2006-02-15 第164回国会 参議院 国際問題に関する調査会 第2号
先ほど言われた、韓国の中でアメリカ離れといいますか、何か自立の道を探ろうといいますか、巻き込まれの恐怖というんですか、そういうものも広がっているような気がするんですけれども、そういう点で見ると、今後の韓国とアメリカとの関係がどういうふうになっていくのか、分かることあれば教えていただきたいと思います。
先ほど言われた、韓国の中でアメリカ離れといいますか、何か自立の道を探ろうといいますか、巻き込まれの恐怖というんですか、そういうものも広がっているような気がするんですけれども、そういう点で見ると、今後の韓国とアメリカとの関係がどういうふうになっていくのか、分かることあれば教えていただきたいと思います。
したがって、どうやってアメリカ離れをしながらアジアだけの共存共栄のシステムをつくれるのかということが一つございます。 ただ、山影先生もおっしゃったように、一番問題なのは、アメリカ抜きにして安全保障ができるのかという、アジアだけで。そしてまた、中国は経済的にはアジア共同体の中で日本とか韓国と連携度を深めていますけれども、基本的には、政治的にはまだまだ合わない部分が多い。
今後もEU資金のアメリカ離れが進むと、ドルの暴落、アメリカ経済の下降というふうになっていくわけですね。そうすると、結局、急激な円高となりかねないわけであります。そうなれば、我が国もアメリカも、同時に株が落ちていくということになるわけですよね。 そこでお伺いしたいのは、我が国は、今後こういうような形で大量の為替介入を続けていくんですか、どうなさるんですかということが一つ。
自立した外交というのは、ちょっと印象的に申し上げますと、何だか独立独歩でやっていくのかな、あるいはアメリカ離れをするのかな、ノーと言える日本をつくるのかな、こんな印象をちょっと受けるわけでございます。その辺が若干心配でございますけれども、改めて総理大臣の、これは恐らく総理御自身の発想じゃないかと思うんですが、自立的外交について簡単に教えていただければありがたいと思います。
よく、国連の政治化によるアメリカの国連離れということが言われますが、これを裏返してみれば、発展途上国の精神的アメリカ離れということになります。なぜ多額の経済援助も行いながら、アメリカはもちろんのこと、日本までが不評をこうむらなければならないか。このことはこの際本気で突っ込み考えてみる必要があるということであります。
最近は中東和平問題、特にパレスチナ問題との関連によりましてサウジアラビアがややアメリカ離れの傾向を示しまして、それが昨年の第二次石油危機を深刻化させた非常に大きな原因であるというように考えておりますが、その後アメリカの対サウジアラビア外交がある程度成功いたしまして、昨年の後半から再びサウジアラビアは増産に転じまして、現在でも一日当たり九百五十万バレルのかなり高目の生産水準を維持しているわけであります
ところが、将来に向かって日本が独自の開発能力を持ち、その方向に大きく動くということになると、その意味ではアメリカ離れということを含めて重大な局面が将来予測されるというペンタゴン自身の意思があって、最終的に、これはロッキードという一会社ではない、アメリカの政府、こういう形で実は国産をひっくり返してP3Cの輸入という方向に動いたのだ。
その辺が、世界全体の核の問題として考えておかないと、日本はアメリカの核のかさの下にいるからいいんだということではならないし、やはり世界的にいまソ連離れをしておるしアメリカ離れをしているという情勢の中で、私はそれだけの考え方では、どうも防衛局長の話は、軍事専門家としてはそうなのかもしれないと思いますけれども、どうも私どもは小国同士の問題ということになると納得できないんですが、その辺はどういうふうに理解
をいたしておるわけでございまして、その考え方から言うならば、むしろ新太平洋ドクトリンの出ましたその出発点として、三木総理とフォード大統領との会談というものは非常な意義を持つのではないだろうかというふうに思いますし、その後フォード大統領が中国に行かれますし、インドネシアへいらっしゃいますし、フィリピンへ行かれますし、そうすることによって、あのサイゴンが落ちました後においては、当然のことながら非常な影響を及ぼして、アメリカ離れ
このことはインドシナにおけるアメリカ帝国主義の失敗、撤退後、タイ、マレーシア、フィリピン等でアメリカ離れが行われ、覇権主義反対で中国との間に共同声明が結ばれておることは御承知のとおりであります。このことは何よりもあの一九五五年当時のバンドン十原則、その中には平和五原則と新植民地主義反対がうたわれておりますが、それがいまでは覇権主義反対だということの何よりの証明ではないかと私は思います。
が、同時に、それは全くいわゆるアメリカ離れというような姿をとるということではなく、ある程度米国との関連も残しまして、そして三つの勢力のバランスの中で国の安定と繁栄を求める、こういう姿になりつつあるのではないかというふうに考えております。
結果的に、なだれ現象と言えるアメリカ離れの昨今の事情から見て、いろいろな情報を私なりに集めてみると、総会としては相当な差がつくのではないか。もちろん安保理事会で拒否権という問題はあっても、大変な差がついた格好の中での拒否権というものは、南北ベトナムの加盟に韓国をひっかけたアメリカが拒否権を発動したと同じ意味で世界の孤児になりかねぬということですよ、一つ間違えば。
たとえばタイにおきましてもフィリピンにおいても、そういうことでアメリカ離れというものが流行みたいなことになった。そのことに対してやはり……(受田委員「捨てばちでやったか」と呼ぶ)いや、捨てばちじゃなくて、やはりそういうことに対する鎮静の役割りをさせたというふうに思います。
今回もしたがって、アメリカ離れということではなくて、アメリカのインドシナ撤退が契機になったことは確かでありますけれども、従来関係が空白でありましたところの大陸の中国と国交を回復しようと、あのときに始まったことではなくて、従来からありました志向が、実現が早まったということになるのではないであろうか。
日本、韓国、フィリピン等の諸国とともに、アメリカに軍事基地を提供してその侵略政策を支えてきたタイが、先般のシャム湾におけるマヤゲス号事件を契機に急速にアメリカ離れの道を歩み始めたことであります。また、東南アジア諸国連合は、この新しい情勢の中で南ベトナム、カンボジアとの友好関係を進めつつあります。
インドシナ半島における米軍の撤退、その後の朝鮮半島におきます緊張の激化、東南アジア諸国の中立志向、アメリカ離れの現象など、いまやアジアは大きな転換期を迎えております。それにもかかわらず、アメリカはインドシナ解放の教訓を忘れ、むしろこれを逆手にとって、朝鮮半島の安全を理由に日本の防衛力の強化、韓国防衛への責任分担、日米安保体制の一層の軍事同盟化などを強く迫ってきつつあります。
また、ASEANの国々は、もともと一九六〇年代の終わりから七〇年の初めにかけまして、やや中立主義的な動きをしようという意図は持っておったわけでございますので、昨今アメリカ離れと申しますけれども、それは何も今回のことで始まったわけではございません。
○柳田桃太郎君 具体的にお尋ねをいたしたいのでございますけれども、従来わが国の企業進出はもとより、政府のベースで行われる経済援助の場合におきましても、必ずしも相手国の国民の共感と歓迎を呼んでいないようなものもあるわけでございまして、これから特にアメリカ離れをして自由な立場でいろんなことを詮議する、しかも非常な革新的意見を持っておる国との今後の国交あるいは経済援助を続けていく上において、原則としてはいま
一つは、当然インドシナ三国に見られる社会主義化の方向、二番目にASEAN諸国に見られるいわゆるアメリカ離れ、非同盟中立の方向、三番目に、アメリカ離れではなしに、むしろよりアメリカにコミットメントしていこうというこういう流れ、これが韓国でありましょう。
それが第一だと思うのでありますが、それに伴っていわば外縁ともいうべきASEAN諸国で起こっておる現象として、社会主義諸国との関係を調整しようということ、もちろんその国国によりまして多少ニュアンスが違いますけれども、そういうことと、もう一つはアメリカ離れ、タイにあらわれているようなアメリカ離れという二つの傾向があらわれていると思うのであります。
それは単なる、簡単な、そのアメリカ離れという言葉あるいはナショナリズムというだけのことでなしに、その中にいろいろいま話のあった純然たる自分たちの力でとか、あるいは外部のいたずらな干渉を排除しようとかという動きのあることも事実だけれども、最も大きな特徴は、私たちはそういうところにあるように思うんですがね。
いわゆるアメリカ離れという言葉が言われておりますけれども、私は、アメリカ離れということは別に一つの言葉でありますが、現実的にあの中立を志向してきたASEAN諸国が、さらにインドシナのアメリカの撤退からもう一歩中立方向、ということは具体的にはアメリカとの基地協定の解消の方向、まだこれは完全に解消したということじゃないですよ。まあタイの例に見られるような、具体的にやっぱり、抽象的なことじゃないんです。
○松永忠二君 もう一つということは、やはりわれわれの口からあっさり言えば、アメリカがアジアから後退して、アジアのアメリカ離れというのは強く皆が指摘をしているわけですね。現実的にタイの態度を見たり、あるいはフィリピン、あるいはマレイシア、インドネシアの動きを見ても、明らかにそういうアメリカ離れということは否定できない一つの大きな特徴じゃないかと思うのですが、この点はわれわれの独断でしょうか。