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15件の議事録が該当しました。

該当会議一覧(1会議3発言まで表示)

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2010-05-27 第174回国会 参議院 環境委員会 第12号

これによりますと、チッソアセトアルデヒド製造工程での水銀を含んだ工場排水が停止された一九六八年以降も新生児のへその緒の水銀値が高いと、こういう調査でありました。今回の特措法に基づく救済の疫学の要件としては、このチッソ排水が停止された六八年に懐胎したということも考慮に置いて、原則六九年の十一月までに出生したと、これを一応の救済対象者としているわけですね。  

松野信夫

1993-04-27 第126回国会 衆議院 環境委員会 第9号

当時、チッソ水俣工場での水銀使用量損失量チッソから報告を受け、アセトアルデヒド製造工程塩化ビニールモノマー工程で多量の水銀を使用し、排水有機水銀が含まれていることを通産省確認をしていたのじゃなかったのでしょうか。私は、正直にあの当時のことを言わなかったら、反省の上にこれができたということにならぬと思うのですが、これはどうですか。

寺前巖

1993-04-27 第126回国会 衆議院 環境委員会 第9号

寺前委員 私は、裁判に出ている問題ですから、それは言わざるを得ないのだろうと思うのですが、五九年七月二十二日に熊大研究班有機水銀説を公表した同じ時期の七月二十一日、チッソ工場内部では、附属病院細川博士アセトアルデヒド製造工程排水基礎食とまぜて猫に与えるという問題がありました。

寺前巖

1991-11-20 第122回国会 参議院 環境特別委員会 第2号

また、新潟水俣病は、昭和電工鹿瀬工場アセトアルデヒド製造工程で副生されたメチル水銀化合物を含む排水中毒発生の基盤と、これは科学技術庁が公害病として公式認定をされているわけでございます。  この政府見解があるのですけれども、通産省がそういうふうにおっしゃるのが私にはどうしても納得がいかないのでございます。

西岡瑠璃子

1979-05-29 第87回国会 衆議院 公害対策並びに環境保全特別委員会 第6号

水俣病病像   以上認定した事実によれば、水俣病とは、被告工場におけるアセトアルデヒド製造工程内で生成された有機水銀工場廃水に含まれて排出され、水俣湾魚介類汚染し、右汚染された有機水銀を保有する魚介類を摂取したことにより惹起された中毒性中枢神経系疾患であるが、右疾患のどの範囲までを水俣病として捉えるかについて検討するに、前判示の如く、有機水銀による魚介類等汚染が広範囲かつ長年月にわたっており

津川武一

1969-02-13 第61回国会 衆議院 予算委員会 第10号

熊本の例もあるから、アセトアルデヒド製造工程から出るメチル水銀というものは危険なものであるということを、これはしかも秘密文書で出しておる。私の手元にありますけれども。   〔委員長退席櫻内委員長代理着席〕 しかし、報告もしてこないし、除濁装置もつけていないし、何らの措置もやっていないけれども何も言わないのは、一体どういうことなんです。

石田宥全

1968-04-25 第58回国会 衆議院 科学技術振興対策特別委員会 第13号

それからさらに、これは昭和電工鹿瀬工場で、「アセトアルデヒド製造工程中に副生されたメチル水銀化合物工場排水によって阿賀野川に流入し、アセトアルデヒド生産量の年々の増加に比例してその汚染量も増し、」その川魚に蓄積されたものを沿岸住民がとってこれを食べることによって「人体内に移行蓄積し、その結果発症するにいたったものと診断する。」こういう結論でございますね。そのとおりでよろしゅうございますか。

石川次夫

1968-03-08 第58回国会 衆議院 予算委員会 第14号

すなわち、その汚染源阿賀野川上流鹿瀬地区にある昭和電工鹿瀬工場汚染機序アセトアルデヒド製造工程中に副生されたメチル水銀化合物工場排水によって阿賀野川に流入し、アセトアルデヒド生産量の年々の増加に比例してその汚染量も増し、それが阿賀野川川魚体内に蓄積され、その川魚を一部沿岸住民が捕獲摂食を繰り返すことによってメチル水銀化合物人体内に移行蓄積し、その結果発症するにいたったものと診断する。

松尾正雄

1967-12-14 第57回国会 衆議院 産業公害対策特別委員会 第2号

あるいはまた、東京工大清浦教授は、アミン説であるといって、これをアセトアルデヒド製造工程から出るメチル水銀によるものであるということを否定いたしました。しかし、これはイギリスへ行ってもその意見を発表したのでありますけれども、あとでそれを取り消しております。そして熊本大学で発表したところの論文集を肯定しております。これは本委員会においていつか確認をされたはずであります。

石田宥全

1967-12-13 第57回国会 衆議院 科学技術振興対策特別委員会 第2号

この点はあとで問題になりまして、当時日本窒素、いまはチッソといっているわけですが、チッソ会社が、自分のほうのアセトアルデヒド製造工程から起こる廃液によるものではないという主張を繰り返しておったけれども、そうした事実から、ついに三十四年の八月五日に有機水銀説に対する反論がくずれて、そうして浄化装置その他の措置をするに至ったわけです。新しい施設を講じまして以来は患者が発生しておらないじゃないか。

石田宥全

1967-09-11 第56回国会 衆議院 産業公害対策特別委員会 第3号

それからもう一つ、社会党の調査団が現地に参りまして、少なくとも、アセトアルデヒド製造工程の中におけるそのパイプの太さと配管図を出してこいということを、本委員会委員のメンバーである板川正吾君が正式に会社に要求し、通産省にも要求した。出してきておりません。  こういう重要な点と、もう一つ、できればぞうきんの出庫。

石田宥全

1967-09-11 第56回国会 衆議院 産業公害対策特別委員会 第3号

○石田(宥)委員 私がこういうことをやかましく申し上げるのは、すでに熊本県の水俣事件で、もうアセトアルデヒド製造工程から出るメチル水銀というものが水銀中毒を起こしている事実にかんがみて、通産省と厚生省から、同じような工程を持つ工場に対しては、それぞれ除濁装置等施設をやるべしという通達を出しておきながら、その報告も受けなければ、監督監査もしておらない、こういう事実の上にこの問題は起こっておるから、私

石田宥全

1967-06-29 第55回国会 参議院 社会労働委員会 第19号

で、斉藤氏は昭和十年十月同工場に入社、昭和三十八年回工場を退職したが、三十年近くも同工場アセトアルデヒド製造工程無機水銀を扱っていた工員であるが、退職時には組長であったと、こういうわけであります。同工場昭和十一年から無機水銀を使い始めたが、斉藤氏は昭和十二、三年ごろから無機水銀中毒症の症状が出始めたと言っておる、こういうことが一つであります。  

杉山善太郎

1967-05-24 第55回国会 衆議院 科学技術振興対策特別委員会 第8号

その中で明らかに「昭和電工鹿瀬工場で、汚染機序は、アセトアルデヒド製造工程中に副生されたメチル水銀工場排水によって阿賀野川に流入し、アセトアルデヒド生産量の年々の増加に正比例してその汚染量も増し、それが阿賀野川川魚体内に蓄積され、それを一部沿岸住民が捕獲、摂食を繰り返すことによってメチル水銀人体内に移行蓄積し、その結果発祥するに至ったものと考える。」こういうふうに結論が出ておるわけです。

三木喜夫

1967-04-04 第55回国会 衆議院 予算委員会 第11号

すなわち、この汚染源は、阿賀野川上流鹿瀬地区にある昭和電工鹿瀬工場で、汚染機序は、アセトアルデヒド製造工程中に副生されたメチル水銀工場排水によって阿賀野川に流入し、アセトアルデヒド生産量の年々の増加に正比例してその汚染量も増し、それが阿賀野川川魚体内に蓄積され、それを一部沿岸住民が補獲、摂食を繰り返すことによってメチル水銀人体内に移行蓄積し、その結果発祥するに至ったものと考える。」

石田宥全

1967-04-04 第55回国会 衆議院 予算委員会 第11号

アセトアルデヒド製造工程から必ず出る、そうしてこういう被害を受けておるのに、何らの措置をとっておらないということに対する政府の責任です。これが一つ。  もう一つは、農林大臣がおりませんから水産庁長官でやむを得ませんけれども、先ほども触れましたように、昭和電工排水口から六十キロに及ぶ阿賀野川が、いまは死の川になっておる。死の川です。

石田宥全

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