1959-12-04 第33回国会 参議院 外務委員会 第11号
そのときにどこどこの兵営を攻撃してどうしたとか、どの程度の戦闘行為が行なわれた、あるいはイ号作戦と申しますのは、六月ごろに、主として現在のホー・チミンの前身でありますか、これらのものを北部山岳地帯において、ゲリラ戦をして参りましたので、これの掃討作戦をやった。一カ月にわたって行なっております。
そのときにどこどこの兵営を攻撃してどうしたとか、どの程度の戦闘行為が行なわれた、あるいはイ号作戦と申しますのは、六月ごろに、主として現在のホー・チミンの前身でありますか、これらのものを北部山岳地帯において、ゲリラ戦をして参りましたので、これの掃討作戦をやった。一カ月にわたって行なっております。
○吉田法晴君 そうしますと、資料要求で、明号作戦あるいはイ号作戦といわれるような戦闘行為を伴いましたものについての資料を政府に要求したのですが、それはまだ出ておりません。きょう出されたという中に入っているかどうか知りませんが、少なくともきのうまでまだ……。きょう出されたものもまだ受け取っておりませんが、そういうものはあるのですか、ないのですか。
その後終戦時までに進駐に伴う軍事行動、明号作戦、イ号作戦、ゲリラ討伐、米軍による空襲等いろいろなことがあったのであります。これは直接の軍事行動でありまして、それに基づく戦争損害が多かれ少なかれベトナムに生じたのであります。これはベトナムの国民に対して生じたのであります。
○国務大臣(藤山愛一郎君) 御承知のように一九四五年の春には明号作戦と申しますか、六月にはイ号作戦、北部から日本軍が入って参りました。それによりまして戦闘行為も行なわれたわけでございますが、また同時に日本がその期間におきまして徴発をし、あるいは経済的なベトナムにおける利益を害したことも、また物的損害も若干にしてもあると思います。
○藤山国務大臣 前回御答弁申し上げていると思いますけれども、われわれは戦争の時期を一九四四年八月二十五日から終戦日までのほぼ一年間と考えておりますが、その間明号作戦、イ号作戦等もございましたし、相当の損害があったということはわれわれも認めざるを得ないと思います。
六月にはイ号作戦と申しまして、シナの方面から北部に入ってきております。これによりまして、相当の餓死者も出、相当の損害を与えたことはもちろんでありまして、これらを含めて、全ベトナムを代表する政府として賠償の交渉をいたしておるわけでございます。そこで、今申し上げましたような金額でございますけれども、賠償につきましては、純賠償が三千九百万ドルでありまして、七百五十万ドルが借款協定でございます。
また六月には支那におりました軍隊が北部から入って参りまして、いわゆるイ号作戦を起こしております。そのために直接戦争の損害が起こっておりますし、また同時に日本がその間に食糧その他を徴発いたしました関係によって、餓死者等も相当に出ております。向こう側から申しますと、約百万人くらいの餓死者が出ていた、こういうことを言っております。
しかしその仏印に対する主たる戦闘的作戦行動というものは、一九四五年の三月における明号作戦と申しますか、あるいは六月におけるイ号作戦、中共の方から入って参りました日本軍隊の作戦、そういった戦闘がこの一年間にも行なわれております。