2021-05-18 第204回国会 参議院 国土交通委員会 第16号
それに加えて、コロナ禍というわけではありませんけれども、それでは、町中が本当に、何というか、歩いて楽しめるのかとか人々が集えるような空間があるのかというと、ここも一つの大きな課題の中で、先日、実は池袋をちょっと視察をさせてもらったんですけど、池袋というのは、昔、私もあの近くに生まれ育ったので、何となくわい雑な、何となく余りゆっくり歩きたくないなという、正直言うと。
それに加えて、コロナ禍というわけではありませんけれども、それでは、町中が本当に、何というか、歩いて楽しめるのかとか人々が集えるような空間があるのかというと、ここも一つの大きな課題の中で、先日、実は池袋をちょっと視察をさせてもらったんですけど、池袋というのは、昔、私もあの近くに生まれ育ったので、何となくわい雑な、何となく余りゆっくり歩きたくないなという、正直言うと。
香港って以前は自由闊達、少しわい雑な雰囲気もあって非常に自由なところだったわけですけど、この数年間どんどん変わってきて、そして今回、国家安全法が制定されるということになりましたから、外国の企業がアジアの拠点を香港に置く理由はもう失われたということなんじゃないかと思うんです。 その中で見直されているのが日本であり、東京だということなんです。
今御指摘いただきましたように、文化というのは、やはりある意味でわい雑な部分もあるわけですね。そこら辺が相まって文化なんだろうと思いますので、極力そこら辺は、私も、政府が介入するなんてとんでもない話だと思っております。ただ、税金をお渡ししてやってくださいという事業なものですから、やはりその過程においては慎重であるべきと思いますが、先生の御指摘のとおりだと思います。
こういうことが二回繰り返されて、そのたびに決算、決算と来ていますから、四・一で回せるかどうかという次元の問題とは少し切り離した、ちょっとわい雑な話なんですが、やっぱりこれは、斜に構えて僕が見ているせいかもしれませんが、やっぱりこれ確信犯で、決算期の前にできもしない目標をぼおんと打ち上げて、後に出すか先に出すかというのはやっぱりこれ大きな問題で、損が出ましたと言った後に目標値を設定すると、やっぱりいろんな
○森参考人 御指摘のとおり、まずは商業者自身が中心商店街に住んでいないというようなことなどがあって、みずから当事者として、今御指摘のありました、にぎわいといいますか、ある意味のわい雑さも含めてつくり上げていくという努力は、今までは少し方向が違っていたんだろうと思います。
○西村参考人 難しい質問ですけれども、私は、わい雑なものは恐らく計画してできるようなものじゃないと思うんですね。恐らくそれは自然発生的にできていくもので、人間の心理や生活様態がつくり上げていくものだと思うんです。
まちづくりの中で、美しいという言葉、きれいという言葉の対極にあるもの、わい雑なものというふうに規定いたしましょうか。これは、人間の営みをしていく中で、美しいものだけではだめだ、そういう心理学者の御指摘なんかが、前のあの神戸の事件が起きたときにありました。あの現場を見ていただくと、非常に近代的で、かつ整ったまちづくりなんです。人間が逃げ込みたくなるようなわい雑なものがない。
○山出参考人 わい雑さというのは必要だと私も思います。 トタン屋根の飲み屋さんが並んでいて、コップ酒を飲む。人間臭い場でありまして、私はこれは必要だ。しかし、その場は汚くあっちゃいけない、衛生的でなきゃいけないというふうに思いますから、私は、わい雑という言葉と醜悪という言葉は一緒だろうかなと、ちょっと疑問に思います。
それから、著しく粗野または乱暴な言動、これは、禁煙場所での喫煙などのほかに、わい雑な言葉あるいは歌を口にしたり、わい雑な挙動をする行為、他の乗客に絡んだりする、そういう因縁をつける行為など、いわゆる機内迷惑行為が挙げられるところでございます。
こうした活力、創造力を生み出す過程では、わい雑な表現であるとか好奇心をあおるような表現というものもしばしば出てくるでありましょうが、ある程度はそうしたものも社会の活力の源泉とみなされなければいけない面もあろうかと思います。 表現の自由は、熟成させるのには大変難しい自由であります。一方では乱用されやすい自由ですし、他方では規制の誘惑に駆られやすい自由でございます。
○竹本委員 お三方の知事さんにちょっと簡単にお聞きをしたいんですが、先ほどの話を聞いておりますと、三重・畿央がなぜいいかという理由の一つに都市の集積があるということを述べておられましたけれども、私はそれを前から言っておる人間の一人でありまして、何もない野っ原にある日突然にローマが一日にしてできるわけがないわけでありまして、都市の温かみ、わい雑さ、そういったことも含めますと、やはりいろいろな候補地の中
それから、キャンベラも、いわゆる二十世紀型の、新宿のようなわい雑な町が必要だという方々にとってはキャンベラはつまらない町なんですが、しかし、家族連れで行動する若い方々にとってはすばらしい町なんですね。ですから、それでは、二十一世紀のライフスタイルというのは、どういうことを我々は目指すべきかという視点から、こういう先例を勉強していく。 ただ、キャンベラの場合、百年かかっています。
そういう先例をやはり、ただキャンベラのよさは、四十歳ぐらいから上は、新宿のようなわい雑な町がないから嫌いだ、しかし四十から以下の人たちは、子供さんと家庭で一緒に行動できる、これはすばらしい町だと外務省の皆さんが意見が完全に分かれるんですが、二十一世紀は私はそういう時代になると思います。
別に新宿みたいなわい雑な町がなくても、今の若い方々は遊ぶところを非常に知っていますし、家庭も大事にしますし、どうも我々の時代と違ってライフスタイルが変わってくるだろう。 そういう中で、残念ながら、国なんかの多極分散を聞いていますと、仙台と札幌に中枢都市をつくってなんということで、多極分散というのは、東京プロブレムをどう地方に分散するかという感覚しかないのですね。
私は最高裁の言う、芸術性と思想性があれば、いわゆるわい雑性は相対的に減殺される、つまり名著であるならば、その中におけるわい雑性は阻却されていくという判断は、これはやはり最高裁の人らしいなと思うのであります。ところが、私自身の体験をもって見れば、くだらないエロ本やくだらない映画は見る気がしないのであります。
この機会に、このわい雑ということについて、私も前に一回ここで質問したことがあるのですけれども、一体どう考えたらいいのか、われわれ法曹界といいますか、私どもも法務委員としてどういうふうに考えたらいいのかという点について、意見を交えながら質問をしたいと思うのであります。 私はこの前、ある機会があって神田を歩きました。
芸術的、思想的に価値ある文書の中にあるいわゆるわい雑は、それによって芸術性、思想性が優先して性的刺激が減殺されるのか、それとも、芸術的、思想的な文書の中におけるわい雑は逆に刺激がふえるのか、どうお考えでしょうかとお伺いしているのです。
CMとか番組の中には、ちょっと目をおうようなわい雑なものがありますよ。だから、ああいうものは確かに直さなければいけません。しかし、根本的にはやはり自主規制というような方向でやりませんと、行政がこれに介入いたしますと言論報道の自由の侵害にもなってくる。そんなことはあと回しでもいい。もっと価格の問題を積極的にやってほしいと思うんです。
○中谷委員 それじゃそろそろ質問を終わりますが、私も畑先生と同意見なので、陰湿になっちゃいかぬけれども、逆に言うとわい雑といいますか、とにかく球場の中がそういうものであってはいかぬわけです。とにかく張り手がおる、胴元がおるというようなことで、球場の中で賭博をやりほうだいというようなかっこうは、先生もちろん御承知でございましょうね、球場に行かれて。うしろのほうで現に賭博をやっているでしょう。