2019-02-27 第198回国会 衆議院 財務金融委員会 第4号
○麻生国務大臣 野田先生、やはり日本で、木造住宅だから長く住めないんだって、みんなそう聞かされましたよ、私ら、子供のときから。しかし、奈良の東大寺に行けば千五百年ですからね、木造で。千五百年ですよ。私が今住んでいる九州のうちも百年以上たっていますけれども、別に住めますから。
○麻生国務大臣 野田先生、やはり日本で、木造住宅だから長く住めないんだって、みんなそう聞かされましたよ、私ら、子供のときから。しかし、奈良の東大寺に行けば千五百年ですからね、木造で。千五百年ですよ。私が今住んでいる九州のうちも百年以上たっていますけれども、別に住めますから。
林業従事者が減ってきたことをこの短い時間の中でいろいろ申し上げることはできませんけれども、やはり、森林が持っています役割、機能というものが、私ら子供のころは学校林なんかもありまして、暖房は学校林の枝打ちをしたその枝を、みんなでしょいこを持って持ってきたものです。暖房を学校林に依存した。
私ら子供のころからおばあちゃんに、寝るときには必ずまず必要なものを頭の上に置いて、いざというときはそれを持って出ろと、そういうことを教えられてきたんですが、今、最近ではそういうことがだんだん減ってきている。
それは、浦安なんというところは、私ら子供のときは潮干狩り以外何にもなかったようなところだったと記憶するんですね、本当にそうでしたよ。それが突如として超一等地にのし上がったわけですから、それはもう隔世の感があると、あそこへ行くたびにそう思います。 そういったところは、やはり新住民の方が圧倒的に多いところなんだと思う。
大臣が十九年ですから、それなりの共通認識もあると思いますけれども、私ら子供のころ、田舎では栄養失調で、佝僂病といって、手足が曲がったり、背骨が曲がった子供が必ずクラスに一人か二人いました。助けてやりたいと思っても、こっちも力がないから助けられぬかったわけですよ。
○中山国務大臣 確かに私ら子供のときには、貸し家というはすに張ったいい空き家のイメージが強いわけでございますが、いつの間にか土地神話みたいなものができてしまいまして、土地に対するこだわりみたいなものが日本人の感覚の中に定着してしまったことがいろいろなことにつながっておると思います。 先生おっしゃるように、やはり賃貸住宅というものを重視する。
だから、航空でも陸運でもいろいろなところで規制緩和をして、旧来の、例えばパンアメリカンというような、私ら子供の時分にはあこがれた飛行機会社もつぶれるような大胆な政策をとりました。そういう中からやはり次の芽が出てきたということでございます。
そして、それと同時に、その漫画を読みなが ら子供たちがどのような意見を持っているかということについても集めながら、それを一体にまとめた本がこの「いじめリポート」という本だということでございます。手紙は何と千八百通、子供たちからの悲痛な叫びが寄せられた、こういうわけでございます。 この編集部の人が、「あとがき」にこんなことを書いているのです。
私ら子供の時分には、お巡りさんが何か知らないけれどもよく回ってきましてね、台帳を持って。それで、お宅はお変わりございませんかなんて、何かお巡りさんが御用聞きをやっているような感じでしたけれども、ああいうことなんかでも非常に安心するんですね、居住者は。ましてや高齢の方々なんというのは声をかけていただければ大変安心だと思うんですが、なぜ利用者が少ないのか。
私ら子供のときに現にそう思ったですよ。きょう部落問題が話題になったらどうしようか思うていらいらしましたよ。それは、自分がそれを解決する力がないし社会的にまだバックアップする力がないとき、あるいはそういうバックアップする勢力と隔絶された状態にあった場合には、触れないでくれと言いますよ。原爆被爆者でもそうです。
○白浜一良君 もう一点お伺いしたいんですが、私ら子供のころの感覚で言いましたら、日本ですとフジフィルムとか、さくらフィルムとか、いわゆる小売店までかちっと色分けできていますよね。そういうところに市場を開拓されていかれたんですけれども、特に具体的に御苦労されたことが何かございますか。
筆で字を書いているのを私ら子供のころ見ておったのですよ。父親の代になると字をよう書かなくなったですよ。それは日本の教育が一般的に普及したといいながら、その一般の教育の場に我々の父親の年代の者が通い出して猛烈に差別をされるから、学校へ行きづらくなったのです。だからそこで字を失ったのですよ。そういうふうに時代の変化とともに物事は変わっていくのです、形態が変わっていくのです。
最後に、これは極端かもしれませんけれども、父親が子供に肝臓を与えるというのは、親が子供ら子供が親に事故のとき血液を与えるようなものです。血液も臓器なわけです。大きな愛情の中での血液と同じような感じでとらえてもあるいはいいのじゃないかという側面もあります。
私ら子供のころは、机に小刀で先生の目を盗みながら穴をあけてビー玉をごろごろ落とした。こういったところで木というものに親しむ必要があるのじゃないか。成金さんがどんなに豪華なコンクリートの邸宅を建てられても、床の間と仏壇だけは木であるということから見ても、やはり木というもの、こういうものが非常に――環境庁が一翼を担っておるのだろうな、これは農林水産省、林野庁だけではない。
つまり、私どもから見ますと薄利多売というのは、私ら子供のころには大売り出しのときには必ず商店街にはのぼりが立っておりまして、日本人にとっては大変美徳であったわけです。その美徳がいけない。そんな紙のように薄い利益のものを世界じゅうにまき散らさないでくれ、こういうことを言っているわけでございます。
これはなぜ水中ということをかいたかというと、実はこんなものを勉強しているときに時々新聞を見ていると、大きな船が何年ぶりかの大波にぶつかったとか、真っ二つに折れたとか、私ら子供のころからそういう話も聞いていました。ちょっと潜ったらもう折れる心配はないのになぜ潜ろうとしないのだろうか、潜るのにプロペラがあると苦労するからだろう、それでこんな電磁推進船の絵を潜水船としてかいてみた。
もともと日本人というのは熱しやすく冷めやすくて、私ら子供のころよく教わったんですが、ドイツ人というのは、親子三代がかって一つの発明をやる。
とにかく農林水産と通産行政――私ら子供の時分には農商務省というところだった。それで農協は産業組合というような感じでとらえられていた。ですから、昔は農家が農業をやりながら家畜商をやったりお酒屋さんをやったり、もちろん林業もついでにやっていた。その時分の方が資産内容がよかったかな。
それから出たついでに、私ら子供のとき、子供のときと言っては変でありますが、山に行くと必ず山火事を予想して防火帯という、林と林の間を切って少々の風がある日でもこの防火帯で防ぐということが私ら子供の時分山へ行けばあったんですがね。
私ら子供のとき、子供と言うと語弊ありますが、農業委員というのがおりましたが、私ら子供のとき、農業委員だってやったって、そんなにも三年も四年もかかるこの歩どまりじゃないと。現在のように技術が進展すれば、一、二年で一定のめどが出るんじゃないかと、こう私は経験的に思うんですがね。農林大臣も経験的に歩どまりの改定にそんなにかかりますかな。大体めどでどのぐらいだと思うんですか、大臣あんたも専門屋だから。