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24件の議事録が該当しました。

該当会議一覧(1会議3発言まで表示)

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1976-10-12 第78回国会 衆議院 内閣委員会 第2号

ウ・ヌーがほうり込まれちゃったり、ウ・チョウ・ニエンがほうり込まれた。ウ・バ・スエというビルマ賠償のときの総理が軟禁されているという世の中なんだから。だからその周辺の人は、みんなどこかに逃げようとするわけです。そういう問題が至るところに起こっているから、各国に関心は高まり、この時期にじゃどうするかということを議論しようというわけですね。問題がないから議論するのじゃないのです。

大出俊

1971-03-22 第65回国会 参議院 建設委員会 第10号

私は前の政権をやったウ・ヌー政権のときに行って、あのときよりもずっと下がっている。非常に心配しているから、これは食糧政策の誤りだ、とにかく農民が自分生産意欲を燃やすことが必要なんだ。それにはイリゲーションをもっと真剣にやりなさいと言ったが、彼はどうも自分基本政策に触れたから、それだけは喜ばなかったのでありますけれども。私は、そういうことを言うのは、外務省の役人だとか商社はこれは言えないのです。

根本龍太郎

1962-05-02 第40回国会 参議院 外務委員会 第21号

あるいはウ・ヌー総理大臣にも会ったんですが、そのときに「池田首相ビルマにも来るのなら賠償問題については首相も期待をしている」という言葉を使ったし、たとえば矢口大使あたりは、「どうしてもこれの解決策を持ってきてくれなくちゃ困る、これがないようだったら来ないでもいい」と、こういう強い気持も言っておりました。

大和与一

1962-05-02 第40回国会 参議院 外務委員会 第21号

私も当時のウ・ヌー首相とも何度もお目にかかりましたが、池田首相ウ・ヌー首相と非常に胸襟を開いて語られまして、三人委員会の問題を話されたり、あるいは、ビルマ経済復興に対して日本からいろいろなアドヴァイザーといいますか、そうした立場の人も出してもらって大いにひとつ日本側経済復興協力してもらいたいという話で、日本に対する信頼感池田総理の訪緬によって非常に高まったと思っております。

小坂善太郎

1962-03-06 第40回国会 参議院 予算委員会 第6号

国務大臣池田勇人君) 私が参りましたときに、ウ・ヌー首相より賠償の問題が出ましたが、これは私は賠償をお考えになる前に、前提として経済再建が先じゃないか、こういうことで、経済再建についての話をしたのであります。賠償をどうするかというところまで入りませんでした。あと、外務大臣が残りまして交渉をしかけたのですが、うまくまとまらない。

池田勇人

1962-03-06 第40回国会 参議院 予算委員会 第6号

クーデターがこの二十日に起きて、ネ・ウィン将軍が軍隊の力をもってウ・ヌー内閣を倒した。今おそらく軍部の手にビルマ実権が移ったろうと思うのでありますが、これが革命の後におけるところのビルマというものと、それから今まで交渉してきておられましたビルマ賠償交渉過程と、今後日本側が、こういう問題が起きた相手国に対してどういうふうに考えていかねばならないか。

千田正

1962-03-06 第40回国会 参議院 予算委員会 第6号

国務大臣池田勇人君) 三年ほど前に、やはり今の将軍実権を取られて政変をし、そうしてネ・ウィンからウ・ヌー首相になったわけでございます。で、私が向こうへ参りましたのは短期間、三日間でございますが、こういう事実はございました。今のウ・ヌー派のほうにおきまして、その党の総裁を選ぶのに、ウ・ヌー大蔵大臣タキン・ティンとが総裁の争いをした。

池田勇人

1962-03-05 第40回国会 参議院 予算委員会 第5号

しかし、ウ・ヌー政権の状況を見まして、これでは各州協力が——独立できる各州協力がない、ビルマ全体の害になるということを考えたのでしょう、ああいうことをやった。しかし、このクーデターがいつまでも続くとは私は考えません。過去の例から申しまして、また文民政府に移ることを期待いたしておるのであります。また、韓国におきましても、そういう気持があるのじゃないか。

池田勇人

1962-03-02 第40回国会 衆議院 予算委員会 第18号

日政策が変わるかどうかということについて判断をいたしますことは、時期尚早でございますが、ネ・ウィン政権は、御承知のようにウ・ヌー政権の前にあった。その当時の対日政策から考えまして、従来の対日政策には大きな変化はないのではないか。これは即断は早いのでありますが、常識的にさように思っておる次第でございます。  

小坂善太郎

1962-03-02 第40回国会 衆議院 予算委員会 第18号

これもただいまわれわれにニュースとして伝えられているのですが、ビルマでは、昨夜から今朝にかけてクーデターが行なわれまして、陸軍参謀総長ネ・ウィンというものがクーデターをやり、ウ・ヌー政権は倒れたというのですが、一体外務省の情報はどうなっておるのか、その点について一つお尋ねしたいと思うのです。

横路節雄

1961-12-22 第40回国会 参議院 本会議 第3号

しこうして、私は、ビルマウ・ヌー首相並びに野党ウ・バ・スエ、あるいはウ・チョー・ニェン、そして軍部の方々全部と、ほんとうに、どこの国よりも、最も多数の人に、最も気持よく話してきたのはビルマでございます。これはいずれ事実が証明すると思います。どうぞ誤解をなさらないようにに、将来をごらん願いたいと思います。  また次に、タイとの特別円の問題でございます。

池田勇人

1961-12-04 第39回国会 衆議院 外務委員会 第13号

しかし冒頭に申し上げましたように、非常に双方においての理解が深まるといいますか、友情が高まると申しますか、そういう、雰囲気としては非常によい雰囲気のもとに、ラングーンでの話は、結末には至りませんでしたが、結末に至るための道が開かられてきたというふうな感じは持って、ウ・ヌー首相が言っておりますように、あの交渉決裂ではもちろんないし、中断でもない、これは引き続いて双方話し合いが行なわれる。

小坂善太郎

1961-10-20 第39回国会 参議院 予算委員会 第8号

ところが、ウ・ヌー首相が外国に親善旅行に出かけられ、タキン・ティン大蔵大臣はセカンドである、したがって、総理の不在中代理をする関係があるので、どうしても帰らなければならない。この交渉は、あくまで決裂とか打ち切りではないので、そういう関係で一時先に繰り越すということであると、こういうお話がございました。そういう事情ならやむを得ない、こういうことで、私どもも了承したのであります。

小坂善太郎

1961-03-15 第38回国会 参議院 予算委員会 第15号

これに関連をしまして、これはあなたの就任のずっと以前のことなんでありますが、ビルマウ・ヌー首相が一昨年のたしか春でございますが、日本に参りまして、当時の岸総理大臣会見をいたして、そうしてこの再検討問題について話し合いをいたしたと私どもは聞いておるのでありますが、これはあなたの時代ではないのでありますけれども、これはいろいろの意味において、引き継ぎで当然あなたの方にわかっておるはずでありまするが、

大竹平八郎

1959-09-11 第32回国会 衆議院 大蔵委員会 第5号

○佐藤(觀)委員 ビルマに行きまして、ビルマのいろいろな要人、あるいはウ・ヌー首相あるいはウ・バ・スエなどに会った。この人々から直接賠償の問題は聞かなかったけれども、最近いろいろな方面からこれが問題になっておりまして、これは外務大臣の所管かもしれませんけれども大臣としてこの賠償の問題についてはどういう見解を持っておられるのか、これも関連して一つお伺いしておきたいと思います。

佐藤觀次郎

1958-03-07 第28回国会 衆議院 外務委員会 第10号

しかもそのことは非常に強い自信を持たれて言われたのでありますから、私は質問をいたしまして、それはどういう根拠に基いてそういうことをおっしゃいますかと申したところが、一九五五年の暮れ、ハッタ氏が現職の副大統領としてウ・ヌー首相ビルマ首相でありましたときに参りまして、実は日本との賠償問題について話が出たときにウ・ヌー首相は、これははっきり申したそうでありますが、日本とインドネシアとの賠償額がどういう

須磨彌吉郎

1957-05-07 第26回国会 参議院 内閣委員会 第28号

田畑金光君 私は具体的にネールやバンダラナイケや、あるいはウ・ヌー総理とお会いになって、これらの諸国原水爆禁止に対する世界世論の喚起をやろうという呼びかけに対しまして、総理はこれに応ずる具体的な準備を携行されるかどうか。同時にまた今度おいでになるタイにいたしましても、パキスタンにいたしましてもSEATOに参加しておる諸国であります。

田畑金光

1955-07-30 第22回国会 衆議院 外務委員会 第39号

あの請願をいたしました署名人の一人である神奈川県知事内山岩太郎君の話によりますと、先般ビルマ首相ウ・ヌー日本に滞在中神奈川県を案内して歩いた、その際ウ・ヌーがいろいろと、仏教寺院を建設中であること、あるいは日本から僧侶をよこしてもらって、小乗仏教しかわからないビルマに、大乗仏教の影響を与えてもらうことが望ましいということを希望して、そのことについての懇談をした事実にかんがみて、請願は出しておいたが

松岡駒吉

1955-07-26 第22回国会 参議院 外務委員会 第21号

たとえばウ・ヌーさんが来たときにお話があったかもしれませんが、外交上のことですからお尋ねしませんが、それにコロンボ・グループとも折衝をし、イギリスにも話しかけ、またアメリカにも話しかけ、同時に日本と中華人民共和国との間にももう少し、ただ引揚げ交渉とか、あるいは民間団体等を通ずる貿易の協定の促進をやるだけでない。

曾禰益

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