1981-05-28 第94回国会 衆議院 外務委員会 第17号
それから、先ほどもちょっと申し上げましたが、イスラエル建国をめぐるパレスチナ、アラブ難民が発生したのが四八年でございます。五〇年には朝鮮動乱の事例もございます。五四年にはアルジェリアの独立戦争というような事例もございますし、五六年にはハンガリー動乱の結果二十万人のハンガリー人がオーストリア等に流出したということもございます。
それから、先ほどもちょっと申し上げましたが、イスラエル建国をめぐるパレスチナ、アラブ難民が発生したのが四八年でございます。五〇年には朝鮮動乱の事例もございます。五四年にはアルジェリアの独立戦争というような事例もございますし、五六年にはハンガリー動乱の結果二十万人のハンガリー人がオーストリア等に流出したということもございます。
○富田(朝)政府委員 後半の、PFLPの、何といいますか、信奉している信条との関係いかんというお尋ねでございますが、このPFLPの実態については、これは外務省ルートを通じて資料入手した、その上での私どもの印象にすぎないわけでございますが、PFLPは、御承知のように、アラブ難民が発生をいたしまして、そうしていわゆるパレスチナの失地回復というような形からいろいろな機関ができ、その一つのいわゆる行動組織として
そこで、何も私は、その一致点が全くないというふうに申し上げているのじゃなしに、それはやはり世界何時革命というトロツキズムの一つの考え方——それから、PFLPといえとも要するに、最大の目的は、パレスチナを解放し、アラブ難民をもう一回そこに戻すというところに当面焦点が置かれておるように思います。したがって、そういう意味では一国革命だと主張する者もおると思います。
いままで難民の中で最大といわれたアラブ難民が百二十万人といわれておったのでありますが、それはけたが違う。もうじき一千万人になろうとしておる。東京都の人口くらいの難民が逃げてきておるという状態でございます。三月の末に東パキスタンで内乱が起きてから毎日三、四万人、多いときは十万人も逃げてきておる。それがもうほとんど裸でありまして、頭に家財道具を乗せて、子供の手を引いて国境を越えてくる。
イスラエルなど、アラブの難民をみんな追い出してしまって、戻してくれ、帰してくれという者に対して、ようやく少数の者に許可を与えるというようなことで、イスラエルのアラブ難民は——アラブの難民と北鮮人を一つにするわけにはいきませんけれども、ほんとうに日本にいることを好まず、国に帰りたいというならば、何もそういう日本におることを喜ばない人を置いておく必要はないと思うので、もっと、より積極的にこの制度を活用して