2019-10-09 第200回国会 参議院 本会議 第3号
日本による人種差別撤廃提案は、当時植民地を抱えていた主要国に反対され、議長の米国ウィルソン大統領も反対の立場であり、成立しませんでした。しかし、今や国際人権規約を始め国際社会の基本原則になったとの史実から、大いなる理想を目指そうという文脈を展開し、なぜか最後は憲法審査会の話に無理につなげています。
日本による人種差別撤廃提案は、当時植民地を抱えていた主要国に反対され、議長の米国ウィルソン大統領も反対の立場であり、成立しませんでした。しかし、今や国際人権規約を始め国際社会の基本原則になったとの史実から、大いなる理想を目指そうという文脈を展開し、なぜか最後は憲法審査会の話に無理につなげています。
第一次世界大戦後、プリンストン大学のウィルソン大統領が国際連盟を提唱したわけであります。そして国際連合へと至っているわけでありますが、国際連合の権能強化はまだ途上であります。 しかしながら、経済統計を見れば、経済的には各国間のつながりが強い。例えば、世界GDPは八千兆ぐらいあります。その中で、アメリカは二千兆円ぐらいあります、中国が千二百兆円ですね、わかりやすく言えば。
先ほど、ウィルソン大統領、国際連盟をつくりましたけれども、結局アメリカは入らなかったんですが、彼が、ベルサイユ会議のときから、基本的には人種差別反対を唱えました日本の代表に対して反対をしてきた。つまり、我々はずっとそういう問題を抱えながら第二次大戦に進んでいった歴史がございます。
○内閣総理大臣(安倍晋三君) 今までも、今おっしゃったように、米国がリードしながら、しかしその後、議会において参加が見送られた例というのは、これはまさにウィルソン大統領が主導しながら、当時の国際連盟に残念ながら議会が反対して加盟することができなかったという例もありますし、また、京都議定書においては当時のゴア副大統領がリーダーシップを発揮をしたわけでございますが、残念ながら議会で承認されなかったということになってきたわけでございます
ある意味歴史上アメリカは、例えば十九世紀初頭、ジェームズ・モンロー第五代大統領が、ヨーロッパ大陸には干渉しないというモンロー宣言、いわゆるモンロー主義を行われたわけですが、その後も、ウッドロー・ウィルソン大統領の提唱により設立された国際連盟であるにもかかわらず、最終的に加盟をしなかったという事実もございます。こうした歴史を教訓としなければならないと思います。
アメリカは、御存じのように、古くはウッドロー・ウィルソン大統領が提唱した国際連盟を上院が否決する、批准しないというようなことがあって、国際連盟にアメリカは入らなかったというようなことがあります。要するに、アメリカの政府の中で、大統領がやりたいことを議会が必ず、同じ政党が多数派を取っていても議会が支持しなければいけないという形にはなっておりません。
そのときにアメリカのウィルソン大統領が、これからはもう殺し合いの時代じゃないと、どちらが正義か武力で決着をしようというのは昔々の話だと、これは公の場でこれからは話し合っていこうということで国際連盟を立ち上げたことは、もうあれこれ私から言うまでもないわけですけれども。しかし、国際連盟の命は短くて、滅びるについて我が国もそれなりに頑張ったわけですよね、満州国を造ったりして。
しかし、第一次大戦にウィルソン大統領がヨーロッパに兵隊を派遣することをしてから、それ以後、アメリカは世界をアメリカナイズするということを大きな使命感としている。その中には、暴力的なものもあり、非暴力的なものもあった。このアメリカナイゼーションというのは一体何なのか。
その第一は、国際連盟と国際連合を立ち上げたのは一体だれなんだと、こういう問題でありまして、先ほど志方公述人の意見にも出ておりましたけれども、国際連盟、これは第一次世界大戦の後始末ということで、アメリカのたしかウィルソン大統領だったでしょうかね、提案であれが作られたわけでありまして、ヨーロッパは全体を戦図として戦ったわけでありますけれども、終わってみたら何と何と八百万人の死者が出たと、こういうことなんですね
それで国際連盟を作ったウィルソン大統領の理想主義、そして自分の国は批准しないという、ああいうこともあったために、国連、国際連盟というのは余り力を発揮することなく世界を第二次大戦に突き込ませた。そして、造反した日本という、これもそのとおりでございます。要するに、余りにも理想主義的なものは役に立たなかったという証明でございます。
そのときにどうしたかというと、これ本当に歴史の皮肉だと思うんですけれども、アメリカのウィルソン大統領が乗り出してきまして、もう二度とこういうことはやめにしよう、国家間であるいはテロがあってこういうことが起きたらやっぱり国際の場に国際協調の精神に立って場を設けて、そこに関係国が集まって平和裏に穏やかに友好的に議論をして解決に導いていこうということを提案してできたのが国際連盟なんですよ。
これは既に、国際連盟をつくっておきながら、ウィルソン大統領がそれをつくっておきながらアメリカ国民がそれを拒否したということにもあらわれておりますし、国際連合をつくる過程においてもいろいろなことでアメリカがいちゃもんをつけたのは、アメリカがどうしても行動の自由だけは確保しておきたいということが背景にあって入った規定が大分あるわけであります。
そういう点で果たして上院下院の中で各州選出の今度新しい議員さんが、もともとアメリカというのは貿易立国であると同時にモンロー主義の国ですから、もう私が今さら河野大臣に申し上げるまでもなく、ウィルソン大統領がかつて国際連盟をつくるということで大変奔走して、一時はアメリカのマスコミも議会も賛同しながら結果的には批准をしなかった、こういうこともありまして、アメリカの議会の動きというのは非常に微妙なんです。
私もよくワシントンなんかへ行ったし地方議会へも行きますが、もともとアメリカの議会というのは、州の憲法がありまして州権を守るとか、中央政府に対して非常に議会の機能といいますか、民主主義を守ろうというそういう運動がありますし、まして御承知のように有名なロビイストもおりますし、そういうことで、かつてウィルソン大統領が国際連盟をつくってアメリカへ帰ってきて批准をされなかったというようなこともあったし、しょっちゅう
かつてアメリカで、今は国際連合ですが、国際連盟をウィルソン大統領がつくったんですよ。彼は意気揚々と帰ってきたけれども、アメリカの国会で否認されてしまったんですね、実際の話が。国際連盟を提唱したウィルソンさんが、自分の国で批准を否決されたけれども、別に問題は起きなかったわけであって、国際連盟は堂々と生きていったわけです。
アメリカのウィルソン大統領は国際連盟をつくったけれども、実際帰ってきてアメリカ議会でいわゆる拒否されてしまって批准できなかったんですね。いや、アメリカは議会で大統領が話したって拒否されること幾らでもあるんですよ。 ですから、そんなにこの問題は深刻に、何か批准をとれなかったら日本は国際孤児になって大変だということを思うかわかりませんけれども、そうじゃないと私は思っていますよ。
かつて国際連盟、ウィルソン大統領が唱道したのに、最後まで入らなかったのがアメリカ合衆国でありました。あるいは今も、幾らか覚えていませんけれども、国連の分担金をあの大国がいまだに四の五の言い立てて全部支払っていないというようなぶざまな状況であります。しかし、いずれにしても、そういうアメリカの意思が対象国に押しつけられてしまうというおそれがないのであろうかということが私の危惧でございます。
だから、自分の国の大統領がつくろうと言った国際連盟、ウィルソン大統領がつくろうと言ったのに最後までアメリカは入らなかったとか、それからこの間の湾岸戦争でアメリカは国連をもう実に見事に何といいますか、利用いたしましたけれども、相も変わらず国連の分担金はまだ非常に大きな金額を滞納しているとか、そういうようなことがある。
これに対する最初の疑問というか挑戦というか、そういうことでは世界の平和とか正義とかいうことが成り立たないのではないかということが言われたのは、第一次世界大戦中、一九一七年にアメリカ上院においてウィルソン大統領が行った有名な、勝利なき平和演説でございます。
そういう悪循環を繰り返さないためにも、これからの平和というのは勝者なき平和、これは一九一七年にウィルソン大統領がピース・ウイズアウト・ビクトリーという言葉で訴えた理念でございますが、これをついに実現しようという段階に差しかかっているわけであります。そのときに、イラクのサダム・フセイン大統領は再び勝者の平和を新秩序づくりの論理として対クウェートの関係で持ち込もうとしているわけであります。
また、アメリカの外交政策は、御承知のように、第一次大戦のときにベルサイユ会議で、当時のウィルソン大統領が民族自決というプリンシプルを打ち出して、これがそれ以来、アメリカの伝統的の外交政策の指導理念になっておるわけであります。また、国連憲章の前文にも、民族自決ということを強調しておる。