1990-05-31 第118回国会 参議院 環境特別委員会 第4号
あのいにしえの歌の中に「嵐吹く三室の山のもみぢ葉は 龍田の川の にしきなりけり」とか「夏の夜は まだ宵ながら 明けぬるを 雲のいづこに 月やどるらむ」とか、あるいは「奥山に 紅葉踏み分け 鳴く鹿の 聲きくときぞ秋はかなしき」とか、そういういろんな歌の中に私は日本の情緒があり、大自然を愛したと思うんです。そして大自然の中に生きてきたと思うんですね。
あのいにしえの歌の中に「嵐吹く三室の山のもみぢ葉は 龍田の川の にしきなりけり」とか「夏の夜は まだ宵ながら 明けぬるを 雲のいづこに 月やどるらむ」とか、あるいは「奥山に 紅葉踏み分け 鳴く鹿の 聲きくときぞ秋はかなしき」とか、そういういろんな歌の中に私は日本の情緒があり、大自然を愛したと思うんです。そして大自然の中に生きてきたと思うんですね。
島の小石に宿らせて持ち帰ったルバングの霊は、十五日にもみぢ散りつぐ故郷の山に埋めました。六年間もジャングルに迷った霊も、安らかに眠ると思へば私共も心安まります。」という意味の、これは十五年前のお手紙ですが、この私にとって、いま非常になつかしい手紙が出てきたわけです。その後も幾つもいただいているお手紙がこれにあります。
一回だけ……、いつですか、二十三年の三、四月頃小石川の料亭「もみぢ」へ行つて饗応を私も受けたのです。当時日野君が私のところへ来まして、細田君の栄転祝いに行こうじやないか、吉武君も祝いに行かれるから二課の係長と一緒に行こうという誘いを受けたのです。併し佐藤誰ということは分つていなかつたから行つて見て坐つて何したところが、のつこり出て来たのが佐藤なのです。
○証人(吉武辰雄君) これは確か昭和二十三年の三月頃だつたと思いますが、日野の紹介で細田君の栄転祝かなんかで、小石川のもみぢというところで会合をしたときに、初めて紹介を受けたと思つております。
○委員長(伊藤修君) それから、もみぢは細田係長の栄転祝というので、細田、あなた、吉武、上田こういうような人がお寄りになつたのですか。
○証人(佐藤昇君) それは先程も申上げましたが、一回は二十三年の四、五月頃小石川に「もみぢ」という所がありますが、そこで二回会つております。それからその次は先程申上げた通り「八百松」です。それから後は例の下山事件の問題で、部屋に約一月半ぐらいの間に一回ぐらい出入りしておるのではないかと、そう記憶しております。
○証人(佐藤昇君) 「もみぢ」の場合は細田係長の栄転祝ということで私を入れて五人程集つてやつております。そこから「八百松」の場合は絹川さんがこつちに来られたので、お祝に一緒にやつたらどうかというので私が御招待したのです。
○委員外議員(天田勝正君) その「もみぢ」や「八百松」でお会いになつたのはあなたの方がお呼びになつたのか、吉武さんから呼ばれたのですか。
それはああいうふうないわゆる落葉樹はみんな秋になると、散るわけですが、「もみぢ」みたいなものは色が變ると直ぐに落ちてしますのです。併しこの「かしわ」餅の葉はなかなか落ちない。これは「かしわ」に限りません。「くぬぎ」「なら」もそうなるのでございますが、こういうふうなものはなかなか落ちませんで、翌年まで茶褐色になつたまま全部殘つておる。