1992-04-22 第123回国会 衆議院 文教委員会 第6号
しかし、片一方では大きな国際的な流れがございますから、これとの調和をどこで図っていくかということで出されたものが現在のこのスポーツ憲章でございますので、基調にはアマチュアスポーツ精神、これは厳として残っているということを私は申し上げたいと思います。
しかし、片一方では大きな国際的な流れがございますから、これとの調和をどこで図っていくかということで出されたものが現在のこのスポーツ憲章でございますので、基調にはアマチュアスポーツ精神、これは厳として残っているということを私は申し上げたいと思います。
○保利国務大臣 この全国高校大会の目的の事項には、「大会は、高等学校教育の一環として高等学校生徒に広くスポーツ実践の機会を与え、技能の向上とアマチュアスポーツ精神の高揚をはかり、心身ともに健全な高等学校生徒を育成するとともに、高等学校生徒の相互の親睦をはかろうとするものである。」という目的が記されております。
文部省として特別の関与をいたしておりませんが、スポーツはいま御指摘のとおり政治あるいは宗教を越えまして、スポーツのわざを競うていく、そういう意味で、スポーツを通じましてアマチュアスポーツ精神を発揮する、あるいは国際的な友好親善がはかられるということで、それなりに大いに意義のあるものと理解いたしております。文部省といたしましては、そういう立場で特別の関与はいたしておりません。
それと、次に前田さんに伺いたいのですが、このアマチュアスポーツ精神、これ一体簡単に言ってひとつばっと出してどういうものか、そして今度アマチュアスポーツ規定を改革すると言っているが、それをどういうふうに改革するのか、それをひとつお聞きしたい。
しかし、アマチュアスポーツ精神は何かというと、人間の本分たる学業、また社会人なら各人の仕事を持っている、その仕事を完全にやったその余暇にやってこそ価値があるだろうからして、人事を尽くして試合のときは天命を持つというのが私の信念ですが、しかし、こういうことがこのオリンピックには全然行なわれておらない。ましてやこのグルノーブルの冬季オリンピック大会、これなんかにはマーク問題がいろいろある。
われわれはやはり学生野球というものはアマチュアである、やはりプロ野球とはけじめをつけなければならぬ、ことに、そういう意味におきまして神宮球場は学化野球のメッカでございますから、この神宮野球場を学生の野球の根拠地として学生野球に優先させるという考え方を確立することが、ひいては日本のアマチュアスポーツ精神を確立することを土台になると考えたわけでございます。
そのような場合には、どうしましてもスポーツのアマチュアリズムと申しますか、アマチュアスポーツ精神をはっきり確立するということが重大な問題になっておるわけでございます。 このような考えでこの委員会が発足しておりますときに、たまたま明治神宮球場のプロ化の問題が出てまいりました。つまり国鉄のフランチャイズの問題が出てまいったわけでございます。
二月二十二日の衆議院予算委員会の第二分科会におきまして、川崎代議士がこの問題にお触れになったわけでありますが、そのことを要約いたしますと、六十四年の夏の大会を東京で、さらに六十八年の冬の大会を札幌にと、続けてオリンピックを開催することが不可能なことは、最初からわかっておったのではないか、札幌市はこの不可能な運動に対して非常に多くの金を使っており、オリンピック誘致に大金を使うのは、アマチュア・スポーツ精神
今度の台湾問題でこういう格好になるということは、今の阪上委員の御主張の通り、これはアマチュア・スポーツ精神に反する、あくまでやはりオリンピック憲章なり、あるいはAGFの憲章に即応してやるものであるとすれば、当然北鮮のスケート選手は試合の期間中は入国せしむべきであると思います。第一条にある、政治的に関係せぬというのはその意味だと思います。