2021-04-28 第204回国会 参議院 情報監視審査会 第5号
特に先生のおっしゃる技術的情報というのは、実にそこに本当の大きな、例えば小林先生の安全保障上のこと、テロを防止すること、そういうことが入っている場合、古典的な例としてグレアム・アリソンのキューバ危機の本が有名でございますけれども、衛星画像がもうずうっと何か月も前から大量に上がってきているけど、似たような写真がわあっと積まれていくということで、直前にならないとこのことに気が付かなかったと。
特に先生のおっしゃる技術的情報というのは、実にそこに本当の大きな、例えば小林先生の安全保障上のこと、テロを防止すること、そういうことが入っている場合、古典的な例としてグレアム・アリソンのキューバ危機の本が有名でございますけれども、衛星画像がもうずうっと何か月も前から大量に上がってきているけど、似たような写真がわあっと積まれていくということで、直前にならないとこのことに気が付かなかったと。
ヤッカマウンテンにつきましては、ちょうどあの事故が起こり、私どもが調査して、私もお会いしましたけれども、そのときのアメリカのニュークリア・レギュラトリー・コミッションのチェアウーマンであったアリソン・マクファーレンという女性ですけれども、非常に背の高い女性ですが、私も、その取材のときと、その後、報告書が出て、ワシントンに呼ばれてしゃべりに行きましたけれども、そのときにもちょっとお会いしましたが、彼女
じゃ、率直にどれが正しいのか、本当なのかというのはなかなか分かりにくいところがありまして、かつても、例えばキューバ・ミサイル危機のときに、なぜキューバはソ連製のSS2のミサイルをああいったU2偵察機が明らかに分かる形で配備をしたのか、グレアム・T・アリソンが三つの理論を使って説明をする。三つそれぞれとも当てはまるんですけど、どれが正しいかと。
こうした観点から、国際政治学者でハーバード大学のグレアム・アリソン教授は「米中戦争前夜」という名著を出されておられます。台頭国が覇権国に挑む構図の戦争において、一定の条件がそろった場合には戦争を避けることが、できるということを、戦争になってしまうと、不可避だという分析もしておりまして、アリソンはこの理論をツキジデスのわなというふうに名付けております。
○国務大臣(茂木敏充君) 三宅委員の引用されましたグレアム・T・アリソンの本でありますけれど、グレアム・T・アリソンは私の大学院の恩師でありますけれど、ツキジデスのわな、これはペロポネソス戦争から始まりまして、主要な戦争における覇権国と台頭国、新興国との関係で戦争に至るパターン、戦争までには至らないパターン、こういったものを分析しておりますけれど、恐らくアリソン教授の一般的なやり方なんですけれど、まずこういう
○茂木国務大臣 グレアム・T・アリソン教授は、私がケネディ・スクールにいましたときの学部長、ディーンでありましたからよく存じ上げております。
茂木大臣、直接御薫陶を受けられたかもしれないんですけれども、グレアム・アリソンの著書「米中戦争前夜」というのが、日本語版では二〇一七年にダイヤモンド社から出ております。
グレアム・T・アリソンのツキジデスのわな、これが当てはまるかどうかということについては様々な議論があると思うんですが、少なくとも現代社会においては、ペロポネソス戦争が起こった当時とはかなり、様々な要因というのがあって、米中間でもお互いの依存関係、対立する分野もあるわけでありますが依存する要素というのもあって、そういったものをしっかり見ていかなければいけないと思っておりますし、今新型コロナが世界的に拡大
御案内のように、古代ギリシャの歴史家ツキディデスが、当時の覇権国であったスパルタ教育でおなじみのスパルタ対新興国アテネの戦い、これをツキディデスのわなと名付けたのはグレアム・アリソン教授であります。 このツキディデスのわな、グレアム・アリソン教授の米中戦争前夜という本を読みますと、こういった新興国対覇権国の戦い、五百年間で十六回起こったと。そのうち、十二回が戦争に至った。
アメリカのグレアム・アリソンというハーバード大学の教授で、キューバ危機について「決定の本質」という本を、すばらしい名著を書いた人で、私がゼミの間、一番度々使ったテキストですけれども。その人が最近、「デスティンド・フォー・ウオー」と、戦争に引き込まれてというんですか、魅入られてと、運命付けられてというふうな本を書きまして、それで、ポルトガルとスペインが地理上の覇権で争った。
アメリカの上下両院の合同の原子力委員会の秘密会の中でアリソン駐日大使は、日本政府が太平洋海域で放射能の汚染状況を調査するために派遣した船、俊鶻丸というのが出ているんですけれども、が戻ってくる前に、調査から戻ってくる前に日本政府にお金を渡して解決した方がいいというふうに提言をしたようなんですけれども、このような事実については掌握していますか。
「決定の本質」のグラハム・アリソン教授らが、米国、中国政府に対して、トゥキュディデスのわなにはまるなと提言をしています。オバマ政権のピボット・ツー・アジア政策や、南シナ海、東シナ海の領有権争いをめぐる双方の応酬が過熱しているのをいさめているわけですね。 この記事は、発表されて三年近くなりますが、今、米国、中国、アジアの政府の関係者、研究者、メディアにしばしば引用されています。
○高嶺参考人 私はアリソンのトゥキュディデスのわなを最後に入れましたけれども、アリソンは、キューバ危機のときのケネディ政権の政策決定、キューバ危機に対する政策決定過程の研究で、彼は政府の中枢にもいましたし、著名な人で、国際政治をやる人はみんなこれを勉強しますけれども、そのアリソン教授たちが今心配しているのは、そういう我々のここで話されているレベルの話ではないわけですね。
この事例ですけれども、参加者の中に、現在、アメリカのNRC、原子力規制委員会委員長のアリソン・マクファーレンさんも実は入っていました。私が実際数年前に主催した研究会でも、このマクファーレンさんに来日していただいて、この事例についてお話しいただいたということもあります。
私はすごいなと思っておりまして、そして、実はこれ猪口先生が御専門だと思いますが、グレアム・アリソンという方の「決定の本質」、まさに政策決定過程のバイブルと言われている学術書なんですけど、これを見ると、何と、本書で述べられているミサイル危機の三つの分析は全く公文書に基づくものであると書かれているんです。
例えば、キューバ・ミサイル危機、これが一九六二年に発生するわけでありますけれども、この分析をグレアム・T・アリソンが、エッセンス・オブ・デシジョン、「決定の本質」という本でやっております。 これはモデルによって、なぜキューバにミサイルを配備したのか、全く変わってくるわけです。
○猪口邦子君 日々の活動、これはちょっと古い言葉ですけれども、よく行政学ではSOPと呼ばれまして、スタンダード・オペレーション・プロシージャーで、グラハム・アリソンの「決定の本質」などでよく開陳されています。
○国務大臣(細野豪志君) まだ委員長候補かと思いますが、アリソン氏はブルーリボンにも入っていましたので、確かに炉の専門家ではないですが、原子力全般についての様々な理解がある、地質について詳しい専門家だというふうに理解をしております。 今度政府としても提案をしなければならない原子力規制委員につきましては、幅広い知見を全体として機能させられるような専門家が必要だと思っています。
といいますのは、今回、アリソン・マクファーレンという方がNRCのヤツコさんの後の委員長に選ばれた。この方は地学です、地質学の専門家であって、放射能の専門家ではないんです。例えば、ここで書かれております、どのような人を委員長に選ぶかという、この人格高潔で専門性があってと。
グラハム・アリソンというハーバード大学の大変有名な教授が、この方は政治の意思決定のあり方の専門家でありますが、学生が円形になって向かい合って、そこにカセットテープが置かれております。そこから流れてくるものというのは、キューバ危機のときに、ケネディ大統領とロバート・ケネディと、それからそのときの意思決定にかかわった人たちの、まさに現場で録音をした肉声でありました。
古典的な危機管理の成功事例として、ちょっと古い話で恐縮なんですけれども、アメリカのキューバ・ミサイル危機というのがあって、アリソンという方が書いた「決定の本質」という有名な本があります。危機の本質、発生したらまず決定の回路をスリム化する、首脳を中心に責任者間の連絡回路や会議形態を一気にスリム化することによってリーダーシップを鋭く研ぎ澄ますことが可能になると、まずそこがポイントなんです。
「核テロ 今ここにある恐怖のシナリオ」、グレアム・アリソンさんという方が書いた本を少し読んだんです。ロシアのエリツィン大統領の安全保障担当補佐官だったレベジ将軍は、九七年に、八十四個の一キロトンのスーツケース型の核爆弾が行方知らずであるという物騒な証言をされました。
○児玉委員 そこで、「きりしま」のガスタービンはアメリカのアリソン社です。日本での製造は石川島播磨が行っている。このときの派遣は七名、四名と三名のチームが同時に派遣されたと私は承知しているけれども、石川島播磨から派遣されたのではないか。イエスかノーか、答えてほしい。
アリソンというアメリカの書記官は、二月一日に、事態は至って改善された、日本兵は優雅になったという記録を残しております。そして、ラーべ自身が、南京陥落時の住民人口を二十万から二十五万と見積もっているのですね。それで、安全区の委員長はラーべですけれども、ほかの二十五人の委員はほとんどアメリカ人宣教師なんです。だから、アメリカの公的記録の中にその事件の実相を示すものがあるはずです。