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69件の議事録が該当しました。
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該当会議一覧(1会議3発言まで表示)

2019-03-22 第198回国会 参議院 外交防衛委員会 第5号

「第二条 今より後日本国魯西亜国との境「エトロプ」島と「ウルップ島との間に在るへし「エトロプ全島日本に属し「ウルップ」全島夫より北の方クリル諸島魯西亜に属す「カラフト」島に至りては日本国魯西亜国との間に於て界を分たす是迄仕来の通たるへし」、「安政元年十二月二十一日」。

齊藤純

2009-07-01 第171回国会 参議院 沖縄及び北方問題に関する特別委員会 第6号

このため、ロシアの勢力がウルップ島より南にまで及んだことは一度もありませんでした。  一八五五年、我が国ロシアとの間に通好条約を締結しましたが、条約調印に際し、ロシア側全権代表プチャーチン提督も、将来の紛争を避けるため細心の調査を行った結果、択捉島日本国領土であることが証明されたと述べています。  

前原誠司

2009-02-20 第171回国会 衆議院 予算委員会第二分科会 第2号

今の古本先生の御質問に関して言えば、南樺太、サハリン及び千島列島ウルップ以北島々となっていますが、その領域主権を有していた日本が、サンフランシスコ平和条約によりすべての権利、権原、請求権を放棄したものというふうに承知はいたしております。  しかし、そのサンフランシスコ平和条約に、まずソ連ロシア締約国ではありません。

鳩山邦夫

2005-03-09 第162回国会 参議院 本会議 第6号

日露通好百五十周年に当たり日露関係飛躍的発展に関する決議案   一八五五年に日魯通好条約調印され、両国の間に公式な関係が樹立されるとともに、択捉島ウルップ島の間に両国国境平和裡に画定された。同条約調印から、本年は百五十周年に当たる。日露両国の先人は、粘り強い交渉を通じて信頼関係を構築し、この日魯通好条約調印したが、以来百五十年の両国間の歴史を想い、国民とともに深い感慨を覚える。   

溝手顕正

2003-03-12 第156回国会 参議院 憲法調査会 第4号

それから、択捉島以北、破線で国境を示しておりますけれどもウルップ以北は全部片仮名表記の島の名前になっています。  そのウルップ島に床丹という漢字文字が二文字あります。ここが私の生まれたところでございます。私は釧路のアイヌでありますけれども、祖父母などが千島で働いておりました。農林省のお雇いで島の密漁監視員という仕事をしていたために、私は千島で生まれました。

秋辺得平

2002-07-11 第154回国会 衆議院 沖縄及び北方問題に関する特別委員会 第11号

これは、既に当委員会では参考資料として同僚委員が出しておりまして、特に三枚目の「日本側からの歩み寄り」、九八年と書いてありますが、「ウルップ択捉間に国境を確定しぎりぎりの平和条約探求。」と。このぎりぎりとは何だ、あるいは日本側からの歩み寄りとは何だというような形での指摘が当委員会でもありました。

武正公一

2002-06-04 第154回国会 衆議院 沖縄及び北方問題に関する特別委員会 第10号

ウルップ択捉間に国境を確定しぎりぎりの平和条約探求」すると。日本側からどうして歩み寄りをする必要があるのか。あるいは、この「ぎりぎりの平和条約」とはどういうことなのか。  恐らくこれは川奈提案のことを言っているんではないか。国境線をまずつくります、画定させてください、あとのことはもう言いませんということを言っているのか。果たしてこんなことを約束したのか。

原口一博

2001-03-07 第151回国会 参議院 国際問題に関する調査会 第5号

クリル諸島への日本人の進出が南から、ロシア人進出が北から行われた結果、一九世紀半ばまでに択捉島ウルップ島との間に日露国境線が形成された。一八五五年二月七日付け日魯通好条約」、これは下田条約でございますが、「この国境線が法的に画定され、択捉島国後島、色丹島及び歯舞群島日本領ウルップ以北諸島ロシア領として平和裡に確定した。」、こういうことでございます。  

枝村純郎

1998-05-15 第142回国会 参議院 沖縄及び北方問題に関する特別委員会 第5号

それは、いわゆる四島というのは、択捉ウルップの間に線を引かなければ四島が我が国の固有の領土としてないわけでございますが、それ以外のところに線を引くような提案というふうに読んでみますると、そのことは少なくとも一億二千万我が国国民がそのことを納得する案だとは思いませんし、東京宣言そのものが四島一括と四島の帰属を定められておることから考えますと、私はそうしたことは至極常識的に考えてもあり得ない案ではないか

小渕恵三

1998-05-15 第142回国会 参議院 沖縄及び北方問題に関する特別委員会 第5号

笹野貞子君 それでは、北方問題について、今の大臣の御意見と要するに私は同じ趣旨になっちゃうと思うんですが、先ほどの毎日新聞一面トップに出ました、川奈での会合のときに、お互いに今の硬直した状況を大胆に発想を転換して、国後ウルップの間に国境線を引いて、こういうふうに大きな新聞記事が出まして、私もこれを見ました。

笹野貞子

1998-05-12 第142回国会 参議院 外交・防衛委員会 第14号

高野博師君 それではもう一つ、最近の報道によりますと、エリツィン大統領日本に来られたときの橋本総理領土問題に関する新提案でございますが、これは各紙に出ておりますように、国境国後ウルップ間に引くと。それで、四島一括返還には固執しないということでロシア側から何らかの譲歩を引き出そうという日本側の配慮というか考えがある、そういう報道がされておりますが、これは事実でしょうか。

高野博師

1993-10-15 第128回国会 衆議院 外務委員会 第1号

その「序文」がございまして、先生御案内のとおりだと思いますけれども、そこの中でこの順番と申しますかに沿った記述がございまして、「一八五五年二月七日付け日魯通好条約により、この国境線が法的に画定され、択捉島国後島、色丹島及び歯舞群島日本領ウルップ以北諸島ロシア領として平和裡に確定した。」そういう記述がございます。  

野村一成

1992-01-30 第123回国会 参議院 本会議 第3号

あるいは、帝政ロシア時代修好条約を結んだときか何かに訓令を出しまして、千島列島ウルップ島まではロシアのものだと、こう言っていることがはっきりしているわけですから、そういうものをまず認めさせるということが手順のまず始まりなんです。  それで、一方においては交渉を続けていく、作業部会も発足させる、信頼関係をともかくつくっていくということで、両面からやらなきゃならぬ。

渡辺美智雄

1990-06-18 第118回国会 衆議院 沖縄及び北方問題に関する特別委員会 第3号

既に百三十数年前に結ばれた日露通商友好条約ウルップ島から以南は日本領土であるということを日露間で話し合いができた、つまり公認の古来の領土であります。そういうことから考えますと、これを当然返還を要求するのは日本権利である、私はそのように認識をしております。  

中山太郎

1988-11-08 第113回国会 参議院 外務委員会 第2号

もちろんウルップ択捉の間は、これは六百メーター以上ありますから通過できるわけですから、そういう意味じゃ水路的な意味、特に日本が三海峡封鎖なんて言いますから、そこが非常に重要になってきていたわけなんですが、これが移動して基地が変わっていくとなると、この四島の戦略的な地位といいますか、意味というのが割と薄らいでくるだろう、こういうことも裏にはあるんじゃないか、私はそう思っているんです。

松前達郎

1986-11-21 第107回国会 参議院 沖縄及び北方問題に関する特別委員会 第3号

日露通条約につきましては、ウルップ全島、それより北の方クリル諸島であるということが明確でございますし、樺太千島交換条約についても、同じように択捉国後を除いた地域というものがクリル群島として千島樺太交換の対象になっているわけでございます。さらに、歴史的な関係については、先ほど大臣から御答弁したとおりであります。  

小和田恒

1986-04-03 第104回国会 参議院 沖縄及び北方問題に関する特別委員会 第2号

これはもう百三十年も前に、安政元年、一八五五年に、日本と当時のロシアとの通好条約で、ウルップ以北がいわゆるソ連領である、択捉島から以南は日本領であると、はっきりそこで調印しておるわけでございます。したがって、私どもはこの一括返還を求めまして今後も粘り強く話を継続する必要がある。  

江崎真澄

1986-04-02 第104回国会 参議院 外務委員会 第2号

政府委員西山健彦君) 条約の解釈ですので後に条約局長からもお答えを申し上げたいと思いますけれども、私どもの考え方といたしましては、いわゆる千島列島というのはウルップ島とそれからその他の島々から成る島の一部である、そういう前提に立ちましてウルップ島については特記されたと、しかしその他のものについては、先生がおっしゃいました「その他」「les autres」というような言葉でもって一括したということでございまして

西山健彦

1986-04-02 第104回国会 参議院 外務委員会 第2号

しかし、現在外国語の方を見ますと、これはウルップ島とそれからそのほかの千島列島、つまりクリル列島ということで、そのウルップ島及びその他の島々それ全体をクリル島と呼ぶというつもりで解釈していたと。したがって、日本語の場合には「ウルップ全島夫より北の方クリル諸島」と言えば外国語でもって「その他」と言っている部分はそれによってカバーされると、恐らくそう考えて訳したのではなかろうかというふうに思います。

西山健彦

1986-04-02 第104回国会 参議院 外務委員会 第2号

政府委員西山健彦君) この安政元年日魯通好条約通称下田条約と申すものでございますが、これの第二条にございます文言は「今より後日本國魯西亜國との境ヱトロプ島とウルップ島との間にあるへしヱトロプ全島日本に属しウルップ全島夫より北の方クリル諸島魯西亜に属す」こういうふうに規定してございまして、したがいまして、「ウルップ全島」を含みそれより北の方クリル諸島という名前であるということがこの条文

西山健彦

1985-04-09 第102回国会 参議院 社会労働委員会 第12号

今現実に二百海里になって、旧千島列島、今ウルップ諸島とこう言っておりますが、あの遠い最果ての地まで漁業が出向かなければならない。一方アフリカでは、マグロの漁業など、何千海里向こうにまで遠海漁業に立ち向かっている。こういう悪条件で、二百海里時代を迎えて漁民が非常な苦労をしている。こういう実態なんですよ。  こういう実態についてどういう御認識をしているのかということを私はお伺いします。

対馬孝且

1984-12-12 第102回国会 参議院 決算委員会 第1号

特に、そこで北方領土ソ連占領のあり方は、八月十五日に第二次世界大戦は終わったが、二日後の十七日午後、ソ連軍カムチャッカ半島の突端からずっと上陸をして、「千島列島ぞいウルップ島まで南下し、一度は引きかえしましたが択捉島などにアメリカ軍が入っていないことを知って、ふたたび行動をはじめ択捉島国後島・色丹島歯舞群島占領し、九月三日までに北方領土占領をすべて終わりました。」

井上計

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