2020-11-13 第203回国会 衆議院 文部科学委員会 第2号
二〇一六年のタイムズ・ハイアー・エデュケーションのアジア大学ランキングで、それまで三年連続東大が一位だったんですけれども、突然七位に落ちました。ある年、たった一年で東京大学の教育、研究のレベルががくんと一位から七位まで落ちるということは考えにくいわけです。あるいは、逆にアジアの大学が突然一気にレベルが上がるというのも考えにくいんです。単に指標、評価指標が変わっただけですね。
二〇一六年のタイムズ・ハイアー・エデュケーションのアジア大学ランキングで、それまで三年連続東大が一位だったんですけれども、突然七位に落ちました。ある年、たった一年で東京大学の教育、研究のレベルががくんと一位から七位まで落ちるということは考えにくいわけです。あるいは、逆にアジアの大学が突然一気にレベルが上がるというのも考えにくいんです。単に指標、評価指標が変わっただけですね。
そして、とりわけ様々な学部の要素で、例えば九州の別府にありますアジア大学のように、初めからそれを目的とした大学のことを私は言っていません。多様な国からのダイバーシティーのある学生を採っているところは構いませんが、特定の国あるいは地域から物すごい数を入れているところは大概ブローカーを使っている。
これが、外資系の企業を含めて、就職戦線で非常に高い評価を受けているということで、グローバルフォーと言っているそうなんですけれども、私が注目しているのは、立命館アジア大学は大分にあります。国際教養大学は秋田にあります。地方にあっても、特色のあるユニークな国際的な教育をやっていたら、学生にも人気があるし、企業にも評価されるんですね。
今は大学間の交流とかいろいろ研究者の往来とかたくさんありますけれども、一つ今いろいろなところで提案しているのは、アジアのアジア大学という、日本の亜細亜大学とは違うんですが、これを言わばノンガバメンタルな形で、特に日中韓が共同してノンガバメンタルなセクターでアジア大学というのを作り上げると。
大分県は、平松知事が提唱、推進し、海外におきましても高い評価を得ている一村一品運動を核とし、農林水産業の技術研修、貿易、学術・文化交流など幅広い分野におきまして積極的なローカル外交を展開しており、特に九州とアジア諸地域との広域的理解と交流を推進し、平成十一年度にはアジア太平洋地域の人材育成の拠点となる立命館アジア大学を開設するとのことであります。
○鈴木一弘君 たとえば、先ほどの質疑の中にも、タイに対しての、いわゆるこれは工科大学ですか、アジア大学ですか、そういうものに対しての費用というものが論議されたわけでありますが、わが国とタイとの六〇年代の貿易の状態を見ても、この十年間にわが国からタイ国への輸出というものは四倍に伸びておる。それに対して、タイ国からわが国への輸出は二倍にも達していない。
アジア大学ですか、アジア大学のようなものをつくって、次のアジアを背負う人たちの教育の場をつくるべきではないかという熱心な御提案、これは東南アジアの閣僚会議でもしばしば話題になりましてね。そして熱心なのは日本とタイ——タイも熱心です。
私は、したがって、もし国際的な文化協力をし、アジア大学をつくるならば、エスペラントそのものについて、将来においてそういうものを持つことを前提とした構想でなければ私はだめだと思う。この点はどうですか。
そういう意味において、アジア大学というのですか、アジア国際大学というか、ユネスコ大学というのか、日本が率先してそういうものを建設するくらいの熱意をお示しになることが必要ではないか。経済援助は必ず搾取になる。ああいう地域は輸出するものがあっても輸入するものがない。どこへ行っても、アフリカへ行っても、私は行ったときにも言われた。
こういう点で、いまエスペラント語によるアジア大学をつくったらどうかというお話であります。アジアの総合大学というものは非常に興味のある御提案だと思います。そういう総合大学がアジアにできるということは、アジアの教育の普及にも、あるいは文化の発展にも寄与する、これは一つの御提案である。研究をいたします。
○山中(吾)委員 私がエスペラント話と言ったのは、アジア大学をつくって、いかなる国語で学問するかということになると、日本語というものを使えばこれは日本のエゴイズムになる。世界の歴史を見ますと、一つの強大なる民族というのは必ず自分の母国語というのを他民族に強制するというのが歴史の通則なんです。
先般の経済閣僚会議ではアジア大学をという提案もあったそうですが、私は、もしそういう提案が実現するならば、それは技術大学であることが望ましい、政治問題でなくて技術大学であることが望ましいように思います。 最後に、椎名外務大臣が政経分離の観点から——政経分離という意味には私二つあると思うのです。
そこで、先ほどアジア大学の話や留学生の話がありましたけれども、私も東南アジアを回りましたし、あるいはアフリカに新しく独立国をつくった青年の諸君とお会いしたこともありますが、そのときこういう話を聞いたことがありますので、ついででありますからお尋ねをしておきたいと思うのでございます。