1979-05-09 第87回国会 衆議院 法務委員会 第12号
あるいは昭和四十七年ごろには「泥沼にはまり込んだエアバス選定」とか、その次の年には「策士窪田専務の引退」とか、五十一年には「ドキュメンタリーレポート」とか、こういうものがどんどん送られてくるわけですよ。
あるいは昭和四十七年ごろには「泥沼にはまり込んだエアバス選定」とか、その次の年には「策士窪田専務の引退」とか、五十一年には「ドキュメンタリーレポート」とか、こういうものがどんどん送られてくるわけですよ。
そういう意味で、私は、この日航のエアバス選定の経過、疑問点というものについて運輸省が早急に調査をして御報告いただくようにお願い申し上げたいと思います。
いままでのこうした経過を一応申し上げてみたいと思うのですが、四十五年の一月の九日、全日空はエアバス選定委員会、若狭委員長を発足させた、四十五年の六月に若狭社長が就任、四十七年七月七日、田中内閣誕生、そして四十七年八月三十日新機種選定委員会で技術検討を終了し社長に一任した。これは先ほどからあなた何回もおっしゃっております。