2021-05-21 第204回国会 衆議院 環境委員会 第11号
それで、もう一回、例で申し上げますと、フランスのワイン、ボルドー、ブルゴーニュ、ローヌ、アルザス・ロレーヌ、大臣も奥さんから聞かれればすぐ分かると思います。瓶の形でどこのか分かるんです。そして、再利用して使っているんです。ちょっとは重いですけれども、それでいいんじゃないんですか。そういうふうにして誘導すればいいんです。
それで、もう一回、例で申し上げますと、フランスのワイン、ボルドー、ブルゴーニュ、ローヌ、アルザス・ロレーヌ、大臣も奥さんから聞かれればすぐ分かると思います。瓶の形でどこのか分かるんです。そして、再利用して使っているんです。ちょっとは重いですけれども、それでいいんじゃないんですか。そういうふうにして誘導すればいいんです。
もともとこの地図にありますこの地域、二世紀にハドリアヌス帝が国境を画定するまでは国境という概念もなかったところでありますし、一番左にあります独領のアルザス地方、これも普仏戦争でフランスからドイツがとったところであったりとか、少し領土に対するヨーロッパの考え方と日本の考え方というのは違うところがあるなと。
私の住んでいたのは、アルザスのコルマールという中核の地方都市なんですけれども、そこから三十七キロ離れたキンツハイムという小さい小さい町に住んでいたんです。お菓子屋さんに行くのも六キロ歩かなきゃいけないようなところだったんですね。全部ブドウ畑、おいしいワインができるところなんです。その六キロを走るのに、自転車を買って乗っていたわけですね。
これは、その戦争の悲劇を二度と繰り返さないということに加えて、フランスのシューマン外相がアルザス・ロレーヌのロレーヌから立候補して、資源の共同管理こそが平和の前提であったというふうに言いましたように、戦争の根源は資源の共同管理の問題であるということで、石炭、鉄鋼の共同管理から始まった構想でございます。
正にアルザス・ロレーヌというのはその石炭、鉄鋼の地域を取り合うことによって長年戦争を続けてきたわけですから、これをむしろ日中と言わず現在中東に応用して、石油というものを共同管理することで地域統合がつくれないかというのは物すごく面白い提案であると思いますし、また、アジアの地域において現在EUはKEDOなんかにも非常に積極的にかかわっていますけれども、北朝鮮の核をむしろ平和利用するというところで日本も中国
特に、アルザス・ローレンス、ザール、何回も国境が変わったわけですが、第二次世界大戦後、特に一九八七年の夏以降、コール首相とミッテラン仏大統領が実にすさまじい話し合いをやって、その翌年の一月にドイツとフランスの合同旅団というものの創設が決まった。今まで戦っていたものが、ひとり司令官のもとにスタッフを集めて旅団ができる。
ドイツの国境に近いところで、いわゆるアルザス地方であり、かつて独仏抗争の象徴的な地であったわけで、激戦地であったわけでございます。
それに加えて、最近は、国家を無視するわけではないんでしょうが、十五、六年前ぐらいですか、御承知のアルザス地方ではもう実質的に国境を越えてドイツ人、スイス人、フランス人が自由に行き交うという国境を無視したような動き方をしております。
○林(義)国務大臣 先ほど私申しましたのは、ヨーロッパではアルザス・ローレン地方というのがあります。アルザス・ローレン地方はかつてドイツに占領されたりフランスになったりまたどうだというような地域なんですね。
この話はフランスのアルザス地方が普仏戦争に負けドイツ領になり、あすからはフランス語ではなくドイツ語を使わねばならないという日の最後のフランス語の授業を書いた短編です。 私は、知っている話でしたので楽しく一緒に授業を受けていたのですが、最後に朝鮮人学校の先生が、「これは私達民族の物語でもあります。明日から朝鮮語ではなく日本語を話しなさいと言われたのですから。」
それを受けまして、そこに日本のアルザス成城学園、学校が開かれるというようなこともございまして、在留邦人からも総領事館設置の強い希望が出ていたわけでございます。
これは、フランスのアルザス公社理事長のアンドレ・クライン氏という人を招いて開いたようで、筑豊地域以外に、北九州あるいは周辺の中間、宗像、こういった町から、近隣からも千人ぐらいの人たちが集まって大変盛況であったということで、私も後から新聞等をしっかり読みまして、また参加した方たちのお話も伺いまして、これはすばらしいことだなというふうに実は思ったわけでございます。
かつてはアルザス・ロレーヌ地方の中心都市で、いわば独仏抗争の舞台だったわけです。それが今や欧州統合の象徴である欧州議会が置かれております。
中には、こういったことでのハンディがありますから、お父さん、お母さんによっては、こういうところにはとても置かれない、したがいましてロンドンであるとかあるいはアルザス、これはフランスの方ですね、そういうところの全員寮に入るようなところで勉強させる。日本へ子供さんを残してお父さんが単身赴任するんじゃなくて、御家族が全部ヨーロッパへ行って、今度ここでばらばらになるわけですね。
この際は、パリそれから大メーカーのものばかりを対象とせずに、アルザスあるいはプロバンス地方の中小メーカー、フランス政府の指示によりまして、約一年にわたりまして二百名以上のバイヤーが入り込んで中小メーカーと相談をして、日本の市場への適品を発掘あるいは委託生産をしてもらいました。
やはり私の友人である数学者の吉田洋一君、吉田夏彦君の弟さん夫婦ですが、何かもうパリよりは、やはり若いときに留学したトスラスブールの生活というものが本当に楽しい、あそこへ行って泊ることにしていると言いますが、かつてアルザス・ロレーヌのドイツ、フランスが入り乱れて、血を流してきたいやな歴史が残っているところにおいてすら、そういう一つのドイツとフランスの融和の上に、自然と人間との調和というものをつくられてきております
ストラスブールで欧州議会の会議がありましたけれども、あそこに政府は三十三万ぐらいの人口の、二千年もの古い歴史を持つアルザス・ロレーヌのあのドイツ、フランスが血を流したラインの沿岸における都市ですが、憎しみを乗り越えてそこにもっと緑を保とう、もっと古い建物をそのまま修理していこうという、政府が金も出して、魚もそこでは生き生きと泳ぎ、水もきれいになり、緑もそこには保存されている、そういうことの町づくりを
アルザス・ローレンを解決するのに百年もかかっているし、まだ解決しているかどうかはわかりませんが、安定している。