2017-12-21 第195回国会 衆議院 北朝鮮による拉致問題等に関する特別委員会 第3号
お二人が御存命の間に、曽我ミヨシさん、増元るみ子さんの御帰国が果たせなかったことは、まことに痛恨のきわみであります。 拉致被害者五名が帰国してからことしで十五年、横田めぐみさんが拉致されてから四十年が経過し、問題の解決はもはや一刻の猶予もありません。 本日は、拉致問題の早期解決という皆様の強い思いのもと、閉会中ではありますが、参考人の皆様をお招きして委員会を開会することができました。
お二人が御存命の間に、曽我ミヨシさん、増元るみ子さんの御帰国が果たせなかったことは、まことに痛恨のきわみであります。 拉致被害者五名が帰国してからことしで十五年、横田めぐみさんが拉致されてから四十年が経過し、問題の解決はもはや一刻の猶予もありません。 本日は、拉致問題の早期解決という皆様の強い思いのもと、閉会中ではありますが、参考人の皆様をお招きして委員会を開会することができました。
去る十一日、拉致被害者曽我ひとみさんの御夫君チャールズ・ジェンキンスさんが逝去され、翌十二日、拉致被害者増元るみ子さんの御母堂の信子様が逝去されました。誠に哀悼痛惜に堪えません。 ここに、皆様とともに謹んで黙祷をささげ、哀悼の意を表しまして、御冥福をお祈り申し上げたいと思います。 皆様、御起立をお願いします。黙祷。 〔総員起立、黙祷〕
めぐみさんや八重子さんやるみ子さん、あるいは大澤さんや、特定失踪者の人がどこにいますよねということをわかった上で、もちろんそれを公開しない方がいいと思いますが、最終的な段階で、私たちは知っているんだぞという交渉をしていただきたい。 圧力をかけること、そして彼らを困らせること、そしてもう一つ、ポケットに情報を持っておくことが必要だと思っております。 以上です。
次に、市川修一、増元るみ子さん。これは昭和五十三年の八月十二日、鹿児島の吹上浜で拉致をされた。これは政府認定被害者の方々なんですけれども、この事件に関する新たな証言が入りまして、そのことについて、ちょっとまた警察の方の認識を問いたいんです。 実は、特定失踪者問題調査会の主催によります現地調査というのが五月の十八、十九でしたか、九州の福岡県で行われました。
昭和五十三年八月に鹿児島県で発生しました市川修一さん、増元るみ子さんを被害者とする拉致容疑事案につきましては、現在、事案の解明に向けて関連情報の収集と捜査に全力を挙げているところでございます。
これに対して、蓮池祐木子さんが、あなたのお姉さんの増元るみ子さんとは、一九七八年秋から翌年の十月まで約一年間一緒に生活していた、平壌駅から余り遠くないアパート、幹部が多く住んでいてベンツが多く出入りしている、そういうアパートでほぼ一年間一緒に生活していたということを、お手紙を去年の七月二十九日付で増元照明さんに出されているんですね。
特に昭和五十三年に鹿児島から拉致をされました市川修一、増元るみ子さん、この人らは、言ってみれば創価学会の青年部の方でございまして、そういった方もいらっしゃる。 数百名の日本人の拉致が、日本政府が真剣に向き合わない中で、さっき外務省の方も全力を挙げてというふうに言っておりましたが、これは口先ばかりなんですよ。今の日本政府もそうなんですよ。
そこで、増元参考人に、増元るみ子さんの夫の市川修一さんに関連して伺いたいんですけれども、北朝鮮が、市川修一さんについて、一九七九年の九月四日の日に、元山の松涛園の海水浴場で、水深が深くないところで海水浴中に心臓麻痺で死亡したというふうに説明しております。しかし、日本におられたころに泳げなかったと伺っていますが、市川さんが海岸から一体どれぐらいの地点で心臓麻痺を起こしたのか。
その後、るみ子さんは結婚のために私とは別れたということは、その十月以降に結婚したことになりますので、その前に市川修一さんが死んでいるというこの情報も、非常に怪しいというか、信頼に足らないものだと私は思っております。
この発表の会見では、同人権委員会のリチャード・アレン議長を初めとして、韓国拉致被害者家族、米国国務省のロバート・キング北朝鮮人権問題特使、各国外交官が出席したわけですが、日本の拉致被害者家族会の増元照明事務局長が英語でお姉様のるみ子さんが拉致された悲劇を話された上で、被害者救出には国際的な連帯が不可欠だと訴えられているわけでございます。
この間、増元るみ子さんのお父さん、そして市川修一さんのお母さん、そして、昨年十二月には原敕晃さんのお兄さんの耕一さんなどがお亡くなりになられました。まことに残念でなりません。 有本恵子さんの御両親や横田めぐみさんの御両親も、全国の集会等で積極的に活躍をされておりますが、既にかなりのお年でもあり、先般お会いしたときにも、なかなか大変だということをおっしゃっておられました。
飯塚さんは田口八重子さん、そしてめぐみさん、それからるみ子さん、三十二年から三十三年という長きにわたって今の経過を踏まれている。その苦しさ、悩みについて、本当に察するに余りあるものがあると思います。 私も、今政府が行っております、毎週放送されている北朝鮮へのラジオ放送を聞かせていただきました。
私は、一九七八年、五十三年に、市川修一さんとともに北朝鮮に拉致された増元るみ子の弟です。 一連の、七月、蓮池さん御夫妻、それから地村さん御夫妻、そして八月に私の姉と修一さん、カップルで連続して失踪した中の一件の被害者です。二組の被害者は帰ってきておりますけれども、私の姉と修一さんは帰ってきていない現状です。 私たちは、二〇〇二年九月以前に情報を入手しておりました。
そのときに、平成十年だったと思いますけれども、歴代、県警本部長に着任すると必ず現場にまず行くところというのがありまして、それは、吹上浜という、鹿児島のあれは日置郡というところだったと思いますが、増元るみ子さんと市川修一さんが拉致されたというところにまず行きました。しかしそこは、白砂青松、季節によってはウミガメが卵を産みに来る、大変きれいな海岸でございます。
この方々、横田めぐみさん、田口八重子さん、市川修一さん、増元るみ子さん、原敕晁さん、有本恵子さん、石岡亨さん、そして松木薫さん、これだけの方がまだまだわからないわけです、北朝鮮にいて生きているのかどうなのか。長官、何か北朝鮮に対して一言言ってやってください。これを最後にします。返せと言ってくださいよ。
当時学校にいた日本人たちとしては、横田めぐみさん、市川修一さん、増元るみ子さん、蓮池薫さん、田中実さん、朝鮮語が余り上手ではなかったちょっと独特の容貌をした北海道から拉致されたという男性、加藤久美子さんなどなど、合計十一人です。
○西岡参考人 今私たちは、残念ながら、めぐみさんたちやるみ子さんや八重子さんや修一さんたちが今この瞬間、北朝鮮のどこにいるか、確実な情報を持っていないんです。しかし、生きていると信じて今救出を図っておりますけれども、彼らの、彼女らの身辺の安全をどう守るのか、このことも、今先生がおっしゃった、日本の国家意思を厳しくしっかりと示すということと関係があると思っております。
○松原委員 次の質問に移りますが、市川修一さん、増元るみ子さんは七九年、八一年に死んだというふうに北朝鮮は言っております。しかし、その死亡時期以降、安明進さんは間違いなく二人を見たということに関して自信はありますか。
昭和五十二年九月に宇出津事件が起こりまして、その後、昭和五十三年七月に福井県で地村保志さんそれから浜本富貴恵さんが、そして新潟県で蓮池薫さん、奥土祐木子さんが、同年八月に鹿児島県で市川修一さん、増元るみ子さんが消息を絶つというアベック失踪事件が相次いで発生したわけでございまして、当時としては、警察として事件と事故の両面から捜査を尽くしていたものと考えておりますが、当時におきましては、北朝鮮によります
横田早紀江さんの今のお話の中にもございましたが、増元るみ子さんのお父さんは、日本を信じろと言って亡くなっていかれました。みんな信じてこられたんです。そういう中で、できないということであれば、そのできないことに対する応分の責任はあるべきではないだろうかというふうに思います。
例えば、ここに書いてありますが、死亡確認書八点、前回のときに出てきた死亡確認書、それは例えば、増元るみ子さんの死亡確認書、この場合に、死亡日が一九八一年八月十七日と記載されている。死亡診断名は心臓麻痺による死亡とあり、その下に死亡医師名として、手書きの署名で、チョン・ギョンイプと書いてある。そして、その下に発行機関として第六九五号病棟とゴム印が押されている。
○島田洋一君 私の専門分野でもないので、ごく一言だけ言えば、拉致問題なんかでも、とにかく被害者の家族の方々は高齢ですからどんどん、昨年だけをとってみても、地村保志さんのお母さんが亡くなりましたし、増元るみ子さんのお父さんも亡くなった。だから、早急に結果を出さなければならないという問題がいっぱいあると思いますから、そういう意味では、とにかく機動的に対処していただきたいということです。
増元るみ子さんの弟さんも昨年の一月に国連人権委員会にこのお姉さまの件を含めての調査を依頼され、ことし、再度、十一月、政府からも国連人権委員会に申し入れをされておると思います。今後の国際機関の活用について、特に国際刑事法廷等も七月から発効しておりますし、こうしたことを踏まえて、政府としてどのようになさるお考えかについて御答弁をお願いいたします。
例えば、増元るみ子さんの場合ですと、拉致時の一九七八年二十四歳の方の、増元さんと同じ人口の方は百六十六万五千人。対して二〇〇一年、増元るみ子さんが日本にいれば四十七歳になっているわけですが、その人口は百六十五万四千人。実に九九・三四%の方が生存しています。有本恵子さんの場合で九九・五六%の方が生存。
というのは、今回も、要するに死亡とされたとされる増元るみ子さんの弟の照明さんという方がこんなことを言っているんですよね。まず、今度の要するに訪朝は共同宣言ありきだったんでしょう。被害者家族は一様に怒りを覚えています。韓国に亡命した北朝鮮工作員の安明進氏でしたか、この方が来日し、金正日政治軍事大学で市川修一さんと思える日本人と会話を交わしたと語ったのは九八年でした。