1950-03-07 第7回国会 衆議院 海外同胞引揚に関する特別委員会 第10号
次にペガワト地区第五分所、次にタシケント地区第九分所、同じくアングレン地区第六分所、次に最後のカラカンダ地区第九分所、及び十五分所を経て、最終集結地のナホトカ第三分所に移つて行つたものであります。 ベガワトの第一分所入所年月日は、昭和二十年十一月二十五日であります。
次にペガワト地区第五分所、次にタシケント地区第九分所、同じくアングレン地区第六分所、次に最後のカラカンダ地区第九分所、及び十五分所を経て、最終集結地のナホトカ第三分所に移つて行つたものであります。 ベガワトの第一分所入所年月日は、昭和二十年十一月二十五日であります。
アングレン地区には四七年の七月の末に命令が出まして、出発しましたのは八月の二日か三日だと思いますが、このときに帰還の命令を受けまして、健康者五十名、病弱者百五十名、アングレン地区がら正式の第一回の帰還をいたしました。このどきに私はソ側に申し出まして遺骨を持つて帰ることを託するということを極力折衝しました。併しこれは峻拒せられました。