1951-01-27 第10回国会 参議院 本会議 第5号
特に国際情勢が急迫しておる際に、そういうようなために八千万同胞のエネルギーが再建のために集結されないということは非常に不幸なことだと思いますので、この際、国会といたしましては、全体の意見をまとめまして、強力にマツカーサー元帥とダレス特使に当りまして、占領政策に違反しない限り、殆んど挙げて国会に国政の大部分を委ねてもらい、そうして必要以上に占領軍当局の手を煩わさないということが必要だと思いますが、そういうふうにいたしまして
特に国際情勢が急迫しておる際に、そういうようなために八千万同胞のエネルギーが再建のために集結されないということは非常に不幸なことだと思いますので、この際、国会といたしましては、全体の意見をまとめまして、強力にマツカーサー元帥とダレス特使に当りまして、占領政策に違反しない限り、殆んど挙げて国会に国政の大部分を委ねてもらい、そうして必要以上に占領軍当局の手を煩わさないということが必要だと思いますが、そういうふうにいたしまして
私は法務総裁が或る特殊の、さつきおつしやつたような治安に非常にエネルギーを費して、他方にそういう民生安定的な治安対策というものは看過されておるのじやないか、その点を一つ伺いたいのです。
私々は昔のような食習慣に帰るという、そういう考え方で主食の価格体系を考えて頂いたのでは、これは非常な間違いであつて、農村のほうもやはり米、麦、稗を食べるよりは、少量でも栄養分の多い蛋白質、脂肪類を多くとればエネルギーが多くできるわけです。
そうすると、二千二百円といたしまして、そういう内容ですと、実際どこかに行くというような形になり易いのでありますが、これはなぜ私がこういうことを申しますかというと、食生活は、これはもう非常に朝早くから猛訓練をいたしますから、猛訓練をすればそれだけエネルギーが要りますから非常に食生活のことを考えてやらないと、入つて二カ月もしたら結核になつた。
訓練はいろいろ大事でございましようけれども、その人たちも生きておるのだから生活のことを考えて上げて頂かなければならんと思うのでございますが、生活の中で一番大事なことは、毎日のエネルギーの再生産、食生活のことでございますが、もう一つは毎日訓練していますから病気になる。
そうして余分のエネルギーを使つて、そのエネルギーを補給するに足りない超過勤務手当をもらつておる状態である。越冬資金におきましてもこれは食えぬからもらう。そして家計は赤字に次ぐに赤字である。そうして越すに越されぬ年末をどうするかという必死の問題にぶつつかつて、初めて政府と囲いながら越冬資金をもらう。そのもらつたとたんにまた税金、しかもこれが零細の俸給に加算されて税をとられる。
日本の再建の唯一の期待を青少年の教育に繋いで、極めて薄給な生活に甘んじて、そして六・三制の完成のために全エネルギーを投じてやつているにかかわらず、歴代の内閣がかような要請に応えない。
(拍手)この資本の蓄積はドツジ氏や政府の最も強調される点でございますが、我々は農民が再生産の基礎を作ることも、或いは又国民大衆が明日の生産へのエネルギーを蓄積することも、又資本蓄積の重要な一環であるとの理解の上に立つておるのであります。この資本蓄積に関する偏向は税制体系の上にも現われておりまして、なかんずく地方税の住民税についてもこれが強く言い得られると考えております。
あらゆる産業の基礎である動力エネルギーを解決しなければなりません。日本が四つの島にとじ込められた今日においては、鉄も石炭も不足しております。ただあり余つておるものは水力のみであります。この豊富なる水力を利用して白い石炭をつくらなければなりません。かくして、水力電源の開発こそ今日の日本に負荷された唯一の産業自立への基礎條件であるのであります。
以上の三案がただいまのところ有力なのでありますが、新宇治堰堤案と瀬田川電源拡充案は、湖岸既存利用施設のため制約され、琵琶湖のけた違いに大きい包蔵エネルギーを利用し得ず、現在瀬田川洗堰で行つておりますところの湖面プラス三十センチメートルよりマイナス一メートルの調節、これをそのまま遵守しているのでありまして、單に瀬田川筋の常時平均電力の増加のみを考えているともいえるのであります。
水力電気と石炭と石油製品と、この三つがエネルギーの根源でありまするから、国家の産業経済の建前からいたしまして、特別にこれは優遇しなければならぬものである。かように考える次第であります。それでどうしてもこの点につきまして、どういうお考えをもつて燃料の価上げが行われるものであるのか。まず第一点におきましては、私は物価庁が価格の改訂、価格の構成というものをどういうふうに考えておられるのか。
又工業の発達に伴いましてエネルギー源としまして水力発電が勃興した。このためにいわゆる消極的な治水第一という考え方では、これら利水の要求に副うように立て直して行かれねばならなかつたと思うのでありますが、現実は果してどうであつたろうかと言いますと、ただ河川の洪水防禦という面が非常に強くなつて来ておりまして、積極的に利水方面を考えるに余り心を入れてないという嫌いがあつたように思われます。
日本の現在の状況においては、今後の総合開発によつて得られるエネルギー源というようなものが、どつちの方向に大体向うのでございましようか。ダムの方向に向うか。水路の方向に向うか。
そして学生諸君が常軌を逸するというふうなことをおつしやいましたけれども、世界のどこの歴史を見ましても、国がほんとうに危機存亡のときにあるような場合には、純真な、良心を持ち、理性を持ち、かつエネルギーを持つている若い学生諸君こそが、いかなるところにおいても民族のために先頭に立つて鬪いました今、日本の学生はまさにそのために鬪つておると私たちは了解しております。
アメリカにおきましては四大燃料の一つに数えられ、天然ガスの消費量は全アメリカのエネルギー消費量の七分の一に達し、天然ガス輸送用のパイプ。ラインの延長は実に数万マイルに及び、鉄道総延長よりも長く、あらゆる部門に利用されているといわれております。
人類は生を受けてから十七万年の努力の後、初めて物質の細胞粒子のその秘密の扉を開き、僅か一ポンドのウラニウム原料から三千万トンの石炭のエネルギーに等しい力を爆発せしめるに至りました。今人類は大いなる転換期に臨んでおることを知らねばなりません。日本の平和も、中立も、無軍備もかくのごとき原子料学の観点から理解されねばならないと思います。
そこで電力というものは、石炭とともに一国における重要なエネルギー部門でありまして、かつこれらの近代化とともに、電力の役割は一層決定的になるのです。従つてこの電力を支配するということは全産業を支配する。だから政府も見返り資金の私企業投資の四〇%を電力部門に投入しているのでありまして、今日までの過程におきまして、いろいろ関係当局と政府の間で、この問題について論議があつたようであります。
それは、たとえばイギリスのラウントリーの有名な研究によりましても、貧乏人は普通の人の場合よりもよけいにエネルギーを必要とするのだ、それは生活條件が非常に悪いからだと言つております。このことは、私どもが常識で考えましても、非常に便利な住居あるいは生活のいろいろな文化的な設備を十分に利用できない人ほど、からだをうんと動かし、精神も非常に苦労してやるわけです。
強いて言えばエネルギー政策をどういうふうにするか。その一環としてガス事業の地位をどういうふうに把握して来るか。そういう点からして、ガス事業をどういうふうに統制して来るかという面はありますが、そういう点は割合に少いので、ガスに関する限りはステートのパブリツク・ユーテイリテイー・コンミツシヨンの行き方を相当取つて行けると思うのであります。
このエネルギーを使わずして日本国民の生活向上はある得ない。我我はこういう意味で、向う百年か、百五十年しか堀ることのできない石炭を使わずに、一日も早く水力電気を開発して、有用な石炭を子孫に残すべきだとさへ考えている。こういう事業について政府は新たなる構想の下に、予算の全面的な組替を決行すべきであると思う。
ところがそういうことを予言した人々も予測できなかつたエネルギー源が展開されて来ているということ、これについてどういうように、どうした世界的な影響があるか、これを何ら御答弁できないようじや、これは一国の外務を担当されるのに甚だ国民として信用が置けないと思いますが、この点を伺います。
ウラニウム爆彈の千倍だなんて言つておりますが、これは化学を知らない人の言で、ウラニウム原子と水素原子のエネルギーとは同じくらいの桁ですから、ただ効率の問題だから、十倍程度と考えられますが、併し今度の原子力はリチウムに水素をぶつつけるという型らしいのですが、そのうちには水素の中に重水素を通して、水素だけを大量に取り、ヘリウムまで行くという系統ができるのは、必ず十年ぐらいの将来のことだと思います。