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10件の議事録が該当しました。

該当会議一覧(1会議3発言まで表示)

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2004-02-18 第159回国会 参議院 国際問題に関する調査会 第4号

第一は、一九八〇年代になりまして、それまでの政治イデオロギーでありましたアラブ民族主義など世俗的な民族主義がその権威を失墜させまして、それに代わってイスラム運動国際政治経済の場で注目を集めるようになったということです。  第二は、ほぼ時を同じくして、我が国において自然科学研究のみならず、人文・社会科学研究においてもプロジェクト単位学際的研究活動必要性が自覚されるようになったということです。

加藤博

2002-04-24 第154回国会 参議院 国際問題に関する調査会 第7号

それで、二十世紀になってからは、いわゆるアラブ、ちょっとイスラム全体の話はできませんけれども、アラブ民族主義これは、経済的にはいわゆる国有化を中心とした社会主義を基にしながら、国境を言わば越えた形でアラブ民族主義というのをやることによって国を発展させ、かつ、それぞれの国民は一体感を持つということでやってこられた。これがやっぱりうまくいかなかった。

奥田紀宏

2001-02-21 第151回国会 参議院 国際問題に関する調査会 第2号

その意味でいうと、サダム・フセインのようなリーダーが故国を回復するという運動としてクウェートを併合するというふうに言ったときに、ナショナリズムをくすぐり、ある面でいうとアラブ民族主義心琴に触れるようなアピールをすることだけは否定できない。脱植民地、反植民地というイデオロギーを出せばそれなりにやっぱり説得してしまうという論理がそこに潜んでいるということは忘れることはできない。

鈴木佑司

1958-10-01 第30回国会 参議院 本会議 第3号

私どもがアラブ民族主義に同情を持ち、これに対して理解を持っているということは、私が施政方針でも述べましたが、これは、言うまでもなく、この民族自分自主独立を、自分たちの力によって完成していこうという熱烈な希望に対して、われわれは言っているわけでありまして、この民族主義が現実に各地においていろいろな意図のもとに利用されているような傾向が、世界の各地にはなおあります。

岸信介

1958-09-30 第30回国会 衆議院 本会議 第2号

(拍手)  たとえば、外務省においては、去る七月十三日、アメリカ、ソビエト、西ドイツ、タイ、アラブ連合国駐在の五大使を集めまして、いわゆる五大使連合会議を開き、中近東情勢を検討の結果、この地域にはクーデターなしと確認し、アラブ民族主義に理解ある立場をとるべき方針を決定したのであります。ところが、十四日にはイラククーデターが起り、カセム将軍が新政府首相に就任をいたしました。

淺沼稻次郎

1958-08-01 第29回国会 参議院 大蔵委員会 閉会後第2号

このユダヤ人アラブの真ん中に帰って来たということによりまして、アラブ民族主義一つの新しい対象が現われて、と同時にトルコの羈絆を脱したわけでございますから、トルコに対するものからユダヤに対するものに変ったと同時に、それは英仏あるいはそのうしろの米であるとか――英仏米に対する何といいますか、闘争、反英主義、今の言葉でいえば反西欧主義に変って行ったという経過を辿っております。  

山津善衛

1958-07-30 第29回国会 衆議院 外務委員会 第10号

○田中(稔)委員 大体では困る、完全にと言ってもらいたかったのですが、その次にレバノンの反乱やイラククーデターは、アラブ民族主義米英植民地支配の手先となった自国の政権に対して行なった抵抗であります。外務省の刷りものによりますと、レバノン情勢についてはこう書かれておる。「レバノン情勢=内戦は同国の特殊事情による全くの国内問題で外国からの干渉は避け、自主的解決に待つべきである。」

田中稔男

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