1984-03-08 第101回国会 参議院 文教委員会 第3号
その会館は実は、皆さんもよく御存じかもしれませんが、私の一番尊敬している、もう亡くなりましたけれども、穂積五一先生が設立しましたアジア文化会館なんです。今でもそのアジア文化会館には私は出入りしていますけれども、私がいた当時よりも今の方がもっともっとそういう活動は活発にやっているんですね。
その会館は実は、皆さんもよく御存じかもしれませんが、私の一番尊敬している、もう亡くなりましたけれども、穂積五一先生が設立しましたアジア文化会館なんです。今でもそのアジア文化会館には私は出入りしていますけれども、私がいた当時よりも今の方がもっともっとそういう活動は活発にやっているんですね。
確かに大阪に住んでおられて、そして東京へ出てきて、アジア人の留学生会館ですか、アジア文化会館というのですか、穗積先生がやっておられたところだと思いますが、あそこへ泊まっておられて、そして真夜中に自転車に乗ってサンダル履きで、夏ですから上着も何も着てなかった。たしか後楽園だと思いましたが、後楽園のところでつかまった、こういうことでありますね。
たとえばことしの九月に、東京にアジア文化会館というのがあるでしょう。アジア人の留学生が集まっているところです。今度穂積五一先生が亡くなられて追悼会がありましたね。あそこに来ておる中国人の人ですから、まだ日本へ来たばかりで日本の状況がよくわからぬわけですね。そしてあそこから後楽園まで行ったのかな。そうしたら、顔を見てどうも中国人らしいというので、警察官が職務質問するでしょう。
このよって来るところはどうかというと、アジア文化会館の同窓会、これは各地からの留学生です。これが一九七三年の同窓会でこういう拘束契約はやめるべきだと、順次現地の事情によって、多少やるとすれば六カ月研修した場合には一年くらいまではいいけど、六カ月研修して三年だ、五年だ、こういうのはけしからぬと、もっとひどいのもあるんです。タイなんかもっとひどいのあったんです。
実は幾つかの資料がございまして、一つは、ただいま申しましたようにアジア文化会館の同窓会事務局の方がシンガポールの——EDBでございますが——の研修担当者と面談されました際に、向こうの方から、一般の私企業がEDBの計画とは無関係に外国へ研修生を派遣する場合には拘束契約を結ぶようアドバイスをするというような発言があったという報告書を実は拝見したということが一つでございます。
で、根拠といたしましては、実は幾つかあったわけでございますけれども、一つは一九七八年の春でございますけれども、アジア文化会館同窓会の……
また民間ではアジア文化会館をはじめとする五つの会館、合計十六の会館がございます。この収容能力は全部で一千百六十五名でありまして、現在約五千名と称する大学生程度の留学生に対してもはるかに少ないものであり、高校生程度の人あるいはそれを卒業されている方々と比べますと非常に少ないわけであります。
つまり、これは、民間がやったから知らないとか、賃金は民間の企業がやっているから政府が直接関知できないとか、あるいはまた先ほど申し上げましたアジア文化会館の同窓会、これは民間団体ですからわれわれがどうすることもできないとか、こういうような形で責任のがれをしても、通産省のものにはちゃんといま言ったようなことが書いてある。
○金子(満)分科員 アジア文化会館同窓会というのがあります。これは東京に事務所があるわけですが、財団法人アジア学生文化協会と財団法人海外技術者研修協会が受け入れたアジア、アフリカ、中南米からの留学生、研修生たちが帰国後、自国の真の独立と繁栄を目ざして相互に協力することを目的として六四年の十一月に結成された、こういう組織でありますが、ここで若干の問題があります。