1993-03-29 第126回国会 参議院 大蔵委員会 第4号
代々地主で、跡取りで、どんなに土地が高価なものになっても、わしたちにとってはただの土だ。親に残してもらった土地を、先祖の土地を一生懸命守って維持していくことで精いっぱいできょうまで来てしまった。それを売って楽な生活をすればいいけれども、それではもうこの町に住んでいられないぐらい放蕩息子として非難される。
代々地主で、跡取りで、どんなに土地が高価なものになっても、わしたちにとってはただの土だ。親に残してもらった土地を、先祖の土地を一生懸命守って維持していくことで精いっぱいできょうまで来てしまった。それを売って楽な生活をすればいいけれども、それではもうこの町に住んでいられないぐらい放蕩息子として非難される。
それで、上ぐる上げぬですったもんだがありましたけれども、皆さん方がみんなからちょんぐったと言われたら困ろうがと、わしたちもそんなこと言わしたくないし、やっぱり自信持ってやっていただかなければいかぬ、そういうふうな対処の仕方をやったわけでございます。
いや、あれはおまえ、よくおれはわからぬのや、通ってしもうた後で運輸省が省令で書きよるからな、なんて、そんなことをわしたちがだれに答えるんですか。そんなあなた、無責任な国会議員じゃありません。 だから、まだおたくが勉強中で研究が不足なら、やっぱりその法案は、よく勉強して研究してきちっとした上でお出しになるのが当たり前じゃないですか。
ですから、むしろ個々の農家にしてみれば、おれたちの農業はおれたちでやるのだから、それに対する手当というものは、実はこういうことをやってほしい、それはむしろ補助金を若干もらうよりも、安い金利の長期のものが入れば、むしろそれの方がわしたちとしてはいいんだということを、いまの、さっきから出ておるように、中核的なといわれる農家の人たちはそう考えておる。
そうなれば、民間で働いている人も、わしたちも一ドル三百六十円でかえてくれと言うのは、これは当然の要求だと思います。じゃ、そうなれば今度は企業の側からいえば、企業の現・預金、資産についても、当然三百六十円でかえるという話に発展してまいります。それもまた、しごくもっともな理屈じゃないか。沖繩では自主的な金融制度を果たしているものとして模合いがあります。たまたま模合いの結果、ドルを受け取った。
「百姓さんは田んぼに米つくる、わしたちゃおなかに米つくる、なんでわしたちゃおなかに米つくる」 夕やみの病室に当時流行していた「おさらば東京」の替歌が流れていた。患者のぼうこうをぼうこう鏡で見ると米つぶのようなでき物がみえる。 集団検診から一カ月後、私は三菱化成病院に入院した。当時、決定的な治療方法はなかった。電気焼灼やX線治療が行なわれたが、すぐに再発した。
○黒木利克君 それじゃ、厚生省が法令違反をやっている、だからわしたちも当然やるのだということになりますよ。共同募金の立案も実は私がしたのです。共同募金ができたのは二十二年ですけれども、二十二年当時はまだ法律も何もありませんから、共同募金については、募金はこうしたらよかろう、配分はこうしたらよかろうということを二十二、三年当時は言っておりますよ。
そういう点におきまして、わしたちは、ただ一回の写真をもって、あそこが一番いいからあそこにつくろうじゃないかと、そういうようにきめられたことを、はなはだ遺憾に思っております。 なお、わしどもは、そういうことで、決して地元の住民はイデオロギー的なものにおだてられてやっておるのではございません。自分たちはほんとうの農民の姿としてやっております。
わしたちも入ることはできますと言いますけれども、やはり遠慮して入らないのです。基準局長に言わしてごらんなさい。われわれならばすぐ立ち入り禁止をするんだ、しかしどうも通産省は立ち入り禁止をやり切らぬ、こうおっしゃる。そこがやはり情けがあだになるのです。だから、時には目をつぶって、清水の舞台から飛びおりなければだめです。それが監督というものです。
実は先生、わしたちのこの谷間の草深いいなかから、一回に国民年金の保険料として現金を四十万円ずつ持っていくのじゃと言うわけです。そうすると、おそらくそれは二回か三回に納めるのでしょうから、一年に百万か百二十万は持っていくらしいです。これが先年、なかなか集めるのがたいへんでございます。そしてこの貧しい部落で福祉年金なんかもらっておる人はほとんどおりませんと言うわけだ。
わしたちには責任はないのです。こういうようなものの言い方です。これは。現在では教育の指針は、憲法、教育基本法、学校教育法等の法令に明記されている。何ですか、それは一体。こういう一体無責任なことを、今あなたがおっしゃるように、進駐軍におどかされてやむを得ずと、こういうことなんです。
ただこれが悪いことにもいいことにも、とにかくきめたからわしたちはこれにしゃにむに進んでいくということではやはり進歩はないと思う。だから今言ったような問題についてもなお言っておきますが、日本はあなたも御承知の通り料理屋のつけでもビールが十本、酒が何本、芸者の花代が何ぼというところまでつけてくるわけであります。ヨーロッパの諸国についてはそういう習慣があまりありません。
自分でそういう骨格を作り上げておきながら、 いざ人気がなくなったら、五項目は先生方が頭だけで作ったことで、わしたち責任はない——。そうして今また与党から修正案が出ておる。最初から今日まで作る間に、国税通則法の骨格は全くずたずたにくずれておると私は思う。これをあなたはほんとうにくずれちゃいないと言えるものなら、私はあなた顔を見直したいくらいですよ。
団体交渉等を会社と組合がやって、そうしてこれは経営の問題について、企業のあり方についていろいろ団体交渉をしている、そうして、いやわしたちは組合にこんな話をする必要はないんだとかなんとかいって、意見が不一致の場合、そうして間接的には回り回って労働者の生活を守ることが困難であるというようなことになってきたときの不一致は、労働関係ではないと解釈されておるのかどうかということです。
新聞で拝見しているだけでございますけれども、最初互いに乱闘があって、そして間に仲裁する人があって、一時少し穏やかになったときに、こちらの警官隊の人が、わしたちは警官だとこういう言葉をおっしゃって初めて身分が相手にわかったらしい、それで急にまた日ごろのそういう、何というのでしょうか、ひどくやられているという立場の方ですから、それっというのでまた引っ返したというふうに新聞には出ているわけなんで、そういうまあふだんのやはりお
(「収容所には何人おったのですか」と呼ぶ者あり)収容所には、わしたちが帰るときに九十七名強制送還がいました。そうしてわしらが帰ったあとに、また刑務所から満期になって入られた入もいましたが、わしらが帰るときに収容所に九十七名、刑務所に百七、八十名おったとのことです。(「いつ帰ったのですか」と呼ぶ者あり)収容所を出ましたのが六月の二十二日でした。
わしたちは集荷に行きましても、皆さん御承知の通り信州というところは、非常にお蚕の沢山取れるところであります。それで伜がもうサンマーだと言つて映画を見に行く、あとは家のお袋や妹達が鍬を取つておる。それで雨が降つて来ると、わしらは三輪車を持つて来て運んでやつた実例があるのであります。