1965-03-29 第48回国会 参議院 予算委員会第二分科会 第3号
翌日、お通夜にはアヤトリ書記官がみずから出た。そのあとの葬式には、行くつもりだったけれども、お通夜の際に日本人からどっと取り囲まれまして、非常に強迫感を得たので、大使館の者に香典を持たして、自分では出なかったことは事実である。それから、その後の訴訟の問題も、自分としてはできるだけの解決をはかるべく遺族とも折衝した。
翌日、お通夜にはアヤトリ書記官がみずから出た。そのあとの葬式には、行くつもりだったけれども、お通夜の際に日本人からどっと取り囲まれまして、非常に強迫感を得たので、大使館の者に香典を持たして、自分では出なかったことは事実である。それから、その後の訴訟の問題も、自分としてはできるだけの解決をはかるべく遺族とも折衝した。
すなわち、日本の国内ではアヤトリ書記官をきわめて誤解している。すなわち、切り捨てごめんというような態度で帰っていってしまったという印象であるけれども、それは事実に非常に反する。少し長くなりますけれども、先方の申しておることを……。この事故のあったときに、暴走した、ジグザグ運行をしたというけれども、当時三十五キロのスピードで、ジグザグ運転をしたことはない。
同じように問題になりましたのは、例のマレーシア大使館のアヤトリ事務官の問題が出てくるのですけれど、ちょうど一昨日が吉野順博さんの一周忌でございました。それからお母さんがそのためになくなった。これは、多少外務省を御非難申し上げたいのですけれども、偶然にそれの四十九日だった。忌明けであったということがあるのです。
○神近委員 これは、外務大臣に頭に入れていただきたいのですけれど、外務省は何と言ったって、アヤトリ事務官は、最初のうちは非常に好意的な話で解決したい、自分は一万ドルの保険金しか出していないから、足りなければ月賦ででも払うとまで吉野家に行って言っているのです。それが昨年の四月一日になりますと、突如として、外交官にはそんな義務はないということだからというので、あれは話を打ち切ってしまった。
こういう事件が起きましたことは、非常に御遺族の方にお気の毒と考えている次第でございまして、事件が起きまして以来、外務省といたしましてはマレーシアのアヤトリ書記官と御遺族のほうとの、いろいろ保険金の取り立てにつきましてあっせんをしているわけでございます。
警視庁の報告によりますと、前のほうを道の左側を歩いていた被害者の早稲田の学生が、うしろから来たマレーシア大使館のアヤトリ書記官運転による車にはねられて重傷、間もなく死亡したということになっております。アヤトリ書記官の供述による大使館の外務省あての口上書によりますと、同路上は街路灯が薄暗くて、突然暗やみから被害者が飛び出してきた、そしてそれをはねて後刻死亡した。
○説明員(奈良賀男君) 民法上の違法性をアヤトリ書記官について断定できるかどうかということにつきましては、まだなさるべきことがたくさんなされておりませんので、現段階におきまして、私ども何とも申しかねます。
○説明員(奈良賀男君) アヤトリ書記官の事件につきましては、現在保険の問題の解決を中心にいたしまして、示談を推進しております。アヤトリ書記官自身が自分のポケット・マネーから補償金もしくは弔慰金を出すという問題もまだ未決定の状態でございまして、民法上の不法行為を成すかどうかということにつきましては、現在私どもとして断定的に申しかねる状態でございます。
○政府委員(後宮虎郎君) 主管課長からの報告によりますと、ちょうど課長が外出のときにアヤトリ書記官が南西アジア課に参りまして帰国のあいさつをいたしまして、特にこの問題が片づかないうちに帰ることになって遺憾であるけれども、あとはマレーシアの大使館のカウ書記官というのがこの問題についての特に連絡官になるということを申して、そうして今後はカウ書記官を通じてこの問題の解決に折衝なさってほしいということを申したそうでございます
○説明員(奈良賀男君) 昨年の三月の末に、被害者それからアヤトリ書記官それから保険団が集まりまして、ほとんど示談の線ができて、皆さん握手して別れた。
○説明員(奈良賀男君) 事実問題といたしましては、私どもアヤトリ書記官といろいろ話しておる際には、民事請求権を日本側が提起した場合に、それに応じなさいという言い方の交渉はいたしませんでした。というのは、かわりばえもいたしませんけれども、まず、第一段階、第二段階としてアヤトリ書記官側でやるべきことがたくさんあるわけでございます。