第33回国会 参議院 本会議 第6号
翌一九四九年の三月六日にエリゼ宣言というものが発せられておりまして、明らかに全ベトナムを代表する政府としてバオダイを認めておるわけであります。当時、仏印三国を処理するわけでありますから、ラオス、カンボジアにつきましても国境を画定して、それを決定いたしたのでありまして、その関係から見ましても、ベトナムが当然全ベトナムを代表する政府としてフランスが認めたということは明らかだと存じております。
翌一九四九年の三月六日にエリゼ宣言というものが発せられておりまして、明らかに全ベトナムを代表する政府としてバオダイを認めておるわけであります。当時、仏印三国を処理するわけでありますから、ラオス、カンボジアにつきましても国境を画定して、それを決定いたしたのでありまして、その関係から見ましても、ベトナムが当然全ベトナムを代表する政府としてフランスが認めたということは明らかだと存じております。
その後その翌年の一九四九年の三月エリゼ宣言によって明らかにこれは認められ、また一九五〇年の二月でありましたか、これをフランスとの間に批准をいたしておるわけであります。そういうことでフランスが仏印三国を独立させるということにおいてはそういう処置をとっていき、一方一年おくれましたけれども、ラオス、カンボジアに対しても同じような処置をとって進めて参ったわけであります。
その翌年の三月にエリゼ宣言というものがありまして、フランスは明らかに全ベトナムを代表する政府としてこれを処理いたしてきたわけであります。